第13話 迫る脅威

 ユンの力によって国中の病が癒え、民の士気が最高潮に達している一方で、神殿の騎士団は着々とその歩を進めていた。

 ついに彼らは、獣人の国の国境線からほど近い平原に陣を構え、いつでも侵攻できる態勢を整えた。


 騎士団の数は、およそ三千。一人一人が厳しい訓練を受けた精鋭であり、その装備は神殿の財力によって整えられた一級品だ。

 率いるのは、騎士団長ギデオン。彼は長老への忠誠心も厚いが、無益な殺生を好まない、理性的な指揮官でもあった。


「これより先は、狼獣人族の領地だ。これ以上の進軍は、明確な侵略行為と見なされるぞ」


 ガロウが送った使者に対し、ギデオンは冷静に答えた。


「我らの目的は戦争ではない。神殿から姿を消された聖子ユン様を、保護させていただきたいだけだ。彼を無事にこちらへお引き渡しいただければ、我々は直ちに撤退する」


 使者からその言葉を聞いたガロウは、鼻で笑った。


「保護、だと? 神殿で彼を『役立たず』と蔑み、虐げてきた奴らが、どの口で言うか」


 ガロウの隣で話を聞いていたユンは、顔を青くしていた。自分のせいで、いよいよ戦いが避けられない状況になってしまった。


「俺が行けば……」

「駄目だと言ったはずだ」


 ユンの言葉を、ガロウは厳しく遮った。

「奴らの言う『保護』が、お前を神殿に幽閉し、その力を搾取するための口実であることは明白だ。お前を行かせるくらいなら、俺はこの国の全てを敵に回してでも戦う」


 その揺るぎない決意に、ユンは何も言えなくなった。


 獣人の国の戦士たちも、国境付近に集結し、一触即発の睨み合いが始まった。

 狼獣人族を中心に、熊、虎、鷲など、様々な氏族の戦士たちが、故郷と仲間を守るために武器を手にしている。

 彼らの装備は騎士団ほど豪華ではないかもしれないが、その瞳に宿る覚悟の光は、何よりも鋭く輝いていた。


 ユンもまた、後方で戦いの準備に追われていた。

 彼は来る日も来る日も糸を紡ぎ続け、それを国の女性たちが布に織り、防具へと加工していく。

 ユンの糸で作られたアンダーシャツや手甲は、鋼鉄よりも強靭で、かつ軽量。さらに、癒やしの力も宿しているため、兵たちの生存率を飛躍的に高めるはずだった。


「ユン様、無理をなさらないでください」


 リリィが心配そうに声をかけるが、ユンは首を振った。


「俺にできるのは、これくらいだから」


 指先が擦り切れ、魔力も消耗し、立ちくらみがする。それでも、ユンは糸を紡ぐのをやめなかった。

 一本でも多くの糸を、一枚でも多くの布を。それが、前線で命を懸けるガロウや仲間たちを守る、唯一の手段だと信じていたから。


 睨み合いは数日間続いた。

 ガロウはあくまで交渉の道を閉ざさず、再度使者を送ったが、長老から厳命を受けているギデオンは、ユンの引き渡し以外は認めないと突っぱねた。


 交渉は、決裂した。


 その知らせが届いた時、獣人の国の誰もが、戦いの始まりを覚悟した。

 空は不気味なほどに静まり返り、風が運んでくるのは、鉄の匂いと、張り詰めた緊張感だけだった。


 ユンは、丘の上から騎士団の陣を見つめた。整然と並ぶ白い天幕と、翻る神殿の旗。

 あれが、ついこの間まで自分がいた世界。そして今、その世界が、自分を、そして自分の大切な人たちを奪おうとしている。


(戦いたくない)


 それが本心だった。だが、それ以上に強い想いが胸にはあった。


(ガロウのそばにいたい。この国を守りたい)


 ユンは、ぎゅっと拳を握りしめた。もう、ただ守られるだけのか弱い自分ではない。

 この手で、運命を、そして愛する人たちを、守り抜くのだ。

 彼の翠の瞳に、静かだが、決して消えることのない決意の炎が灯っていた。決戦の時は、刻一刻と迫っていた。

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