エピローグ:檻の鍵は、わたしの指に
ねぇ、知ってる?
あたしね、小学生のとき──
初めてあいつの家に遊びに行った時のこと、まだちゃんと覚えてるんだ。
リビングにはお母さんの料理の匂い。
テレビではアニメが流れてて、カーペットが少しだけ肌にチクチクして。
そんな、なんてことない午後。
でも、あたしにとっては、世界でいちばん大事な、あの子の「日常」だった。
──そして、本棚の奥。
「ここ、開けていい?」って聞いて、
「別に」って返されたから、あたし、遠慮なく引き抜いた。
埃まみれの漫画や雑誌の中に、『ギャルとの甘い生活vol.7』って書かれた一冊があったの。
パステルカラーの表紙。笑ってる女の子。
あいつが「あ、それはっ!」って言いかけたけど、遅かった。
開いたページ。
しわしわで、ちょっとシミがついてた。
キンモクセイ……栗の花?
──いや、アイツの匂い。
指でめくるのも気持ち悪いくらい使い込まれてて、そこには──
赤茶っぽい髪の、ちょっと強気そうな目をした、ギャルが笑ってた。
黒い猫耳ランジェリーなんか着ちゃってさ。
『あんたの視線、釘付けにしちゃう♡』なんてほざいてさ。
ねえ、それがさ。
……めちゃくちゃ、腹が立ったの。
わかる?
まだあたし、黒髪のおさげで、喋るのも下手くそで、消しゴムひとつ守れなかった弱い、あたし。
──そのページの女の子は、あいつに見られることを当然のように笑ってた。
悔しかった。
ムカついた。
何度も、何度も、そのページを閉じたくせに、視界から消えなくて。
だから、あたし、変わるって決めたの。
可愛くなるって。
ギャルになるって。
あいつの“好み”に、あいつの“理想”に、あの本の中身に、全部、なってやるって。
それでやっと、並べると思った。
隣に、いられると思った。
スカートを短くして、髪を染めて、笑い方を変えて、
──でも、全部、あたしはあたしのままだった。
中身は、ずっと子どものまんま。
「お願い」を「命令」に言い換えることしかできない、不器用な化け物。
けど、それでもいいって、思ってた。
あいつの笑う顔。
あたしの買ったプリンを食べてる顔。
一緒に歩いた帰り道。
肩が少しだけ触れる距離。
呼びかけたとき、こっちを見てくれること。
それだけで、よかったの。
それ以上を欲しがったのは、たぶん、あたしじゃなくて──
隣を許してくれた、あいつ自身。
……勝手に入ってきたの、あたしだけじゃないんだよ。
ねぇ、あんた。
覚えてる?
卒業式の日、鍵を渡したときのあたしの手。
あれ、めっちゃ汗かいてたの。ドキドキして、バレないようにハンカチで拭いてさ。
でも震えてたんだ。
だって、その鍵は部屋じゃない、檻の鍵だから。
もし、受け取らなかったら──
あたしは、開けるつもりだったの。
もっと、深く、奥まで。
けどね。
あんた、ちゃんと、受け取ってくれた。
だから、これはもう“檻”じゃない。
ふたりだけの場所だよ。
逃げられないように、閉じたけど──
あたしが鍵をかけたんじゃない。
あんたが、自分から入ってきて、内側から鍵をかけたんだよ。
○○くん……いや、あんた。
優柔不断でバカで大バカなあんたが好き。
カッコつけて、でも内心弱気なあんたが好き。
いい子ぶろうとして押しつぶされそうなあんたが好き。
考えてそうで意外とぼけーっとしてるあんたが好き。
大人ぶってるくせに辛いのも苦いのも苦手なあんたが好き。
ま、どんなあんたでも死ぬまで愛すって決めてるから。
ふふ、あばたもえくぼってやつ。
だからね、一つ約束しよ?
あんたが浮気したら、あたしはあんたを殺して、死ぬ。
そして、もし。もしだよ?ありえないけど──
あたしが少しでも他の男に目を向けようとしたら、
あたしが少しでも視線をあんたから逸らしたら、
あんたがあたしのこと殺して、死んで。ね?
ふふ、素敵。
もう、お互い死ぬまで離れられないってことで。
じゃあ、あたしから宣言。
あんたが檻の中で息苦しくならないように、
どんな顔も見せてくれるように、
全部、見守っててあげるからね。
全部、あたしがしてあげるからね。
ずっと、ずっと、隣で。
もう、【お願い】なんてしない。
これは“約束”じゃない。
これは“決定”だよ。
あたしが、あんたの檻になる。
-完-
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