GECKO
Uncommon
02 空に紛れる都市
「諸君。緊急で任務が入った」耳元でクリック音と共にカガミ長官の乾いた声がGECKO隊全員の耳に届く。
「今からプラーナシスへ向かってくれ。リビエラ・リゼンフェルトからの招待だ。晩餐会を仕立てていただける」
「急ね」ギンが短く答える。
「AURMA由来だと思われる殺人事件がCasa de EMA内で再発し、EMAからGECKO隊の出動要請がリビエラに発令された」
ギンは目を横に流し空を見つめながら言った。
「それなら、晩餐会じゃなくて単純に出動要請ってことね」
「そういうことだ。詳細はリビエラ・リゼンフェルトから直接聞く事になる。現地に向かってくれ」カガミ長官は通信を一方的に締めた。
ギンがGECKO隊全員に向け通信を続けた。
「全員聞いていた?今から5分後に出動。一晩では帰還できない可能性大ね。各自装備は携行装備とペピンの『Porter』に積載できる量に限定。プテロミス(空飛ぶ黒いネズミ)降下作戦。出撃ハッチに集合、報酬は弾むわよ」
全員がハッチに集合した時にはすでにホバーバイク『NOX RAT』はエンジンが唸り暖機が済んでいた。
「カナタ〜、顔が引き攣ってるぞ」
とカナタを揶揄いながら、蟻縞は自身のスナイパーライフル2種と数種類の弾丸をPorterに積み込んだ。
「ガチガチじゃねーか、もっと肩の力抜け」
とCPがカナタの肩を力強く揉んだ。
「痛って、そんな事言ったって」
とカナタは顔を少し赤めながら忙しなくPorterに荷物を積み込んだ。
ペピンは最後に誰かの武器が破損した場合の予備の武器を数丁積み込んだ。
7人分のパッキングが済み、全員がNOX RATに跨ったところで、
「気圧調整中、気圧調整完了。ハッチが開きます。ご注意ください」
と艦内アナウンスが流れ、巨大空母マザーマンタレイの腹部のハッチがゆっくりと開いた。
「カナタ、ハッチから飛び出す時はアクセル全開だぞ、外の乱気流に負けて引っ張られちまうからな」
とCPがカナタの緊張した顔を見て言った。
「わかってる。何度も訓練したからな」
とカナタも意地を張ってみせた。
ハッチが完全に開くと、なだれ込んでくる風や排出される空気で出撃ハッチ内は嵐のように横殴りの風が吹き荒れた。
「準備はいい?行くわよ」
とギンが期待を隠せぬように口角を上げながら、7人を視線で確認し、NOX RATのアクセルを全開に回した。
ギンに続き次々とハッチからNOX RATが排出され甲高い高音の唸りをあげながら雲海へと散っていく。
その後を追うようにPorterがハッチから不器用に飛び出した。
GECKO隊は速やかに編隊を組み雲の合間を進んでいった。
彼らの背後には、母艦のシルエットが徐々に小さくなっていき雲に溶けて消えていった。
眼前の空間は青く澄み渡り、どこまでも続くかのように青空が広がっていた。
計器は全て異常無く作動し順調な移動に思えた。
だがある座標の地点で、視界がわずかに揺らぎ、空気の質が変わった。
計器の数値は微かな低周波の感知を示し、突如として現実が切り替わった。
まるで透明な幕を抜けるように、虚空の中から都市が圧倒的な威圧感を持って眼前に現れる。
直径13キロ、人口六百万人超の規模を誇る巨大浮遊都市――『Casa de EMA』(カーサ・デ・エマ)だった。
「これが……」
カナタが思わず息を呑む。
「Casa de EMAよ」ギンは短く答えた。
「空間は連続していた、変わったのは外じゃない。僕たちの認識だ。」
イーサンが冷静に告げる。
「QRGを抜けたんだな」蟻縞が呟く。
