第1章 ⑦


 三枝医師は、何度も頷きつつ、ため息を吐いた。

 と、そこで三枝医師の腕時計から小さな電子音が響き出した。


「おっと、もう、こんな時間か……。夏彦くん、夏音かおんさん」


 三枝医師は、窓枠を離れて二人に近づき、手を差し出した。


「今日は、話しづらい事を話させてしまって悪かった」


 差し出された手を、夏音、次に夏彦が握る。三枝医師の手は、そのほっそりとした白く儚げな印象とは違って、とても暖かで、なんだかとても懐かしいような気がした。

 まるで――


「あかりも君とこうして握手をしたのだろうね」


「!」


 思わず目を見張った夏彦に三枝医師は、力なく微笑んだ。


「あかりは……君の上官だった園田あかり大尉は……世界にたった一人しかいない、私の唯一の友人…………親友だった」





 次会う時は、あかりの話をしよう。

 そんな三枝医師の言葉に見送られて庁舎の外に出ると、辺りはすっかり夕暮れ時だった。

 駐車場の所々に残る爆撃の跡を塞いだ鉄板の上に灯り始めた街燈のオレンジ色の光がぼんやりと輝き、振り返った庁舎の窓には時折、忙しそうに立ち働く職員達の姿が見えた。

 この役所の復旧率は、戦前の六十パーセント程だという。全国平均である四十八パーセントに比べれば高いには違いないが、それでも職員一人辺りの負担は決して軽くは無いだろう。三枝医師のいると思しき五階の一番端の部屋にもまだ煌煌と明かりが灯っている。

 夏彦の視線の先を見つめて夏音がぽつりと言った。


「いい人だったね、三枝先生」


「そうだな」


「三枝先生が言ってた事……やっぱり、気になる?」


「園田大尉の事か?」


 夏彦の言葉に夏音は遠慮がちにこっくりと頷いた。

 感情表現と言う名の色彩を失った夏彦を覘き込む夏音の瞳が仄かに揺れている。

 一点の濁りもない、夏音の鳶色とびいろの瞳。

 その時、園田大尉の顔が夏彦の脳裏に浮かんだ。

 ぱっちりとした鳶色のやさしげな瞳。

 人懐っこい笑顔と長く綺麗な黒髪。

 包み込んでくれるような暖かな声。

 細くしなやかな指が奏でるマンドリンの音。

 休暇から戻る度に、お土産に皆にくれた菓子の甘さ。

 あっと言う間に過ぎ去って行った大尉や仲間たちとの懐かしい日々。

『あかり』というその名前も久しぶりに聞いた。


(大尉…………)


 だが――大尉は、三年前のあの日、戦略生体兵器の少女と共に死んだ。


「…………ぐっ!」


「夏彦くん!」


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