第14話
バーンズ子爵家の崩壊劇は、王都の貴族社会に静かな、しかし確実な楔を打ち込んだ。
誰もが、その裏に潜む見えざる手の存在を意識し始め、疑心暗鬼に陥っていた。次に標的となるのは誰か。次は自分の番ではないか、と。
俺が作り出した恐怖という名の霧は、王都全体を濃く覆い始めていた。そして、霧が濃ければ濃いほど、裏で糸を引く人形師の姿は見えにくくなる。
「――マスター。次期監査局次長のポストですが、現在三名の候補者に絞られております」
タウンハウスの作戦室と化したリビングで、セラフィーナが最新の情報を報告していた。貴族の不正を監視する監査局のポストに、俺たちの傀儡であるマーカス男爵を送り込む計画は順調に進んでいた。だが、俺の思考はすでにその先へ向かっていた。小物をいくら動かしても、盤上の王――この場合は女王――そのものを動かせなければ、意味がない。
「セラフィーナ。王家の動向は?」
「はっ。それにつきまして、一つ興味深い情報が」
セラフィーナは一枚の羊皮紙をテーブルに置いた。そこには、近日中に王城で開かれる夜会の招待状があった。
「隣国との友好を祝う名目ですが、実質的には、第一王女であるアリシア殿下のお披露目の意味合いが強いようです。殿下も今年で十五歳。次期女王として、その存在を内外に示すための重要な夜会となります」
第一王女、アリシア・フォン・セントラリア――王都セントラリアの名門にして、国の唯一の正統な王位継承者。
彼女の母である王妃は数年前に病で亡くなり、国王は後添いを迎えていない。そのため、この国では次代に女王が立つことが確実視されていた。資料によれば、彼女は聡明で美しく、民からの人気も高い。まさに非の打ちどころのない次期女王だ。
だが、俺の
「彼女は、孤独なのだろうな」
俺の唐突な呟きに、セラフィーナが訝しげに眉を寄せる。
「孤独、でございますか? 殿下は、国王陛下をはじめ多くの人々に敬愛されておりますが……」
「敬愛か。それは、アリシアという一人の少女に対してか? それとも、次期女王という記号に対してか?」
俺は立ち上がり、窓越しにそびえる王城の影を見据えた。
「彼女の周りにいる人間は、誰も彼もが――彼女を通して己の利益しか見ていない。彼女の夫の座を狙う有力貴族の子息たち。彼女の権威を利用しようとする官僚たち。十五歳の少女が背負うには重すぎる、その重圧を理解しようとはしない」
それは、前世で「大賢者」という記号として消費され続けた、俺自身の経験に基づく確信でもあった。
「面白い」
俺の唇に笑みが浮かんだ。
「駒を送り込むまでもない。女王そのものを、こちらの陣営に取り込んでしまえば、この国は僕の意のままになる」
傀儡を立てるよりも、遥かに効率的で、遥かに刺激的な計画だ。何より、孤独な女王という存在そのものが、俺の知的好奇心を強くそそった。
「セラフィーナ。その夜会、僕も出席する」
「…!?」
俺の言葉にセラフィーナは絶句した。
「ま、マスターが、ですか!? しかし、表舞台には立たないと……」
「状況が変わった。直接、この目で見ておく必要がある。次代の女王がどれほどの器か。そして、僕が導くに値する人間かどうかをな」
セラフィーナの表情が微かにこわばる。彼女が俺の駒であると同時に、俺に心酔する一人の女性であることを、俺は知っている。新たに現れる女の影――それも王女という存在――は、彼女の心を少なからず揺さぶったのだろう。
「エラーラも同行させる。お前たちは、僕の従者だ」
「「は、はい!」」
二人の弟子の緊張を孕んだ返事を聞きながら、俺は新たなゲームの始まりに胸を躍らせていた。これまでは国というシステムを裏からハッキングするようなものだった。だがこれからは違う。システムの最高権限者――アドミニストレーターそのものを、篭絡するのだ。
「せいぜい楽しませてもらうとしよう、未来の女王陛下」
元大賢者の、静かなる王盗り遊戯。
その盤上に、最も美しく、最も価値のある駒――
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。