第15話 Collider 2

【ムエルテの支配地域に足を踏み入れた二人は、ゾンビ達の襲撃を受ける】


 より闇は濃くなった。

 今が何時なのかわからない。站夢巷ジャンモンシアンを出たのが朝の10時前だった。それから白骨幇バイグーバンの連中に拘束されながら、大穴までの道を多分一時間近く歩かされている。計算してミナは腕時計を開いた。記者のガジェットだ。発光する秒針は確かに午前11時を指しているが周囲はまるで真夜中の様に暗い。光源も少ない方がいい、とカヴィアに言われたので、ミナは最新の注意を払いながら腕時計の文字盤を覆っているベゼルを回した。これで録音は可能。中央にカメラは仕込んでいるが、この暗闇で映像の撮影は無理だろう。けれども微かな光源を頼りにすれば周囲の状況を記録することも出来る。


 一部でいい、と細い息を吐きながらミナは考える。自分の状況、身に起きたこと、それらをなるべく一次情報として記録する事。この暗闇と圧迫感、緊張と恐怖、自分の呼吸音すら聞こえるほどの静寂と、砂を擦り歩く音。そして。


 その静寂を切り裂き唸りながら近づいて来る何者か。


 フラッシュライトが対象を照らす。そいつは、四つの腕を振り回しながら硬直した足を引きずって近づいて来た。青白い光に霞んで照らされていたそいつを視認したミナは、彼の姿をもう一度脳内で反芻する。違う、腕じゃない。骨から肉がはげ落ちていて、それがぶらぶらと肘の下で揺れているのだ。咄嗟に腕時計内のカメラをそいつに向けた。瞬間乾いた音がして、眉間を撃ち抜かれたそいつは後方にのけぞりながら倒れる。次に左、ミイラの様に干上がった体を持った何かが必死に起きあがろうとしている。眼球はもうない。カヴィアの正確なエイムが、そいつの頭蓋をこめかみから割る。次に正面。まだ衣類を身につけている男性のゾンビだ。誰の首に噛み付いたのだろう、頬の肉は耳まで裂け、中からウジ虫がこぼれ落ちている。見る間にその男の喉がカヴィアの銃撃で破裂し、内容物が飛散する。


 ミナは一度呼吸を止めた。どんな現場でも経験のない凄まじい悪臭が鼻をつく。全身に死の香りがまとわりついて離れなくなっている。そしてカヴィアも緊張を解かない。アサルトライフルは常にリロードされ、逞しく頼もしい小さな背中は引き締まっている。


「ミナ」


 低い声が聞こえた。最初、カヴィアの声だとわからなかった。戦士という職業は、人間に凄まじい二面性を強制する。


「ここから多分数が増える。武装して」


 微動だにしないカヴィアの姿で意味を悟った。彼女が背負っている大きなバッグに手を伸ばす。そしてそこから重く固い小銃、ポエーティカMKを手に取った。両手に包まれた冷たい小銃は、罪の重さをしてミナの手に握られる。重さに耐えれなくなった手が震えて取り落としそうになった。その全てを無視する現実の冷徹さで、カヴィアの指導が始まる。


「銃床からリロード。弾は16発。カチって音がするまではめ込んで。撃つ時は迷いなく、腕を真っ直ぐ伸ばして。迷ったら死ぬ」


 また乾いた音が響いた。サイレンサーを取り付けたカヴィアの銃は何事もなかったかの様に構えられたままだ。倒された死体を見る間もない、何かが崩れ落ちた音がした。震える指を励ましてミナは小銃を握り構える。カヴィアの照らす経験の光の中で、ただ生き延びる為に。


 どのくらい歩いたのか、ミナは時間を確認する為に腕時計を確認した。正午過ぎだ。ミナが武装してからも、数十分置きに彼らはゾンビの襲撃を受けた。が、カヴィアの見事な制圧によりミナは安全を確保できている。薄暗さも慢心に拍車をかけた。闇に慣れ始めたミナの視線は、周囲を警戒ではなく観察し始めている。そして気づく。真っ直ぐな暗い廊下の中央にポツンと灯る、豆電球だ。まるでスポットライトの様なそれに、まずミナの視線が寄せられ、誘蛾灯の様に体もそれに向かおうとした。大きく出した足でカヴィアを追い越そうとした。ミナにとってそれは小さな希望だったのだ。カヴィア、明かりだわ、もう直ぐ外に。


