第4話 獣人の国
ガロウに抱きかかえられたまま辿り着いた獣人の国は、ユンが想像していたものとは全く違っていた。
もっと野蛮で、荒々しい場所かと思っていた。しかし、そこに広がっていたのは、自然と調和した美しい集落だった。
渓谷の地形を巧みに利用して建てられた家々は、温かみのある木材や石でできており、窓辺には色とりどりの花が飾られている。
道行く獣人たちは、狼だけでなく、熊、兎、猫など多種多様で、誰もが生き生きとした表情をしていた。
鍛冶場から聞こえる槌の音、市場で交わされる賑やかな声、子供たちの屈託のない笑い声。その全てが、生命力に満ち溢れていた。
ユンが物珍しそうに辺りを見回していると、ガロウは国の最も大きく立派な建物――族長の館へと向かった。
屈強な番兵が恭しく扉を開けると、中には威厳のある壮年の狼獣人が待っていた。ガロウよりも一回り大きく、顔には歴戦の傷跡が刻まれている。
彼が、現族長でありガロウの父親なのだろう。
「ガロウ、無事か。して、その人間は?」
父親の鋭い視線がユンに向けられる。ユンはびくりと体を震わせたが、ガロウは動じることなく、ユンを抱いたまま堂々と答えた。
「父上。この方はユン。俺の運命の番です」
その言葉に、族長はわずかに目を見開いた。そして、探るような目でユンを値踏みするように見つめる。
その威圧感に、ユンは息を詰めた。
「……そうか。お前がそう言うのなら、間違いあるまい。長年探し続けていた番が見つかったこと、祝福しよう」
意外にも、族長の言葉は穏やかだった。
彼はガロウに向き直り、「客人をもてなす準備をさせよう。疲れているだろう、まずは休ませてやれ」と告げた。
ガロウはうなずくと、ユンを抱いたまま館の奥へと進んでいく。
通されたのは、館の中でも特に日当たりの良い、広々とした部屋だった。
窓の外には美しい庭園が広がり、部屋の中には柔らかな毛皮の敷物や、人間用の寝心地の良さそうな寝台が用意されている。
神殿で与えられていた、寒くて薄暗い小部屋とは比べ物にならない。
ガロウは、ようやくユンを寝台の上にそっと下ろした。
「ここが、今日からお前の部屋だ。不自由なことがあれば何でも言え」
口下手なりに、精一杯もてなそうという気持ちが伝わってくる。
ユンが呆気にとられていると、部屋に兎の獣人である小柄な女性が入ってきた。
「次期族長様のお連れ様ですね。私はリリィと申します。身の回りのお世話をさせていただきます」
優しい笑みを浮かべる彼女に、ユンは少しだけ緊張が解れた。
ガロウはリリィに「食事と着替えを。一番良いものを頼む」とだけ告げると、ユンに向き直った。
「少し休め。後でまた来る」
そう言って、名残惜しそうにしながらも部屋を出ていく。
一人にされたユンは、ようやく大きく息をついた。ふかふかの寝台に腰を下ろし、部屋の中を見回す。全てが夢のようだった。
やがて、リリィが温かい食事と清潔な着替えを運んできた。
食事は、香ばしく焼かれた肉に、色鮮やかな木の実や野菜が添えられた、素朴ながらも滋味深いものだった。
神殿で出される、味気ないスープと固いパンとは大違いだ。
夢中で食事を平らげるユンを、リリィは微笑ましそうに見守っていた。
「まあ、お口に合ったようでようございました。ガロウ様も、きっとお喜びになります」
「ガロウさんは……いつもあんな感じなのですか?」
ユンの問いに、リリィはくすくすと笑った。
「ええ。口数が少なくて、いつもむすっとしてらっしゃいますが、本当はとてもお優しい方ですよ。特に、番であるユン様のことは、命懸けで大切になさるでしょう」
リリィから聞くガロウの話は、ユンの抱いていた「強引で野蛮な獣人」というイメージを少しずつ変えていった。
彼なりに、自分を気遣ってくれているのだと。
着替えを済ませ、少し落ち着いた頃、ユンは窓の外を眺めていた。
活気あふれる国の様子を見ていると、神殿での孤独な日々が遠い昔のことのように思える。
ここでは、誰も彼を「役立たず」とは呼ばない。むしろ、「次期族長の番」として、誰もが敬意を払ってくれる。その扱いの違いに、戸惑いを隠せない。
夕方になり、再びガロウが部屋を訪れた。その手には、色鮮やかな果物が盛られた皿がある。
「腹は、空いていないか」
ぶっきらぼうな口調で、ガロウは皿をテーブルに置く。
ユンが「お腹は一杯です。ありがとうございます」と答えると、ガロウはそうか、とだけ言って黙り込んでしまった。
気まずい沈黙が流れる。何か話さなければ、と思うのに、言葉が見つからない。
ユンが俯いていると、ガロウが不意に手を伸ばし、彼の頬に触れた。
びくりと肩を揺らすユンに、ガロウは少し寂しそうな目をしていた。
「……怖がらせたか。すまない。だが、どうしてもお前が欲しかった」
その一途な眼差しに、ユンの心臓がとくん、と音を立てた。
神殿では誰からも向けられたことのない、真っ直ぐな好意。
それは、ユンの心を温めると同時に、今まで感じたことのない未知の感情を芽生えさせていた。
この人のそばにいるのも、悪くないかもしれない。そんな考えが、初めてユンの頭をよぎったのだった。
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