第4話 パリコレへの挑戦

禅がその日、何の目的で社長室を訪れたのか。


それは2週間後に社員達の知るところとなった。


「なになに?テレビの密着取材でパリコレに挑戦?えーっ!これに出るの?禅」


全社員に一斉メールで知らされたのは、あるバラエティー番組の企画コーナーで、禅がパリコレのランウェイモデルのオーディションに挑戦する様子をカメラが追いかけるというものだった。


「これって、禅が引き受けたってことよね?」


成美の言葉に、莉帆は頷く。


「そうですよね。だからこうして、決定事項として発表されたのでしょうし」

「でもさ。挑戦する様子を密着取材ってことは、オーディションに落っこちてパリコレに出られなくても放送されちゃうってことでしょ?」

「そ、そうです、よね?」


考えてみると恐ろしい。


オーディションに挑戦するだけでも緊張するだろうのに、その様子をカメラで撮影され、合否に関係なく放送されるのだ。


プレッシャーが尋常ではないことは、すぐに想像できた。


(禅って、今いくつだっけ?確か私より2つ上だから、25才か)


10代の無名の新人ならまだ分かる気もするが、禅は既に海外のファッションブランドのアンバサダーも務めたことがある、今や日本のトップモデルのうちの1人だ。


知名度もあるし人気も高い。


この挑戦が失敗に終わり、それがテレビで放送されたら?


それこそマイナスイメージで一気に仕事がなくなるかもしれない。


成美も同じように考えているらしく、腕を組んで心配そうな声で莉帆に話す。


「ええー、大丈夫なのかな?社長もOKしたってことよね?マネージャーの岡部さんも、禅の様子を見てこの話にゴーサインを出したってことだろうけど。でもねー、心配」

「そうですよね。しかもプレスリリースは明日ですって」

「明日?!じゃあもう待ったなしじゃない。今さら、やっぱり辞めますー、なんて言えないよね」


ですよね、と莉帆も頷く。


とにかく自分達外野がいくら気をもんだところで、どうにもならないのだ。


「明日告知されたら、一気に問い合わせの電話が来るわよ。質問を想定して、Q&Aを作っておきましょう」

「はい」


成美の言葉に、早速莉帆達は打ち合わせを始めた。


***


翌日。


テレビや番組ポームページで告知されると、オフィスの電話が一斉に鳴り響いた。


「お電話ありがとうございます。ユニバース エージェンシーでございます。…はい。当社所属モデルの禅につきましては、テレビ局の発表の通りでございます。…そうですね、詳細は追って番組のホームページで発表されるかと。…はい。こちらからはそれ以上申し上げることはできかねます。ご了承ください」


莉帆達は、朝から何度も同じセリフを繰り返す。


電話のほとんどが、テレビ局の発表は事実か?パリに行くのはいつか?という質問だった。


(だいたい、私達だって詳細は知らされてないんだもん。禅がいつパリに行くのか?どのホテルに泊まるのか?なんて聞かれても、本当に分からないんだってば!)


にこやかに応答しつつ、心の中でムキー!と叫び声を上げる。


「もう、このままだと通常業務に支障が出ちゃう」


受話器を置いた成美がため息混じりに言うと、そうですよね、と皆も頷いた。


「よーし、こうなったら…」


鳴り止まない電話を放置し、成美は何やらカタカタとパソコンに向かっている。


「できた!」


するとしばらくして、主に内線電話として使っている、番号の末尾が1番違いの電話が鳴り始めた。


成美はその電話を留守番電話に設定する。


「これでよし」


今までジャンジャンかかっていた代表電話がピタリと止み、莉帆は首をひねった。


「成美さん、一体何をどうやったんですか?」

「ん?ホームページのうちの電話番号、サブの番号に書き換えちゃった。えへへ」


30才を過ぎてもさすがはモデルだ。

おちゃめな仕草が可愛らしい。


と、感心するのはそこではなく。


「なるほど!でもいいんですか?本当に用事がある人が繋がりませんけど」

「だって、あのままでも繋がらないでしょ?」

「確かに」

「落ち着いたら元に戻すわよ。さ、仕事仕事!」


サブ番号の電話だけが鳴り止まない中、莉帆達はいつもの仕事に集中した。


***


「莉帆、今夜会える?」


昼休み、和也からかかってきた電話に、莉帆は笑顔で返事をする。


「はい、大丈夫です」

「じゃあ、部屋で待ってるから」

「分かりました」


禅のことで和也も今日は忙しいのではないか?と思いつつ、莉帆としても会いたかった。


定時に仕事を終えると、デスクを片づけて挨拶してからオフィスを出る。


いつものようにスーパーで食材を買ってから和也のマンションに向かった。


インターフォンを鳴らすと、玄関を開けた和也はまだスーツ姿のままだった。


「こんばんは。今帰って来たところなの?和也さん」

「ああ。なんだかんだで足止めを食ってね。でも莉帆より早く着いて良かった。さ、入って」

「はい。お邪魔します」


早速夕食作りに取りかかると、和也はソファのローテーブルでパソコンを広げた。


「お仕事まだ忙しそうですね」


莉帆はまな板と包丁を取り出しながら声をかける。


「ああ。禅のパリコレのこと、もう聞いてるだろ?現地との連絡が多くてね。時差もあるから、結構振り回されてる。おまけに今日は、どこに行ってもマスコミに追われてさ」

「オフィスのエントランスにも、マスコミが押しかけてますよ」

「やっぱりそうか。じゃあしばらく禅はそっちに行かせないよ。まあ、こうなることは予想してたから、渡仏までは極力スケジュール空けておいたんだ。禅も体調整えなきゃいけないしね」


野菜を切る手を止めて、莉帆は和也に視線を向けた。


(なんだか和也さん、かっこいい。仕事ができるんだな)


パソコンをカタカタと打ち込む真剣な和也の横顔に見とれ、莉帆は照れたように頬を緩めてから、また包丁を握り直した。


***


「莉帆…」


夕食を済ませて食後のコーヒーをソファに座って飲んでいると、和也が莉帆を抱き寄せた。


「フランスに行けばしばらく会えなくなる。寂しいな」

「私もです。どれくらいかかりそう?」

「1か月ほど。でも必ず毎晩、莉帆に電話するから」

「うん。ありがとう」


和也は莉帆に微笑んでから、ふと真顔になり、莉帆にそっとキスをする。


ゆっくりと唇を重ね、一度離すと、そこからは火がついたように何度もキスの雨を降らせた。


そのままソファに押し倒された莉帆は、和也に身を委ねながら、窓の外に輝く月をぼんやりと眺めていた。


(綺麗な月。しばらく会えなくても、私は和也さんと同じ月の下にいる)


そんなことを考えながら、莉帆はソファで和也に抱かれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る