最後の夏を、何度でも。
@takuya_0528
第1話 夜明けを知らない街
夜の街は、まるで色を忘れたみたいだった。
灰色の空が、ネオンの明滅でかすかに照らされている。
通りを走る車のライトが、雨上がりの路面ににじむ。
それでも、どこか遠くに感じる。
まるでこの世界に、自分だけが取り残されたようだった。
俺は、作業服のまま歩いていた。
金属の擦れる音。乾いたブーツの底が、アスファルトを叩く。
夜風が首筋を抜けても、何も感じなかった。
暑いのか寒いのかもわからない。
そんな感覚の鈍さにも、もう慣れていた。
今日も同じ景色。
昨日と何も変わらない。
何年も、何も変わらなかった。
倉庫の出口で交わした無意味な挨拶。
同じ顔ぶれ、同じ動作。
何も考えずに積み下ろしを繰り返すだけの毎日。
誰も、俺の名前すら呼ばない。
信号が変わる。
赤い光が目に刺さるように滲む。
それすらも、どこか色を失って見えた。
「……また、同じ夜か。」
呟いても返事はない。
人の気配が消えた交差点。
街灯の光だけが、俺を照らしていた。
ふと視線の先に、コンビニの看板が見えた。
「……晩飯、買わなきゃ。」
チリン——。
ドアベルの音が、やけに澄んで響いた。
冷気と蛍光灯の白。
並んだ弁当のパッケージが、色を持たない絵の具みたいに見える。
雑誌ラックの見出しも、鮮やかさを失っていた。
その時だった。
スピーカーから流れ出す、あの旋律。
〜♪
体が硬直した。
握った指がわずかに震える。
……やめてくれ。
もう、聴きたくない。
喉の奥が焼けるように熱くなる。
頭の奥に、声が蘇った。
『ねぇ悠真、もしもさ、また明日があるなら——』
——“あの声”。
思考が止まる。
視界の端が揺らぐ。
俺は棚に置いた弁当を掴みそこね、そのまま足早に外へ出た。
夜風が頬を刺した。
でも、その風にも、色がなかった。
まるで世界のすべてが、俺の心に合わせて息を潜めているようだった。
歩道橋を登る足が重い。
鉄の手すりに手を置くと、冷たい感触が伝わる。
下を走る車の列が、蛍のように流れていた。
スマホを取り出す。
“澪”という名前が画面に浮かぶ。
最後に送ったメッセージは、もう何年も前。
未読のまま、時だけが積もっていた。
……もう、いいだろ。
ここまで生きた。十分だ。
指が震える。
“送信”ボタンの上に、汗が一粒落ちた。
「最後に——夢でもいいから、もう一度会いたい。」
押した瞬間、世界が音を失った。
風も街の光も消えていく。
夜空が裂けるように白く光った。
——そして、俺の視界は真っ白に弾けた。
――――――――――――――――――――
まぶしい光が頬を照らす。
瞼の裏に、あの“白い光”の残像が焼きついていた。
……死んだのか? これが、あの世……?
目を開けると、見慣れた天井が広がっていた。
いや、違う。
懐かしい天井だった。
「……どこだ、ここ?」
体を起こすと、ベッドの端が軋む。
壁のポスター、机の上の教科書。
窓際に置かれた小さな扇風機。
——すべてが、十年前のままだった。
指先が滑り落ち、ベッドから転げ落ちる。
「いてっ……!」
ドアが勢いよく開く。
「何やってるの悠真! 支度しなさい!」
若い女性の声。
顔を上げると、そこに立っていたのは——
若くなった母だった。
髪はまだ黒く、笑い皺も薄い。
懐かしい匂いが、ふっと鼻をくすぐった。
「今日、澪ちゃんの家で宿題やるんでしょ!
あんた、また忘れてるでしょ!」
「……母さん……?」
母は首をかしげて笑う。
「なに寝ぼけてんの?」
ドアが閉まる。
静寂の中、俺は鏡の前に立った。
そこに映ったのは——高校生の俺。
額の皺も、くすんだ瞳もない。
手には、仕事の跡がなかった。
……まさか。戻ったのか……?
窓の外では、蝉が鳴いていた。
朝の光が、部屋いっぱいに差し込む。
白黒だった世界が、
一気に色を取り戻す。
青い空。
白い雲。
蝉の声。
すべてが眩しく、痛いほど鮮やかだった。
——10年前の夏が、始まっていた。
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