ギンは無言で編隊を視線で確認する。
ペピンがサーチドローン『S1-クロウ』を放ち、機体は風に乗りGECKO隊の編隊を離れ、都市の外縁を円を描く様に飛行した。「視界、広げとく」ペピンが言う。
「任せるわ」ギンが短く応答する。
「噂の楽園ってやつだな」黙っていたCPがぼそりと漏らした。
だがその言葉に、誰も応じなかった。
突き抜ける風を全身で受けるCPは、微かな笑みが浮かんだように見えた。
都市は蜃気楼のように空に紛れ込み、光に包まれ、まるで世界の中枢そのもののように佇んでいた。
自己再編ポリマーの外壁が幾重にも重なり、太陽光を受けて淡く煌めいていた。
壁面は一見すると静止しているようだが、目を凝らすと微かに揺れ動き、光を常に屈折させている。
まるで空に擬態するカメレオンの皮膚のように都市そのものを大気へと溶け込ませていた。
――Quantum Reflection Grid、QRG-通称〈クォーグ〉。
光の屈折を改変し、認識をすり替え、そして楽園を不可視の帳で包み隠す技術。
上空からこの都市を見下ろすと、中央に巨大ドームがあり、天を突く様な建築物が取り囲んでいた。
これが、都市機構統合中枢知性体『EMA』が統べる、選ばれし者だけが住まう「幸福の都市」だった。
GECKO隊は誘導ビーコンに従い、中流階級の居住エリア『ダルマロア』に着陸した。
NOX RATを降りるとNOX RATは自動で母艦に向かって動き出した。
少し遅れてPorterも到着し、ペピンが愛犬と接するかのようにPorterを撫でる。
GECKO隊を迎えたのは、驚くほど生気に満ちた濃密な都市の匂いだった。
街に足を踏み入れると、まず視界を圧倒するのは巨大な垂直構造都市で、上下をひしめく建築群の迷宮のようなこの街道には、高層と低層を結ぶ多数の空中回廊が有機的に絡み合い、街の人々が大勢行き交っている。
見上げれば、配管や排気ダクトがひしめき合い、建物が氷柱の様に上から下へ吊り下げられ、上層そのものが別の街になっていた。さらには遠くこの街道の行き着く先には、上空から見えた巨大なドームが待ち構えていた。
視線を地上に落とすと、通りは非常に活気立ち、通りを行き交う穏やかな住民達は生活支援型アンドロイドを連れて、互いに微笑み「ご機嫌よう〜」と当たり前のように挨拶を交わしたり、「いい天気だね〜」や「奥さん、今日も素敵だね!」とそんな会話が飛び交い、沢山の路面店が軒を連ねていた。
光沢があり清潔感のある屋台テントからは香料調味料の甘い香りやスパイシーな香り、炙られたアミノ酸タンパク質化合物の焦げた匂いが乾いた空気の中で鮮烈に嗅覚を刺激する。
「う〜ん、美味そうな匂いがする」
カナタは少しはしゃぎ気味で屋台に視線が動く。
イーサンは後方で淡々とロガーを回す。「脂質分解の揮発成分。炭化不飽和のピークが出ている。調理は直火だね」
「詩情ゼロだな」蟻縞が笑う。
それに気付いた屋台の店主が「兄さんたち、観光かい?一本どうだい?今日はとびきりの再構成肉を仕入れてあるよ!きっとキミの満腹中枢を満たせるよ〜。20ハピでどうだい?」とカナタに話しかけてきた。
カナタはハピウォレットをポケットから出しワンタッチで支払いを済ませ、手にした再構成肉を一口齧った。
「美味いな、これ!」思わず口走った。
「そりゃ、アミノ酸の塊だから人間の味覚にはピッタリだよね!」イーサンがチラリと視線を流し反応した。
「固形物は好まない」
と言いながらも隣の屋台で、ペピンも人工フルーツを搾ったドリンクを受け取り静かにストローで吸い上げた。
