神様を信じない私が忘れられた運命の女神の使徒になりました。

庄野真由子

第1話 神様なんて信じてないけど、願いが叶う神社で祈ってみた。

パパとママが離婚することになった。

離婚しないでって、私がどんなに頼んでもダメだった。

私はママと暮らすことになって、パパが家を出て行くことになった。


音楽科がある私立中学への受験は取りやめになった。ピアノ教室もやめなくちゃいけなくなった。


なんでこんなことになったの?

私が幼稚園生の頃は、パパとママは仲が良かった。小学校一年生の時のピアノの発表会にも、二人そろって来てくれていた。


パパが離婚届にサインをして家を出てから一週間が過ぎた。ママはひとりで夜にお酒を飲むようになった。

クラスで仲良くしていたのは、皆、中学受験をする子たちだったから、受験勉強をやめた途端に話題が減って、一緒にいるのがなんだかつらくて、私はひとりで行動するようになった。


小学校六年生の、12月のことだった。


「うちの近所に願いが叶う神社があるっていう噂、知ってる?」


水色のランドセルを背負って、俯いて歩いていると後ろからそんな会話が聞こえて来た。


「知ってる。あのボロい神社のことでしょ? コンビニの裏手にある。うちのお兄ちゃんが友達と肝試しついでに祈りに行ったけど、別になんもなかったってよ。テストでいい点数も取れなかったし、宝くじも当たらなかったみたい。しかも全員、その年のバレンタインデーには家族以外からチョコ貰えなかったって」


「うわ、悲惨。1000円入れて祈ると願いが叶うっていうのはやっぱり嘘?」


「嘘でしょ。ボロい神社の賽銭箱に1000円入れるとか無理じゃん? っていうか、神社が金集めのために噂流してんじゃないの?」


男の子ひとりと女の子ふたりで横並びになった子たちが、後ろから私を追い抜いていく。

私はその場に立ち止まり、オレンジ色とレモン色、チョコレート色のランドセルが遠ざかるのを見送った。……願いの叶う、神社。


神様なんて、信じてないけど。でも。


私は唇を噛みしめてランドセルのベルトをぎゅっと握りしめた。


……来ちゃった。噂の願いが叶う神社は、枯れた雑草がまだらに茂り、本当にボロボロだ。神主さんや巫女さんの姿も、お参りする人の姿もない。

小学校の帰りで、お金なんて持ってないからただ、土ぼこりが積もった賽銭箱らしき横長の箱の前に立ち、両手を合わせた。鈴は錆びて、鈴を鳴らすための紐はちぎれている。


『パパとママが仲直りをして、家族みんなで一緒に楽しく暮らせるようになりますように』


心を込めて、そう祈る。すでにパパは家を出て行って、ママは離婚届を出してしまっているけど、でも。それでも。


『願いを叶えよう』


目を閉じ、手を合わせて祈り続ける私に、やわらかなアルトの声がそう言った。女の人の声? そう思った瞬間、足元の地面の感触が消えた。落ちる……っ!!

私は、蓋の空いたマンホールの穴に落ちるように、真っ暗な穴の中を落ちていく。


「やだやだやだ……!! 怖い……!!」


為すすべもなく、ただ悲鳴を上げ続けるしかなくて。私はただ落ちていく。そのうちに、落下するスピードがだんだんゆるくなっていった。気がつけば、辺りは真っ暗から淡く白い光が満ちた場所になっている。


下の方から、何かが浮かび上がって来た。……人?

ゆるやかに落下する私とは正反対に、ゆるやかに浮上しているみたい。誰?


女の子だ。私より年下っぽい。小学校一年生くらいに見える。日本人じゃなさそう。

オレンジ色の髪に、茶色い目で、見たことのない布地のシャツとスカートを履いている。足元は……木の靴?


髪の長さは肩につくくらい。見てわかるくらいに枝毛だらけ。髪の毛を梳かしたとは思えないくらいのぼさぼさ頭だ。

目の前にいる彼女は私の姿を上から下まで眺める。居心地の悪い視線だ。きっと、私もそんな風に彼女を見てしまっていたのだろうけど。


『二人の願いを叶えるために、運命の女神イリューシャの名において、そなたらの運命を入れ替える』


その言葉を聞いた直後、まばゆい光に包まれる。思わずぎゅっと目を閉じて、そして目を開けた時には、私は崩れかけた石造りの建物の中にいた。


「ここ、どこ?」


私の口からこぼれたのは、私の声ではなかった。頼りない、幼い少女の声だ。

聞き覚えが無い、でも、自分の口から出た声。そう考えた瞬間、身体が燃えるように熱くなる。


頭の中に、まるで早送りをした動画のように映像が流れ込んで来た。それはティナ・バローズという女の子の記憶だった。全身が熱い。特に、錆びたブレスレットを嵌めた右の手首が一番熱い。


