第8話 初めての嫉妬

 ガロウが縁談を正式に断ったという知らせは、すぐに国中に広まった。

 多くの獣人たちは、次期族長が運命の番を一途に想う姿を好意的に受け止めていたが、誰もがそうではなかった。


 ある日、ユンがリリィと一緒に薬草を摘むため、少し人里離れた森へ入った時のことだった。

 数人の屈強な獣人たちが、彼らの前に立ちはだかった。その耳と尻尾の形から、ハイエナの一族の者たちだとすぐに分かった。


「お前が、ガロウ様を誑かしたという人間か」


 中心に立つ男が、嘲るような笑みを浮かべて言った。その目は、品定めをするようにいやらしくユンの全身を舐め回している。

 リリィが、怯えながらもユンを庇うように前に出た。


「無礼ですよ! この方は、ガロウ様の番であるユン様です!」

「番だと? 笑わせるな。か弱くて何の役にも立たない人間が、我らが次期族長の番にふさわしいものか」


 男たちはげらげらと下品に笑う。

 その言葉は、かつて神殿で投げつけられたものと重なり、ユンの胸に深く突き刺さった。

 やはり、自分はガロウの隣に立つには不釣り合いなのだ。そう思った瞬間、心が冷えていくのを感じた。


「ガロウ様も、物好きなお方だ。こんな痩せた人間のどこがいいのかねえ」


 男が、汚い手でユンの髪に触れようとした、その時だった。


「――その汚い手をどけろ」


 地を這うような低い、怒気に満ちた声が響き渡った。

 声のした方を見ると、そこに立っていたのは、烈火のごとき怒りをその金色の瞳に宿したガロウだった。

 その全身から放たれる凄まじい威圧感に、ハイエナの男たちはもちろん、ユンとリリィさえも息を呑んだ。


「が、ガロウ様……! なぜここに……」

「俺の番に、何の用だ」


 ガロウは男たちの言い訳など聞くつもりもない様子で、一歩、また一歩と距離を詰めていく。

 その歩みは、獲物を追い詰める狼そのものだった。


「これは、その……ただの挨拶で……」

「挨拶だと?」


 ガロウの低い声に、空気が凍りつく。彼はユンに触れようとした男の腕を、鉄の万力のような力で掴み上げた。


「二度と、ユンに触れるな。次に同じことをすれば、その腕では済まさんぞ」


 ミシリ、と嫌な音がして、男が苦痛に顔を歪める。

 ガロウはそのまま男を地面に投げ捨てると、他の者たちを冷たく見据えた。


「ユンは俺の唯一無二の番だ。彼を侮辱することは、この俺を、そして狼獣人族すべてを侮辱することと同じだと知れ。失せろ」


 その圧倒的な迫力に、ハイエナの男たちは悲鳴を上げて逃げ去っていった。


 嵐が去った後、ガロウは振り返り、その金色の瞳でユンを見つめた。

 先ほどの怒りは消え、そこには深い後悔と心配の色が浮かんでいる。


「ユン、すまない。怖い思いをさせた」


 彼はユンの元へ駆け寄ると、震えるその体を優しく、しかし力強く抱きしめた。

 ユンはガロウの胸に顔を埋め、彼の心臓が自分と同じように速く打っているのを感じていた。


 先ほどの恐怖よりも、今、ユンの心を占めているのは、別の感情だった。

 自分を想って、あれほどまでに怒ってくれたガロウの姿。自分を庇い、守ってくれた逞しい背中。

 それを思い出すだけで、胸が熱くなる。


 そして同時に、今まで感じたことのない、黒くて甘い感情が芽生えるのを感じていた。


(ガロウさんは、俺だけのものだ)


 あの縁談の相手にも、誰にも渡したくない。

 この力強い腕も、優しい声も、不器用な笑顔も、全部自分のものだったらいいのに。


 それは、初めて覚えた独占欲。初めての嫉妬だった。


 ユンは、ガロウの背中に回した腕に、ぎゅっと力を込めた。

 この温もりを、決して手放したくない。その想いが、ユンとガロウの絆を、また一段と強く結びつけていた。

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