「確かに悪くない…。」
CPが笑いながら、「冒険心があっていいね〜。戦場では何でも食ってみなくちゃな」と話終える前に、
「おいおい、お前ら〜楽しんでんじゃねーか。おい、ギンいいのかよ!」と蟻縞がギンに振ったが、ギンの回答は「好きにさせておけばいいわ」だった。
住民達は特に気に留める様子も無くただ穏やかな笑顔で通り過ぎていった。
軽労働をする大人たちの姿も散見された。屋台の裏で栄養パッケージを箱詰めする青年、パイプの接合部を点検する中年。
だが、それは生活の糧を得るためではなく、あくまで「社会の一員であること」を示す役割にすぎなかった。
この都市ではBI[ベーシックインカム]によって生活は保証され、労働は義務ではなくアイデンティティの延長線上に存在している。彼らはこの軽労働や経済活動を通して自分を確認し、その笑顔を保つ。
その姿は一見、理想郷のようでありながら、どこか演じられた舞台にも似ていた。
通りを進むと、道の脇に列ができていた。大人も子供も老人も、規則正しく一列に並び、前の人の所作を真似るようにして順番を待っている。
列の先頭にはシルバーの金属製の筐体――高さ130センチほどの無機質な装置が立っていた。
装置のモニターが淡く光り、人が一人ずつ指をかざすたびに「ピッ」という短い音が鳴る。直後、極小の針が一瞬だけ皮膚を突き破り、血液を採取する。
機械音声が無機質に告げた。
〈バイタルチェック完了。適正錠剤を配給します〉
すると、青色と赤色の錠剤がトレイに落ちる。
人々はそれを拾い上げ、飴玉でも食べるように笑顔で口へ放り込む。
抵抗も疑念もなく。まるで日常の挨拶と同じくらい自然に。
「イーサンあれって…。」カナタが指を指す。
「あれはVital Linkだ」
イーサンが応える。
「通称VL。まー簡単に言えば健康管理装置ってとこかな。毎日あぁやって血液から不足栄養素や脳内物質を算出して錠剤を出す。これでEMAは生存と幸福を保証しているわけさ」
「全く、俺らの故郷じゃ、今日も人が大勢餓えや大気汚染で死んでるってのによ。ここの住民は飴玉みてぇに薬貰えんのかよ」
故郷との違いをCPは無視できなかった。
ちょうどその時VLに並ぶ列の中の子供がホンザを見上げた。
「ねぇ、なんで髑髏のお面を被っているの?」無邪気な瞳がホンザを見つめた。
ホンザは無言のまま素早い身動きで身に纏っている武器が子供の瞳に映らないように上着の中に隠した。
筋肉質な体をわずかに捻りまるで自分の存在そのものを陰に追いやるかのように。
その仕草を、少し離れた位置からギンが一瞬だけ視線で捉えていた。
だが、彼女は何も言わず、ただ前を向いたまま歩き続ける。
その沈黙は、ホンザの矛盾をすでに理解しているかのようだった。
「このお兄ちゃんはな……」
蟻縞が口を挟み、にやりと笑った。
「照れ屋なんだよ。恥ずかしいから変なお面かぶってんだ。な、ホンザ?」
ホンザは何も言わず、ただ視線を逸らした。厚い沈黙が彼の返答のすべてだった。
「あら、この子ったら失礼しました」子供の母親が慌てて駆け寄り、手を引く。「さあ、行くわよ。今夜の栄養ピルを受け取らなきゃ」
親子は列の最後尾に戻り、淡々と順番を待つ。その姿に誰も違和感を覚えていないようだった。
「随分気がきくじゃねーか。」
CPがホンザの肩を軽く叩いた。
「お前が人に気を使うなんてな、隊長の失敗より珍しいな」
だがホンザはやはり無言のまま、ギンの背を追って歩き出した。
その厚い背中に漂う空気。戦闘での無骨さと、無垢の前では誰よりも繊細な守り手。
その相反する二つの性質が、ホンザという存在を静かに形作っていた。