「伏せて!」


 カヴィアの絶叫が響いて、ミナの手が後方に引かれた。そのまま倒れた体の上を、無数の何かが通り過ぎていく。乾いた破裂音が前方から鳴り響いている。銃。銃撃だ。頭を抱えて顔を伏せた。胸の中にカメラの硬さを感じながらそれを守った。数分の乱射の後、スポットライトの下に現れたのは銃を持った男達。半裸の男達の上半身は、タトゥーで覆われている。そいつらは亡と上空を眺めながら、静止したままだ。床に這いつくばり、銃撃の埃で汚れた顔を起こして彼らを見上げる。揺れる豆電球の灯りに、白と黒を繰り返しながら奴らは姿を現した。視認した瞬間に全身が震えた。ゾンビだ。そいつらは、死にたて、或いは今まさにゾンビになろうとしている連中だった。頭の半分がなかったり、腑がえぐられていたりした。心臓を抉られている者もあった。照準を合わせるなど最初から考えていない雑な銃撃も納得がいく。指先さえ動けば、銃撃は可能なのだから。


「立って!」


 カヴィアの檄が背後から聞こえて同時に彼女の迎撃が始まった。次々と割れていくゾンビ達の頭を見て、堪えていた涙が溢れてきた。涙を拭く間もなく喘ぎながらカヴィアの背後へ後退をした。豆電球の向こうの闇から声が聞こえてきた。酷く陽気だ。


 Dança, dança, com os pés na cova!(踊れ、踊れ、墓穴に足を突っ込んで!)


 それから引き攣るような呼吸音、数十の足を引きずる音。カヴィアは目を見開いて周囲を見渡す。揺れる豆電球の光源が左の壁に何かを映し出した。途端、左に向け発砲したカヴィアは壁に見えていた扉を蹴破る。腰の抜けたミナを引きずりあげ、扉の中に押し込める。真っ暗な部屋の中に押し込まれ白黒した意識のまま、立ち上がるために手が空を掻いた。その手に蜘蛛の巣がべったりと引っかかる。背中でカヴィアが扉を閉めたから光源が消えてしまった。手探りで周囲を探っていたら何かに触れた。冷たくて湿っている。それは死人の——。カヴィアのフラッシュライトが照らし出したのは真っ白に目を向いた老婆のゾンビだった。口元は真っ赤に染まっている。それがミナの目の前で大きな口を開けた。ホラー映画さながらの大絶叫を挙げたミナの背後から銃声がして、目の前の老婆の眉間を撃ち抜かれた。


 倒れていった老婆の死体を呆然と眺めるミナの背後をすり抜けたカヴィアは既に次の行動に移っている。リビングをブーツで踏み荒らしながら横断し、窓ガラスを割る。体を乗り出し上部を見上げた。そんなカヴィアとは対照的に、ミナの精神はもうキャパシティを越えていた。脳が処理に追いつかない。状況が変わるたびに体が置いていかれる。


「行くよ!隣の部屋から別ルートを辿る!行って!GO!GO!GO!」


 狭苦しい共同住宅よろしく、隣の部屋のベランダまでほぼ距離はなかった。先ずはカヴィアが鋭いガラス片で身体を擦られながらベランダに降り、次いでミナを引きずり出した。痛みはあったけれど、カヴィアの渡してくれたセーターが保護をしてくれている。真っ暗な階下から風が吹き上げてミナの頬に張り付いた髪を払った。


「あそこからもう一階上に登れる」


 カヴィアが立つ隣の住居のベランダの奥に、錆びたハシゴが伸びている。上階にあるいかがわしい発色のネオンサインに照らされて、そいつは実にケミカルな光を反射させていた。


「14階からボイラー室を経由して非常階段に出るよ。遠回りだけどここよりは安全。行こう」


 一瞬の休憩すら許さないカヴィアに不満を持ったけれども、彼女の実力はこの目で見た。喉の奥から上がって来た吐き気を飲み込んで、力の抜けた腕で手すりを持った。震える身体を制御しながら、ミナはやはり前を向く。カヴィアと少しでも同じ方向を見るために。

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