エボシオリ

緑兵 鍊

第1節 親父の遺産

『熊坂の秘蔵』


 かつて伝説の盗賊と畏れられた熊坂が、己の手で奪い取った宝物を保管するために築いたと伝えられる格納庫である。その所在地は、世の目から完全に隠された“世界の裏側”に存在すると語り継がれてきた。

 そこに眠る宝は、いずれも常人の手には余る強大な力を秘め、そのいずれかを手中に収めた者は、世界の均衡すらも揺るがすと言われ、古き伝記の数々に記述されており―――………。


著:緑兵 鍊



―――



「ここが親父の家…。」


 とある田舎の山奥に一軒家。電波も通ってないほど辺鄙な場所に突如現る開けた平地。その奥にポツンと寂しく建っていた。


「ええ…と鍵は玄関の照明の中?これか?」


 古い懐中ランプが壁に取り付けてあり、顔を近付ける。屈折したガラスの中にはボンヤリと異物が入っているのが確認できた。


「開け方は…マジか、書いてないのかよ…!」


 苔のついたランプを手探りで弄り倒す。手指は、緑、黒、茶と迷彩柄へと変わり、イライラが募る。


「全く…!加賀さんも加賀さんだ。鍵なら郵送してくれればいいのに…。」


 加賀さんとは親父の古くからの友人でこの家の代理管理人だ。本来は親父が管理人だが、5年前から寝たきりでそれどころじゃなかったという。子供の頃に何度か家に遊びに来てくれたのを憶えている。


「…今更連絡してくるなんてどういうつもりだよ。あんな奴とはもう無関係だっていうのに……あ、開いた。」


 文句を言いながらランプと格闘してようやく解体に成功する。底盤が外れ、中にあった鍵を手に取ると引き戸の玄関に差し込んで手荒く回す。意外にも抵抗なく鍵が開き、ホッとしたのも束の間、引き戸が開かない。そこで我慢の限界を迎え、持てる力をすべて使って思い切り引いた。


 バァン!!


 強引に開け放った扉は周囲にけたたましい音を響かせる。やってしまったと少し後悔するも腕時計で時間を確認すると16時を回ったところだった。


 不味い、こんなところで時間をかけている場合ではない。早く済ませなければ。


 立て付けの悪い扉を開きっぱなしに土足のまま家に上がり込む。


「暗くなる前に終わらせないと…親父の遺品整理」



 ―――


「こんなところか。」


 廊下にごく僅かの遺品が入った段ボールを一つだけ置く。中身は、高価そうな骨董品。売って生活費の足しにするつもりだ。


「和室にあった刀は模造刀だったし、案外物無かったな。」


(こんな山奥のボロ家に期待する方が酷か。)


 そんな事を思いつつ、腕時計を確認すると19時過ぎ。辺りはすっかり暗く、虫の鳴き声と低い鳥の鳴き声だけが山の中に響いていた。


(そろそろホテルに向かわねーと…。)


 スマホのライトを点けて廊下に向ける。ところどころ床が腐り、穴が空いているため避けて行かなければならない。スマホストラップを首にかけて気をつけて段ボールを運んでいると…。


 ギィ…。


 後ろから床が軋む音が聞こえた。

 全身の毛が逆立ち、冷や汗が溢れてくる。


(な、なんだ…?まさか…幽霊…?いや、そんなバカな)


 気のせいだと頭の中で言い聞かせて平静を保つ。後は家を出て車でホテルまで行けばいいだけなんだから何も難しいことはない。それに、ボロ家だから家鳴りの可能性だって…。


 ギィ…ギィ…ギィ…。


(…家鳴りだ。たまたま連続で鳴っただけだ。)


 ギィ…ギィ…ギィ…ギィギィギィ…。


(…っ違う!?近づいてきてる!!)


「誰だ!」


 後ろを振り返る。いざとなればすぐに逃げられるように段ボールを投げつける準備をしていた。そこには…。


「…着物」


 赤と緑の不思議な配色の着物が落ちていた。先程までの足音は鳴り止み、気配も消えていた。


(さっきまで無かったはずだ。何なんだこの着物。気味が悪い。)


 触らぬ神に祟りなし。そんな言葉があるように不気味な着物に嫌な予感を感じ、すぐに踵を返す。


 ギィ…ギィ…。


 近づいてくる。音の出処は間違いなく着物があった場所からだ。初めての心霊体験は興奮するものと思っていたが、いざ対面してみると恐怖で思考がまとまらない。呼吸が浅くなって苦しくなりながらも、玄関まであと一歩のところまで何とか歩みを進めることができた。だが、そんな俺の心は次の出来事で完全に折れてしまった。


「チョウ……ハン……。」

「…っうおああ!!?」


 耳元でか細く囁く女の声。気付けば段ボールを投げて全速力で車に駆け込み、山を降りていた。



 ―――


 山を降りて一つ先の山にある温泉宿に到着した俺は、受付に名前を伝えると2階の貸切部屋へ案内される。襖の隣を見ると『富士の間』と彫られた漆塗りの綺麗な木版が掛かっている。一目でこの部屋は高いだろうなと思いつつ、襖をゆっくり開けて中を覗く。


 すると、中にいた銀髪の優しい目をした中肉中背の老人と目が合う。老人は目を丸くして座椅子から飛び起きるように立ち上がった。


「おお……もしかして、長助くんか?大きくなったな〜…!」

「加賀さん…?髪白くなりましたね…。」

「もう年だからね。確か…73歳だったか?自分の年齢もあやふやだよ。」


(それもそうか…親父と同い年だもんな)


 子供の頃に見た加賀さんは黒髪でガッシリとしていた。あまりの変化に時の流れの残酷さを嫌でも感じる。それでも、朗らかな優しい目が十数年ぶりでも変わらなかったのは何だか嬉しかった。


「さあさあ、座って座って!長時間運転して疲れただろう。すぐに料理を用意してもらうよ。」

「あのう…それより……その人は…?」

「ああ…!悪い、紹介を忘れてた…。俺の孫の夜千代やちよだ。今回は付き添いで来てもらったというか無理矢理付いてきたというか…まあ、盲導犬みたいなものだ。」


(盲導犬?ああ…心配で付いてきたってことか。)


「おじいちゃん思いなんですね。ええと…夜千代さんよろしくです。」

「……。」


 夜千代と呼ばれた紺色の髪の青年はこちらを一瞥するとすぐに正面に向き直る。余りの無愛想に腹が立ったが、加賀さんのいる手前、喧嘩するわけにもいかないので下手くそな作り笑いを浮かべ何とかこらえた。


 しばらくすると、豪勢な和食料理が運ばれてテーブルに配膳される。10人前はありそうな量に対して3人で囲み、遅めの夕食を済ませる。


 女将さん達のお片付けが終わると加賀さんが「そろそろ本題に入ろうか」と前置きして真剣な表情に切り替わり、話し始めた。


「長助くん。まずは来てくれて本当にありがとう。君を呼んだのは、君のお父さん、熊坂宗司くまさかそうじが君に遺言書を遺したからだ。」

「俺に遺言……?アイツが…?」

「ああ、色々思うところはあるかもしれないが、心して聞いて欲しい。」


 加賀さんが少しだけ目線を下に逸らすと小さく深呼吸して再度こちらに目を向ける。ただならぬ緊張感に生唾を呑み込んでしまう。


「遺言書にはこう書かれていた。

『熊坂の秘蔵は、長男 熊坂長助くまさかちょうすけに全権継承させる。』

 とね。」


「……は?」

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