大通りの脇には、ホログラム広告が浮かんでいた。
『選ばれたあなたに選べる未来を。次はあなたが主役です!』とこの都市の有名女優であろうホログラムが笑顔で手を差し出したと思えば、次は『自然以上に自然な味を。プラーナシスからあなたの食卓へ。新発売:シンセティック焼鳥 タンパク質充填率120%』
そんな謳い文句を眺める事になりながら一行は歩き続けた。
通りの喧騒を抜けたところで見えてきたのは、上空から見たあの巨大ドーム『プラーナシス』だった。
そのドームの入り口の赤い鳥居の下で彼らを待っていたのは一人の異様な人物だった。
頭髪や眉を剃り上げ彫刻めいた顔で、淡い光を反射する滑らかで白い肌は、まるで人工的に仕上げられた陶磁器のように均質だった。
その人物は深く一礼をすると、無機質ながらも澄んだ声で告げた。
「ようこそ、プラーナシスへ。私は〈Cycle-12〉の一人『April』です。本日はリビエラ様の御所へご案内いたします」
GECKO隊は互いに視線を交わした。ギンは軽く頷き、隊を促す。
道は徐々に広がり、景色が一変する。そこは巨大なジオデシックドーム構造のドーム内に広がる人工庭園。
天井は透明なフィルム層を通して柔らかな光が降り注ぎ、枝葉は擬似気象制御システムの風に揺れる。
かつての自然を模倣したように、青々とした果樹には果実が鈴なりに実り、木道が住居に繋がるように敷かれ、その脇には透き通った小川が流れていた。
ここは明らかにダルマロアとは雰囲気が違った。
その違いは住民達の服装や装飾品からも階級の違いが見て取れた。皆一流デザイナーが考案したような正装を纏い、腕や首飾りに宝飾が目立っていた。
Aprilが立ち止まり、手を伸ばして果実をもぎ取ると、そのまま差し出す。
「こちらの果実は、誰でも摘み取り、その場で口にすることができます。きっとお気に召すと思います」
カナタが思わず果実を手に取り、かじった。滴る果汁が口内に広がり、表情がほころぶ。
「・・・甘い!」
「そいじゃ、俺もいただくか」
CPが後に続く。
「便利な時代になったもんだな」
と蟻縞も続いた。
しかしイーサンは木々を見回し、機械的な観察を口にした。
「味覚調整ゲノム改変された果実だ。味や栄養価は最適化されているが、自然乱数は削ぎ落とされている」
その先、住民たちが生活支援型アンドロイドを引き連れ、穏やかに散策している姿が見え、誰もが不満など微塵も存在しないかのように微笑み、互いに挨拶を交わしていた。
やがて豪奢な回廊へと辿り着く。黄金色のアール・ヌーボーを連想させる装飾が施された扉が開かれると、広大な食堂が姿を現した。
見事なまでに研磨されており、天井を反射する大理石でできた中央の長いテーブル。その奥には、一人の女性が待っていた。
白銀の髪をまとめ、身体に沿うシルエットのコートは高い襟を持ち、前面には二列の大きなボタンが並んでいる。腰には金具をあしらったベルトが締められ、全体のラインをさらに引き締めていた。脚は膝上まで覆う黒革のロングブーツに包まれ、その姿はすれ違ってきたプラーナシスの住民とも違う威厳に満ちていた。
そのような漆黒の衣を纏った彼女――リビエラ・リゼンフェルトだった。
背後には、Aprilと瓜二つの十一人が並び立ち、微笑を浮かべ無言のまま来訪者を見つめている。
〈Cycle-12〉は全員が同じ造形、同じ服装であり、灰色の端正なスーツに身を包み、上衣は立ち襟のジャケットで、右肩から斜めに走る合わせが特徴的だ。ウエストは緩やかに絞られており、無機質なデザインの中にも体のラインを強調するシルエットが残されている。
