第五章:なんという不自由千万なやつらであろう

中二になった頃には、Aは完全に人気者になってた。

クラスの中心ってわけじゃないけど、誰とでも自然に喋れる、明るくて可愛い女の子。


「彼氏とかいんの?」って男子に聞かれて、

「んー、どうだろ♡」って笑って交わしてるのも見た。



──でも、俺と話してるときだけ、Aは昔の顔になる。



不思議なことに、Aはあれだけ執着するくせに、一度も俺に「好き」とは言わなかった。



たぶん、あいつが欲しかったのは、「彼女」っていう軽い名前じゃない。

『〇〇の隣』っていう、誰にも剥がせない焼き印みたいな場所だったんだと思う。

「恋人」なんて関係は、いつか終わる可能性がある。でも「幼馴染」っていう鎖は、一生解けない。

あいつは、それを本能でわかってた。


……それに、きっと怖かったんだろう。

あれだけ強気なくせに、一番大事な言葉だけは、まるで薄いガラスみたいに、壊れるのを恐れてた。

もし俺が拒絶したら、あいつの世界が全部終わっちまうから。


だからAは告白する代わりに、俺の周りの世界を少しずつ壊していったんだ。

俺の視界から、あたし以外の全部を消すみたいに。


そして俺は、そのガラスに触れる勇気もなくて、ただ見てるだけだった。



~~~



「今日、プリント集めの係、さやだって」


「へぇ」


「やっぱあの子、あんたのこと好きだよ。目線がさ。あんたばっか見てるし」


「……知らねぇよ。関係ないだろ」


「ふーん。ま、別にいーけど。あたし、帰り待ってるから」

「じゃ、またあとでねー」


にこって笑って、俺のカバンの持ち手を軽く掴む。

その仕草は、自然で、でも絶対に他の女子にはできない距離感だった。


クラスメイトの視線が刺さる。


でもAは全然気にしない。

むしろ、「見てていいよ」って顔してる。


──わかってる、A。お前のそれ、全部わざとだろ。



ただ、俺は何も言わなかった。

言えなかった。言おうと思えなかった。


今まで通り、適当に流して、適当に笑って。


でも内心、少しずつ違和感が膨らんでいた。



もう少し、俺が素直になっていれば。

もう少し、きちんと好きと伝えていれば、

もう少し、きちんと嫌いと伝えていれば……



それだけで、よかったのかもしれない。



~~~



事件が起きたのは、ある日の放課後だった。


職員室にプリントを届けに行って、教室に戻ったとき──

俺の机の中に、小さな封筒が入っていた。


淡いピンク。手書きで「よかったら読んでください」って書かれてる。


「……は?」


誰のイタズラだよ、と思いながらも、中を見た。


──ラブレターだった。


相手の名前は書いてなかったけど、文面にはちゃんと「前から好きでした」って。

驚いた。でも、素直に嬉しかった。


それより先に、Aの顔が思い浮かんだ。


……言ったら、なんか、面倒なことになる気がして。

封筒をそのままカバンにしまった。

けど──


「……へぇ、そうなんだ」


家の前。いつものように待ってたAに、

何も言ってないのに、先回りされた。


「え、なにが」


「ラブレター。机の中にあったでしょ?」


背筋が凍った。

なんで知ってる? 誰にも言ってないのに。


「見たの?」


「ううん。……でも、わかる。なんとなく」


「お前、誰かに聞いた?」


「……それよりさ、」


Aは一歩、近づいた。

いつもの、見慣れた距離。でも──その目は、ぜんぜん笑ってなかった。


「捨てた? まだ持ってる?」


「……関係なくね?」


「関係あるよ」


Aの声が、ひどく冷たかった。

でもその中に、妙な悲しさが混じってた。


「あたしね、昔から思ってたんだ。

あんたの隣にいるのが当たり前、って。

でも……違ったんだよね。そうじゃなかった」



──息を呑んだ。



「でも、あたしは間違ってない。

だって、あたしが一番、あんたのこと見てきたし。

あんたの全部、知ってるし。

他の誰より、ずっと近くで、ずっと……」


Aの手が、俺の制服の胸元を握った。


「……だから、あんたは、あたしだけを見てればいいの」


「……おい」


「わかってるよ。言いすぎた。ごめん。でもさA──」


Aは顔を近づけて、目を閉じた。


唇が、俺のほっぺに、触れた。


ちゅっ。


「……これで、他の子の手紙とか、全部消えるでしょ?」


そう言って、くすっと笑って、背を向けた。


「じゃ、また明日ね。あんた」


夕暮れの中、Aの影が伸びていた。


その背中が、妙に大人びて見えて、

俺はその場から一歩も動けなかった。



キスされた頬が、熱いのか冷たいのかもわからなかった。

嬉しいとか、そういうんじゃない。これは『印』だ。

あんたはあたしのものだっていう、焼印みたいな。



応えたら? もっとがんじがらめにされる。

断ったら? あいつは、たぶん、壊れる。

そもそも、俺に選択肢は……。


なら俺にできることは、何も言わずに、この熱が冷めるのを待つことだけだ。


そうだと、信じたかった。


……もう、とっくに手遅れだってわかってるくせに。



まるで小さくて、流されるだけの小魚のように。

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