果てしなき長門有希の旅
森崇寿乃
第一章 最後の観測
その日は、ありふれた放課後になるはずだった。
涼宮ハルヒが、いつものように突拍子もないことを宣言するまでは。
「世界の果てを見に行くわよ! 今すぐ!」
北高の校門前で、ハルヒは高らかに腕を突き上げた。その瞳には、世界の法則すら書き換えかねない、純粋で無邪気な好奇心が宿っていた。キョンが呆れたようにため息をつき、古泉一樹が困ったように微笑み、朝比奈みくるが「えぇっ、今からですかぁ?」と狼狽える。いつもの光景。長門有希が観測し、記録してきた、かけがえのない情報の集合体。
長門は、その情報の流れに、微細だが無視できない特異点を検出した。ハルヒの願望が、単なる気まぐれではない。それは、彼女自身にも制御できないほどの強大なエネルギーを伴って、現実世界に干渉しようとしていた。因果律の繊維が、悲鳴を上げてきしむ。
「警告。時空連続体に不安定な兆候」長門は、淡々と事実を述べた。
「なによ長門、心配性ね! ちょっと冒険するだけじゃない!」ハルヒは笑い飛ばす。
だが、その瞬間だった。世界が、色を失った。
ハルヒを中心に、灰色の亀裂が空間に走る。閉鎖空間の発生。しかし、いつもとは規模が違う。それは世界を覆い尽くすためのものではなく、世界そのものを内側から食い破る、自己崩壊の兆候だった。
「涼宮さん!」古泉の表情から笑みが消え、焦燥が浮かぶ。「力を抑えてください!」
「ハルヒちゃん、お願い!」キョンの悲鳴のような声が響く。
だが、遅かった。ハルヒは、自らが持つ神の如き力の奔流に、為す術もなく飲み込まれていく。彼女の瞳から光が消え、虚無がその場所を埋めていく。
「いや……だ……」
最後に聞こえたのは、キョンの声だったか。それとも、朝比奈みくるの悲鳴だったか。あるいは、古泉の絶望のため息だったか。
情報の奔流が、全てを洗い流した。
キョンが、朝比奈みくるが、古泉一樹が、そして涼宮ハルヒ自身が、光の粒子となって霧散していく。それは、死という概念すら超越した、存在そのものの完全な消去。宇宙の記録から、彼らのデータがルートディレクトリから削除されるのを、長門はただ観測していた。
そして、長門自身の意識も、情報の嵐に引き裂かれ、暗転した。
次に意識が再構成された時、彼女は北高の屋上に一人で立っていた。
空は、どこまでも青く澄み渡っている。街並みは、昨日と何も変わらない。しかし、全てが違っていた。世界から、音が消えたようだった。人々のざわめきも、車の走行音も、遠くで鳴く鳥の声も、全てが薄っぺらな記録映像のように現実感がない。
情報統合思念体による、緊急バックアップ。それが、彼女がここに存在する理由だった。世界は、ハルヒが消滅する直前の状態で再構成された。ただし、因果律の中心であったSOS団のメンバーという「特異点」だけを、綺麗にくり抜いて。
長門は、ゆっくりと自分の手を見下ろした。白い、細い指。そこに、傷一つない。しかし、彼女の内部では、膨大なデータが欠損していた。それは、論理回路に生じた致命的なバグ。感情というにはあまりに冷たく、エラーと呼ぶにはあまりに重い、絶対的な孤独感だった。
SOS団は、消滅した。
その事実だけが、この静かすぎる世界で、唯一確かな情報だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます