第18話 split The atom

【ボゴールに拉致されたミナは、ムエルテの本拠地に連行される】


 男は自身をボゴールと名乗った。


「俺はボゴール。みんなボゴールだ。みんな娑婆から外れちまった奴だ、娑婆って何かって?そりゃパパ・ゲテが知ってる。ここに来る時に見たろ、レグバだよ」


 そう言って男は引き笑いをした。男の太い腕に首をロックされたまま、ミナは彼に引きずられながら歩いた。背後には武装した男達が、ボゴールの話を聞きながら笑っている。彼の言うことは全く理解できなかったし恐怖で一言も発せなかった。


「なんだ?ハッピーじゃねえな。でも大丈夫だ、ハッピーは、うん。ハッピーは摂取できる。他人のハッピーを貰うのさ、世界は助け合っていかなきゃいけねえ、お前宗教はなんだ?ああ、バグベア白豚はダメだ。俺たちからハッピーを奪う。奴らは俺たちからパパ・ゲテもロアも奪って行きやがった。許せねえよなあ?!」


 声を荒げた男に呼応して、背後を歩く二名の武装兵士が、yeah!と声をあげた。興奮してきたのか、呼吸を荒くし始めた彼が、更なる力でミナの首を締め上げた。首が引っこ抜かれそうだった。痛みと窒息に苦しみながら彼の酷く明るい声を聞いている。


「ハァッ……知りてえんだろう。教えてやるよ、俺を知りてえんだよな?わかってる。俺たちは全て知ってる。VOODOOがそうさせた」


 言いながら男が両開きの扉を手で押し開けた。ペンキで書かれたストリートアート、ミナもそれに見覚えがあった。貧民街で見かけたあのストリートアート群は、こいつらの仕業だった、と断言できる。スケルトン、G・Vのカリグラフィー、そして悪趣味な聖句の改変。開け放たれた扉の奥には矢張り町があった。站夢巷(ジャンモンシアン)とはまた違う趣を持った、縦に長く作られた町。南ランドマリーの気風を取り入れたエキゾチックなスラム街。至る所に下げられたロープからはカラフルな衣類や旗が下げられている。日光の入らない街の中を照らすのは主に蝋燭だ。螺旋状に作られている粗雑な足場の通路には、必ず蝋燭とマリーゴールド、ケイトウの花が飾られている。そして小さなバラックの軒先で、様々な人が壊れたギターをかき鳴らし音楽を奏でていた。あるものは歌い、あるものは踊っていた。その明るい開放的な世界と同じレイヤーに、人の生首が並べて飾られている。


「ここがLa Fosaラ・フォサだ。人生の楽園だよ、楽しめセニョリータ」


 そう言ってミナの肉体を投げ出したボゴールは体を上下に揺らしながら背後の男に呼びかけた。


「Verifique a bagagem dela(女の荷物を調べろ)」


 膝をつき倒れ込んだミナの髪を掴んで男が彼女の衣類に手を伸ばす。カメラを取り上げられ、カヴィアがくれたセーターを引き抜かれた。


「………!やめてッ………!」


 どうにか出せた声は、煤けた様に枯れて男達に届かない。そして衣類の下に挟んでいたジッパーバッグを取り出され、中身を確認された。男達がチケットを手に取る。G・Vと記入された血液で汚れたチケットを見つけた男はボゴールにそれを差し出した。それを確認したボゴールは両手をあげて大声で落胆した。部下の手の中にあった3錠のVOODOOを取り上げ、へたり込んだミナに視線を合わせるため腰を屈める。大きくて陽気で、意味のわからない説明がボゴールというスケルトンから発された。


「Ooh!meu Deus!なんだよセニョリータ、お前は仲間だと思ってたのに……。お前も行っちまうのか、悲しいぜセニョリータ、お前なら少し高く売れるんだ、ああ、気にするな。お前が貧相なケツを振れないってんなら、肉になってもらってもよかった……。G・Vだ、お客さんだ。お前の腹の中にしこたまVOODOOを詰めるつもりだったってのに。行っちまうんだな、虹の向こうに。お前ならきっとこのリベルタリアを理解してくれると思ったんだよ俺ァ。だってここならなんだって叶うんだ、俺はベルゼスター(高級車)も持ってる。デリアン(高級ブランド)のスーツも、見ろ黄金だって買える。いつだってブリブリだぜ。お前にも味わって欲しかったんだがなぁ……」


 そう言いながらボゴールは口元に手巻きのタバコを持っていく。ミナは彼の骸骨を模したタトゥーを見上げながら、恐怖に体を震わせた。けれどもボゴールは唇を突き出し、視線を空に投げニヤニヤと笑っている。そのうち、彼が吸い込んだ煙がミナの顔に向かって吐き付けられた。酷い匂いと喉を焼く刺激に咽せた。酷い品質のジャングル(大麻)だ。訳のわからない薬物を数種類ブレンドして、低品質の香水を振り掛けた見栄っ張りで見せかけの煙。ボゴールは煙に塗れたミナを満足げに見つめて立ち上がる。


「お前は大金持ちだ。だってVOODOOを持ってる。たった一つで城が建つんだぜ?それを三錠も持ってる。お前は幸福だ。三つ、対価をやろう。俺は寛大だし狂ってもいねえ。右の芝生が溶け込んでるが気にするな、サルヴァドールが手を叩いたんだ、リズムが聞こえるだろ……?ほら、言ってみろ」