映像の中のティナ・バローズが、でこぼこした分厚いガラス窓を見つめる姿に見覚えがあった。きちんと見たいと思うと、映像が止まる。動画で、一時停止をしたみたいに。


歪んだ姿の少女に、確かに見覚えがあった。彼女を見た。

小学校一年生くらいに見える、日本人じゃなさそうな女の子。神社でお賽銭も投げずに必死に祈った直後に落下し、そこで見た子だ。


「あの子が、ティナ・バローズ」


私がティナになってしまったのなら、たぶん、あの子は私、榊凛々子になっているのだろう。

一時停止した画像が、再生に切り替わる。私はティナの記憶を見続けた。


ティナはバローズ食堂という大衆食堂を経営している両親の間に生まれた。

もうすぐ12歳になる姉と、10歳になったばかりの兄がいる三姉弟の末っ子だ。


ティナが5歳の時に平民学校に入学し、6歳になった頃には文字と簡単な計算を覚えて平民学校の書庫に入り浸っていた。ティナは本を読むのが好きで、勉強をするのが好きだった。でも、その気持ちは家族の誰にもわかってもらえなかった。


7歳になったティナは平民学校に通うことを禁じられた。平民学校に通う代わりに街に隣接するルドラの森に行き、薬草や食べられる野草、果物の採集を命じられた。平民学校の書庫で見た植物図鑑の内容を母親に話したことが仇になったようだった。


ティナは両親に、平民学校に行きたいと必死に頼み込んだけど無駄だった。学校に通う時間に植物採集を命じられ、それに従うしかなかった。バローズ食堂は平民や貧民向けの、値段の安さと量の多さが売りの食堂で、儲けは家族5人がお腹いっぱい食べるくらいしか出ない。


私は、ティナの必死の訴えが家族の誰にも届かない場面を見て涙が出そうになった。ティナにとっての読書や勉強がどれほど得難い宝物なのか、家族の誰にも理解してもらえず、ティナは心を痛めていた。


8歳になったしばらく経ったある日、ティナはルドラの森で崩れかけた石造りの建物を見つけた。そして、声を聞いた。


『汝が我が使徒になり、信仰を深めるのなら、汝の願いを叶えよう』


それは、私が神社で聞いたあの声とよく似た声だった。同一人物なのかもしれない。


「しとになるには、どうしたらいいの?」


ティナはその声に問いかけた。声だけの、姿が見えない存在をまるごと信じた。

両親以外に頼る存在を持たない7歳のティナは、自分の願いを叶えて貰えるかもしれないと思ったら、それを疑うこともできなかったんだろう。


『祭壇にある、ブレスレットを嵌めなさい』


ひび割れた石の祭壇らしきものの上に、錆びたブレスレットが置かれていた。今、私の右の手首に嵌めているものだ。映像の中のティナが声に言われた通りにブレスレットを嵌め、祈りを捧げたところで映像が停止した。


……つまり、これは、精神の入れ替わりで、いわゆる異世界転生というやつなのかもしれない。

私はただ、離婚したパパとママが仲直りして、以前のように三人で仲良く暮らしたかっただけなのに。


理不尽さを感じると同時に、ティナの記憶を見終えてわかった。

ティナの両親は仲良しだ。お兄ちゃんもお姉ちゃんも、ティナを可愛がってくれている。


ティナのお母さんは赤ちゃんのティナを背負って食堂で働き、ティナの好物は自分の分を削ってティナにあげていた。

ティナとして、ティナの家族と暮らせば私は『家族みんなで一緒に楽しく暮らす』という願いを叶えることができる。


榊凛々子になったティナは、思う存分、本を読み、勉強することができるだろう。

私は小学校を卒業して、中学校を卒業するまでは絶対に勉強できるし、たぶん公立なら高校にも行けると思う。


ティナは、自分を大切にしてくれた家族と別れることになったと後悔するかもしれないけど、ティナの記憶を見終えた私は少しほっとしていた。

お酒ばかり飲んでいるママの姿を見なくていい。靴箱にぽっかり空いた、パパの靴が入っていたスペースを見なくてもいい。


パパにもママにも大事にしてもらえなかった榊凛々子はもうおしまい。

これから、私はティナ・バローズとして生きていくんだ。







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