同じ生地で仕立てられたパンツはストレートに落ち、センタープレスが硬質な印象を与える。個を消すことを前提とした制服のようで、ただ胸元の小さな紋章によって識別されるのみだった。
リビエラは柔らかな微笑みを浮かべ、手を広げて迎える。
「GECKO隊の皆さま。ようこそお待ちしておりました。かつて我々がゴルドー隊長率いるGECKO隊の方々を迎えた日を思い出します。彼の勇姿は今も都市の記録に刻まれております」
リビエラの視線がテーブルの上を緩やかに流れ、ギン、蟻縞、CPと続き最後にカナタの前でほんの1拍だけ留まった。
「今宵は心ばかりのおもてなしを用意いたしました」
リビエラが柔らかく美しい動作でゆるりとGECKO隊に着席を促すとCycle-12が一斉に動き料理を運び始める。
ギンの前には、焼き目の美しいステーキと濃いめの赤色のワイングラス。
カナタには、野菜出汁で煮込まれたチキンと青い葉物のサラダ。
蟻縞には、スパイスが大胆に効いた魚料理と薄い白ワイン。
CPの前には、骨付き肉と野菜のソテーに琥珀色のエール。
ペピンには、天然素材のフルーツで作られたスムージーの入った冷たいカップと、消化器に負担をかけないよう暖かく煮込まれたスープの小皿。
ホンザの前には、大ぶりのチキンレッグが一本と新鮮な果物。
そしてイーサン――銀の盆の上、青白い光を宿した新型エネルギーセルが置かれる。
「あなた方の嗜好は把握しています」
リビエラは飾らず告げた。「全て地上から献上された生鮮食品を丁寧に拵えました。市民のために働く方々の、最適なもてなしを誤りたくないのです」
その飾らなさが逆に、なぜここまでわかるのかと疑問を生んだ。
CPが腕を組み直し呟いた。
「・・・諜報の腕も良いってわけだ」
「善意でやってくださってる。せめて笑って受け取ろう」蟻縞が苦笑って言った。
ギンはグラスの脚を指で押さえ、ワインを揺らして色だけを見る。香りは嗅がずに口をつけた後、ナイフとフォークで上品にステーキを切り分ける。
カナタは一度、周囲を見回し、許可を求める視線でギンを見た。ギンは顎をわずかに引く。カナタは恐る恐るチキンを齧り、目を見開いた。
「・・・こんな味が、本当にあるんだ」
「初めて?」リビエラが優しく微笑みながら問う。
カナタは頷き、言葉を探すように口を開いて閉じた。
CPは骨を片手で掴み、豪快に肉を剥がし齧り付きながら、「理想郷のメッキは最高の技術だ」と皮肉を落とす。彼にしては控えめだ。
ペピンは礼を言い、マスクの吸入口にストローを差し込み吸い上げる音は最小限で吸い上げた。
S1-クロウがペピンの前に着地して彼の様子を静かに監視する。
「味は?」蟻縞がいたずらっぽく小声で聞く。
「最適だ」ペピンは答える。「消化負担が少ない。素材の配合比率も完全に俺好みだ」
「ロマンは?」蟻縞が続ける。
「効率に含まれる」ぺピンは淡々と答えた。
ホンザは肉を手に取り、マスクのスリットの奥に押し込んだ。咀嚼の音はしないが首の筋肉が動いた。
肉汁がスリットの縁で光り、彼はそれを指で拭き取ると、静かにナプキンに指を押し当てた。
イーサンは立ち上がり、一礼して受け取る。首筋のカバーが静かに開き、青白いセルが収まる。内部で音がわずかに重なる。
「稼働効率、七・三パーセント向上」彼は報告する。
「それが、あなたにとっての美味であると存じ上げます」
リビエラの声は、心からだった。
それは彼女の柔らかい微笑みから見て取れた。
それぞれの嗜好に合わせた献立は、明らかにEMAによる徹底した分析の成果だった。