 喉の奥を責め苛む気化した薬物のお陰で咳が止まらなかった。嗚咽混じりの咳をしたらやっと体の感覚が戻ってきた。彼の言葉で理解できた数種類のワードを、頭の中で再構築して、適切な答えを探す。そして言った。


「カメ……カメラと、取材、道具を、返して……」


「OK。二つだ」


 彼がまた煙を吸い上げる音がした。さっきの苦痛を思い出して喉の奥に酸い物が上がってくる。それを飲み込んで、か細い声で彼に懇願した。


「こ、ころさ、ころさないで………」


 ミナの懇願を聞いたボゴールは息を止めて目を見開き、その後大声をあげて笑い出した。彼のそばの男二人も銃を持ったまま腹を抱えている。


「YO!セニョリータ!そんな事でいいのか?殺さないさ、俺たちがそんな悪人に見えるか?陽気で明るいイケてる奴らだ、そら、サンバだ!それとも気分でファドでも歌ってやろうか?あんたが踊ってくれるなら俺たちは大歓迎さ」


 男達はそう言って、下卑た笑い声を上げた。お互いを見て、暗い口内をいっぱいに押し開きながら大笑いしている。何がおかしいのかわからなかったから、ミナは腕で耳を塞いで頭を抱えた。次の瞬間、銃声がして何か大きなものがミナの目の前に倒れ込んできた。全身を震わせて咄嗟に音の方向を見た。ミナの目の前に横たわっているのは、頭部が破壊された男の死体だった。声など出せなかった。目を見開きながら男の死体を見続ける。視線を逸らせば殺されるとミナは確信する。呼吸すらも苦痛、La Fosaラ・フォサは死人の国だ。


「俺は悪人じゃねえ。口の利き方に気をつけろ」


 一段と低くなった男の声が聞こえる。そちらを見れないミナはただ、血を流し続けるひしゃげた頭蓋骨に視線を向けていた。遠ざかるボゴールから硝煙の香りが流れてきた。彼らを覆う空気は緊張、張り詰めた弓の弦の様な。だから大笑いしていたもう一人の男も神妙にボゴールの動向を伺っている。


「G・Vチケットを持ってるヤツは全員クズだ。だから天国行きさ。今からお前を輸送する。ヘイ」


 武装兵士にそう声をかけ、ボゴールの気配とジャングルの匂いが遠ざかっていく。脅威が去った気はした。同時に新しい脅威がミナの背中に立っている。ボスというものは、秩序の体現者だ。コミュニティがどれほどカオティックであろうとも、ボスの周辺には一定の秩序が形成される。それは暴力から遠ざかる、という事。ボスの去った場所に残るのは小悪党の破壊行為だ。


 首の後ろに強い衝撃を感じた。肺から押し出された呼気が、「うっ」と無様な音を立てる。段々と眠くなる。ミナは目を閉じた。目を閉じて世界を否定することは、ミナの唯一の逃げ場所だった。


 ◇◇◇


 深く息を吸い込んだら、花の香りが肺に満ちた。

 朦朧とする意識の中、遠くに誰かの笑い声と歌う声を聞く。ミナは思い出す。あの古ぼけた実家、家畜用の飼料を積んだ馬小屋の周りで姉と走り回った。あの頃、足の裏をくすぐる藁の感触は心地よかったし、世界は白く発光していて美しかった。姉や妹と手を握り合って星空を見上げて藁の布団で眠った。太陽の香りがどういうものか、ミナは知っている。それは大地を焼く香り、穀物の香り、豊穣と安心の香り。その香りは花を携えていつもミナの隣にあった。懐かしいな、と彼女は思う。そう感じたら途端に後頭部が痛み始めた。顔を顰めて頭を抑える。体に感覚が戻ってくる。白い視界が色を保ち始める。そうしたらやっと夢から目が覚めた。


 息を吸って体を起こした。そうして周囲を確認する。恐らく、小さなテント。けれどもテントの中は無数のドライフラワーで飾られ咽せ返る様な甘い香りに満ちている。寝具に手を伸ばした。簡易だがしっかりした作りのベッド、多分藁が詰められている。掛け毛布は多分織物だ。非常に質の良い、赤と茶、そして黄色の美しい民族調パッチワーク。黄色のテントからは外の日の光が透けていた。頭を抑えながら記憶を辿る。確かラ・フォサに着いた時はすでに16時を過ぎていたはずだ。テントを差す激しい光は朝のもの。時間がわからない。テントの外から女性の歌う声が聞こえている。複数人だ。まだ夢を見ている気分で、ミナはベッドから立ち上がり、テントを覆う幕を払う。


 そこには完璧があった。青く澄み渡る空、その下に鬱蒼と繁る森。開けた大地は全て柔らかな芝で覆われ、その場所の至る所に花が咲き乱れていた。テントの前は湖だ。延々と続く湖は凄まじい透明度のまま、空の色を湖面に写し込んでいる。鳥が鳴いている。蝶が舞い踊る。蜂が蜜を求め花から花へと飛び回る。その完璧の中に女達が居た。皆花の冠を被り、麻のドレスを身に纏っている。ドレスはまるで虹色かと見紛うほど、世界にある美しい色が全て彼女達の衣類に集まり花の柄になり、彼女達を飾っている様だ。彼女達は笑いさんざめきながら、織物を行っている。彼女達の手の中に赤い繊維が認められた。


 呆然とその光景を眺めていたミナに女性の一人が気づいて視線を寄せた。彼女はその美しいブロンドを靡かせて嬉しそうな声を上げた。他の女性達もミナの存在に気づき、驚き、喜び、そして口々にこう言った。


「ようこそ!ギーガービレッジへ!」

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