プロローグ

カタカタと軽快な音が鳴り響く事務室のソファに座り、今宵訪れた依頼人の話を聞く。

時刻は既に深夜の1時を回っており、この時間に訪れる客はその総てが表立って依頼を出せない事情を抱えた人々である。

今宵のお客様は、痩せ型の老紳士。スーツ姿で、いかにも何処かのお屋敷で執事を務めているような風格を感じる。

人の良さそうな顔つきから見るに、温厚な性格をしているがその分怒らせると後が怖いといったところだろうか...?


相手がどんな人物なのか観察していると、訝しげな目でこちらを見ている依頼人と顔が合ってしまった。


『これは失礼、仕事柄相手を観察する癖がついておりましてね。改めて、jack tradesの所長を務めている涼宮です、デスクに座る彼女は事務員の島津と言います』


デスクに座る彼女に目をやると、こちらを見て軽く頭を下げる様子が見えた。


『お二人とも、深夜遅くだというのにご迷惑をおかけします』


紳士は、ソファに腰掛けたまま、深々と頭を下げる。

その丁寧すぎる動きの全てが、一周回って不気味さを感じるレベルだがそれを声に出すほど俺もバカではない。


『こちらこそ深夜に御足労頂き、ありがとうございます。失礼ですが、お名前を伺っても?』


『桜宮家にお仕えし、お家の執事長を任されております永塚昭文と申します』


桜宮家、この榊童街ではそれなりに名の知れた資産家の事だ。

確か輸入業を手掛けていて、街の発展に多大な貢献を成し、その財を築き上げたと聞いている。

街から入ってすぐに目につくデカいお屋敷の存在からしても、代々かなりのやり手当主というやつなのだろう。


『所長、露骨に顔に出てますよ?成功したらいいパイプができるって。気を悪くされたら申し訳ありません』


パソコンでの作業を中断した彼女が永塚氏にコーヒーと茶菓子を差し出しながら、呆れた様にこちらを見、即座にフォローに回ってくれた。

全く、よくできた事務員である。


『いえいえ、これから依頼する事柄はとても表には出せない事、あなた方の噂が本当であるならば今後も力添え貸していただく事もあるやもしれません』


『裏の仕事をすると言っても、いくつか制約を設けてはいますがね。その制約を超えない範囲でなら引き受けるようにはしています』


そう言って、持ち込まれたら依頼書に目を通す。

自分で依頼書をまとめて貰う事で、嘘偽りがないかをチェックする、裏を始めた時からのルールのようなものだ。


『一つ、犯罪に加担するような依頼は受けない。一つ、自分で解決する事が可能だと判断すれば受けない、一つ、表で解決できない身内のトラブルに限る。この三つです。大丈夫ですか?』


『ええ、噂では報酬を払えばどんな依頼でも受ける。と聞き及びますが、道に外れた事まで受けるような人たちではない事は、この街の住人なら皆わかる事です』


出されたコーヒーに手をつけながら、淡々とした様子を崩さずに永塚氏は口を開く。

まるで、そうプログラムされた機械を相手にしているような気になるが、そうあらなければ執事など務まらないのだろう。


『依頼内容は、桜宮家のお嬢様である桜宮梨江さんが持つ会社の重要書類が入ったUBSメモリを回収する事、でいいんですよね?』


受けた後から実はこうだああだと、全く別の内容を被せて来る輩も稀にいるため、念を押す。

嘘つきってのは、割とそういうのに弱いのだ。


『ええ、身内ごと故にお恥ずかしい話なのですが、お嬢様は最近父君である清光様が仕事にかまけて自分を蔑ろにする様にご立腹で、いっそ仕事の邪魔をすればそれが変わるとお考えのようでして...三週間後には必要となるデータなため、内密に片付けてほしいとのことです』


『わかりました、親の仕事に支障が出てお嬢さんが後から後悔しても意味ないですからね。この依頼、引き受けさせて貰います』


その後、依頼人である永塚氏が帰宅した後、早速依頼内容を纏める準備に入るため、パソコンの前に座ろうとするとコーヒーカップを片付けようとしていた彼女に呼び止められた。


『後は私がやっておきますから、翔さんはもう休んでください』


『しかし、さっきまで君は事務作業をしていただろ?これくらい自分でやるさ、和香菜』


『いーえ、これは私の仕事なんです。翔さん達は明日から忙しくなるんですから、事務作業はこちらに任せてください。この作業が終われば、私も休みますから。お疲れ様でした、翔さん』


こう言われては、引き下がるしかない。

カップを片付けにキッチンに下がる彼女の背を見送くる。


島津和香菜、かけた眼鏡とポニーテールが特徴の彼女は、うちのデスクワークを1人で受け持ってくれている女性だ。

電話対応から書類作成や纏め作業まで押し付ける形になっているのを申し訳なく思い、以前増やす事を提案してみた事もあるが、彼女本人から1人の方がやりやすいからと却下されてしまったので、未だに事務は彼女1人という始末だ。


『お疲れ様、あまり遅くならないようにな』


『明日に響かないようにしますね』


そんな事務的な会話をした後、俺は鍵をテーブルに置いた後、一足早くその場を後にした。

カツ...カツ...と自室に向かう為の階段を登りながら、改めて彼女がいてくれた事に感謝する。


『問題は、明日から3週間以内にどうやって仕事を片付けるか、だな...』


まあ、その辺りは皆で明日から相談しながら上手くこなしていけばいい。


そう、安易に考えていたんだ。

まさかこの依頼に、巧妙に隠された別の顔があった事にも気づかずに...









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