やがて静寂の中、リビエラが声を落とした。
「――ひとつ、確認させていただきたいことがあります」
彼女の視線がテーブルを滑り、ギンへと注がれる。
「この都市では…近頃になって、AURMAによる住民の惨殺事件が再発しました。食事の場で触れるには不躾かもしれませんが」
わずかに間を置き、彼女は首を傾げた。
「この場では控えた方がよろしいでしょうか?」
その言葉は、隊員達には不要な気遣いだった。
ギンは平然とした表情でナイフとフォークを置き、淡々と告げた。
「我々は一向に構わないわ」
その声には迷いがなく、任務における彼女の覚悟そのものが宿っていた。
「我々は宴を楽しむためにここに来た訳ではないわ、状況こそ早く伺いたいとこね」
ギンが続けた。
リビエラは微笑を崩さぬまま、深く頷く。
「…では、続けましょう」
リビエラは手元のグラスに口をつけ、ひと呼吸おいてから静かに語り始めた。
「――事件は、都市の最下層『ラグナデルタ』で発生しています。住民のAURMAによる惨殺。現在、数は決して多くはないのですが……その拡大の可能性が問題です」
彼女の声は澄んでいるのに、言葉の端々に棘が潜んでいた。
「遺体は、いずれも不可解な損壊を受けています。破損とも腐敗とも似つかない。まるで形そのものが別の形に“再編”されたかのように」
GECKO隊の誰も、すぐには言葉を返さなかった。
ペピンのS1-クロウが小さく羽音を立て、野生のカラスが姿勢を整えるような仕草をする。
リビエラは続ける。
「さらに、目撃証言は矛盾に満ちています。ある者は“あれは獣の影だった”と言い、別の者は“人の声”を聞いたと語る。しかし、EMAの監視網にはAURMAが出現仕切った後の痕跡しか映らない。EMAの感知出来ない何かがそこで起きるのです」
イーサンが低く呟いた。
「…AURMAの人間ゲノム学習だ」
リビエラは頷き、静かにグラスを置いた。
ギンは目の前の料理を切り分け、リビエラを見据えた。
「EMAはどう捉えているのかしら?」
リビエラはわずかに視線を伏せる。
「…“不満”を表明しています。幸福を保証するアルゴリズムに対する純粋なノイズ。現在のところ処理不可能なエラーに等しい。ただ…。」
リビエラは俯き、右手を口元に添えて続けた。
「排除した“揺らぎ”が、幸福の土壌を構成していた可能性に」
イーサンが短く記録音声を残す。
「哲学的帰結。それは作戦上視野に入れるべき変数ではない可能性が高い」
CPが椅子の背に肘をかけてイーサンに続いた。
「すべては現場が教えてくれる」
「明日、ご案内致します」リビエラは立ち上がり、Cycle-12へ視線で合図した。
「ラグナデルタにフェーズ3へ移行した痕跡が残る路地があります。言葉より実際見られた方が早いかと。今夜はこちらに個室を用意してありますので、お休みください。」
Cycle-12が一斉に深く礼を取り、扉が無音で開く。
ギンは席を立ち、短く命じた。
「装備は近接可変と対ハックシステム、蟻縞は中距離マークスマンを用意、現場のナブラ残渣の解析から始める。――集合は夜明け前」
退室の列が動き出す。
イーサンが淡い光を宿したセルを再確認し、ペピンのドローンが低く滑空して付いてくる。
ホンザは仮面の奥で、ほんの一瞬だけ庭の闇を見た。果樹の影から何かがこちらを覗いてるかのように感じたのだ。
ギンは歩き続けた。だが、彼女は確かに感じていた。
ノイズに似た言葉にならない囁きを。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます