魔女見習いの女子高生、十勝のゲストハウスでスローライフしながら修行に励みます

@tama_kawasaki

春の章

第1話 見習い魔女、十勝に降り立つ

「――当機は、とかち帯広空港に、着陸いたしました。」


 CAさんの穏やかなアナウンスが、うたた寝の浅い夢から私を現実へと引き戻した。

 窓の外には、さっきまで綿菓子のように浮かんでいた雲の代わりに、どこまでも続きそうな灰色の滑走路が広がっている。

 東京の空港とは違う、どこかのんびりとした空気が、ガラス越しに伝わってくるようだった。


 ――いよいよ着いてしまった。


 今日から、私の新しい生活が始まる。北の大地、十勝・帯広で。

 シートベルトのサインが消えるのを待ち、小さなスーツケースを頭上の棚から下ろす。

 周囲の乗客たちは慣れた様子で出口へ向かっていくが、私の胸の中だけが不自然なほど高鳴っていた。

 期待が半分。不安が……たぶん、もう半分。

 手荷物受取所に着くと、空港職員さんが見慣れた白いペットゲージを抱えて近づいてきた。


「ニャアアァーッ!」


 近づくなり、中から盛大な抗議の声。

 私は慌ててゲージを床に下ろし、小さな扉の網に指をかけた。


「テト、お疲れさま。もう着いたからね」

「ミャーゴ、ニャッ、ニャアアアン!」

「うんうん。わかってるよ。狭くて暗くて退屈だったんだよね。でも、もうちょっとだけ我慢して?」

「ニャッ!」


 ぷい、と中でそっぽを向く気配。

 黒猫のテト。

 代々、我が家に仕えてきた由緒正しい使い魔の末裔であり、私の大事なパートナー。

 ……まあ、今はただの不機嫌な黒猫だけど。

 私たち魔女の一族は、使い魔の言葉を理解できる。

 周りにはただの鳴き声にしか聞こえないそれも、私には意味のある言葉として届くのだ。


「ごめんってば。でも、飛行機に乗るにはこれしかなかったんだから」

「ミャ……」

「お詫びは後でね。とびきり美味しいお魚、用意してもらうから」


 その一言に、テトは喉の奥で小さく「ゴロリ」と鳴らした。

 ほんと、現金なやつだ。

 私はスーツケースのハンドルを伸ばし、片手でテトの入ったゲージを持ち上げ、到着ロビーへと続く自動ドアをくぐる。


「さて、と……」


 ロビーはこぢんまりとしていて、出迎えの人々がそれぞれの到着を待っている。

 その中にいるはずだ。私の居候先であるゲストハウス〈麦風〉のオーナーで、母の親友の娘さん――北原葵さんが。

 最後に会ったのは、私がまだ小学生の頃。

 記憶は霞んでしまっていて、母が言う「快活で面倒見のいいお姉さん」という印象だけが頼りだった。


 キョロキョロと人の顔を見渡す。

 ……けれど、それらしい人影は見当たらない。

 人々は次々に家族や友人と合流し、ロビーを去っていく。あっという間に、人の数はまばらになった。

 ぽつん、と取り残された私とテト。


「……いない、みたいだね」

「ニャーオ?」

「うん。葵さん、北原葵さん。金髪ショートでモデルみたいに背が高いって聞いてたんだけど」

「ミャ?」

「もしかして、飛行機が遅れたって思ってるのかな。ううん、定刻通りだったし……まさか、忘れられてたりして」


 胸の奥に、急に心細さが湧き上がってくる。

 知らない土地で、たった一人。いや、一人と一匹。

 母から教えられた番号に電話をかけようかとスマホを探した、そのとき――


「ニャッ! ニャアアン!」


 テトがゲージの中で身じろぎし、ある方向を指すように鳴いた。


「どうしたの、テト? ……あっち?」


 視線を向けると、ガラス張りの喫煙所が目に入る。

 その中で、一人の女性がスマホの画面に釘付けになっていた。

 黒髪のショートボブに、黒いライダースジャケット。

 すらりと背が高く、姿勢が良い。けれど、髪色は金じゃない。

 彼女は画面を睨みつけたり天を仰いだり、忙しなく表情を変えている。


「まさか、あの人じゃ……」


 そう思った瞬間――

 彼女はスマホを握りしめ、祈るように目を閉じた。

 そして、雷に打たれたみたいにガッツポーズ。


「っしゃあああああああああ!!!!!」


 ガラス越しでも響きそうな魂の叫び。

 その勢いのまま、彼女は喫煙所から飛び出してきた。

 その手には、まだ煙を上げるタバコが。

 危ないってば!


「きたきたきた! よっしゃ!」


 その迫力に、周囲の人々がじりじりと距離を取る。

 当然、私も固まった。

 そして――その女性と目が合う。

 ぴたりと動きが止まり、大きな瞳が私を上から下までじーっと眺める。

 白いペットゲージに視線を移し、また私に戻る。数秒の沈黙。


「……え、うそ」


 ぽつりと呟き、ゆっくりと近づいてくる。

 タバコの香りに、ほんのり甘いミントの匂いが混じっていた。


「もしかして……雪村さんちの、あかりちゃん?」

「は、はい! 雪村あかりです!」


 思わず背筋を伸ばして答えると、彼女は「まじかー!」と叫び、わしわしと自分の髪をかき乱した。


「ごっめーん! ばんえい競馬の最終レースに夢中になってた! いやー今日ツイてんのよ、マジで。見てよこれ、万馬券!」


 スマホの画面を突き出される。

 数字と馬名の羅列。意味はさっぱり分からないけど、彼女のテンションの高さだけはビシビシ伝わってくる。


 ……どうやらこの人が、北原葵さんらしい。


 母の言っていた「快活で面倒見のいい大人の女性」というイメージが、頭の中でガラガラと崩れていく。

 いや、快活なのは確かだ。快活すぎるくらいに。


「あ、あの、北原……葵さん、ですか?」

「そ! ごめんごめん、飛行機の時間ちょっと勘違いしててさ。いやー、それにしても、すっかりめんこくなったでないの!」


 あははと笑う葵さんは、大型犬みたいに人懐っこくてエネルギッシュで――そして、ちょっとワイルドだった。


「あのう、お客様。おタバコは喫煙所でお願いできますでしょうか?」


 警備員さんが、有無を言わせぬ丁寧さで声をかけてくる。


「……あ、悪い悪い! 万馬券取ったからついね!」


 葵さんは笑って警備員の肩をポンと叩いたが、渋い顔をされて「スンマセン」とスゴスゴと喫煙所に戻っていく。

 その背を見送りながら、テトが小さく「ウニャニャン」と鳴いた。


「……ヤニカスって、何?」

「ニャニャ」

「……人間社会の、とっても残念な属性?」


 首を傾げる私をよそに、ゲージの中でテトが尻尾をくいっと振った。

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