第2話 Leakage

【感染抑制センターからの密告――ゾンビは薬物の痕跡だった。】


 バー・ブラスマイクスに着いたのは21時を少し過ぎた頃だった。店内は酔った人間、または亜人たちでごった返している。その隙間に体を捻り込ませ、どうにかバーカウンターに落ち着くことができた。だが人の話し声と笑い声、その上に質の悪い音響が音割れした音楽を届けるから、店の中はただただ騒々しい。大声でカウンター内のバーテンにエールを注文する。待つ間周囲を見渡した。ランドマリーは移民によって建てられた国だ。原住民族である亜人を亜人自治区に押しやったのは、ヒューマン種の魔法、科学だった。血みどろの戦争と闘争の果て、種族は混ざり均質化した。犬の風貌をした男性店員から水滴の伝う冷えたエールのジョッキが差し出される。一口エールを飲んで再度店の中を見渡した。古い木で組んだ梁からぶら下がっているのは、年代物のシーリングライトだ。古き良き時代を光の中に閉じ込めて、その下で踊る労働者達を労っている。バーカウンターの右奥では、猫型のセクシーな女性亜人が、ヒューマン種の男性に抱き抱えられながらビリヤードに興じている。ミナは目を細める。この店の中にある全ての物、輝くマジックネオン、がなりたてるカントリーミュージック、猫型亜人の媚びた目の色や、赤ら顔のレッドネックが彼女の尻を撫でる仕草など、全てが気に入らなかった。亜人と人は均質化した、などと社会は言うが依然差別はある。キマイラを撃退した英雄カーターなど、ミナにしてみれば性犯罪者に等しい。彼は多くの亜人を奴隷として扱ってきた。


「ヘイ」


 不機嫌を顔に貼り付けたまま、振り返る。そこには他の客と遜色ない、赤ら顔のヒルビリーがいた。身なりはまだホワイトカラーだが、こんな場所で女に声をかけるのは総じてブルーカラーの下層民だ。


「姉ちゃん、一人かい?どうだ、俺と飲まねえか」


 言葉の最後に下卑た笑いを付け加えて髪の毛の薄い丸顔の男は笑った。人種はホワイト、髪の色はブラウンだ。Mの文字に後退し始めた頭髪にオレンジの光が反射している。目を細めて低い声で言った。


「人を待ってる」


 端的だ。


 小太りの肉体をバーカウンターに預けて、男は芝居がかった調子で声を張り上げる。カァーッ!つれねえなあ。男は笑いながらミナの背を通り過ぎる。彼のふらつく足が調子を崩し、ミナの背にぶつかった。上がったストレス値を下降させるため肩をいからせてため息をつこうとした時、カウンターとミナのひじの間に何かが差し込まれた気配があった。視線を下ろして、恐らくは名刺を見る。CCIという文字だけが見えたから、彼女は立ち上がってそのM字ハゲの男に呼びかけた。


「来ないって連絡があったの。腹が立つから、貴方と飲みたい。どう?」


 男は振り返って、緩んだ瞳を閉じながら頷いた。ミナはそのまま彼の足元と顔を確認する。飲んでいないわけじゃないんだろう。けれどもまだ酔ってはいない。


 ◇◆◆


 店を出た男は顔を隠し周囲を警戒しながら鋭い足取りで歩き始めた。やっぱりだ。彼の背中に追いついて、息を整える間もなく彼に聞く。


「どこで話すの」


 何かから逃げるような歩みを止めず彼は右のネオンを見ながら呟く。「聴かれてる。マジックジャマーは?」取材の七つ道具だ。当然常備してある。この世界の鉱石というものはマナを含む。うち鉱石は最もマナを記憶しやすい。不恰好で大きなトートバッグを覗いて、マジックジャマーを起動させた。周囲2メートルの限定された空間、恐らくは球体の、それが一瞬震え、空気が粘性を持つように重くなった。そうしたら男はやっと歩幅を緩める。


「ジャマーはどこのだ?質が悪いな」


 鼻の上に皺を寄せて、ミナは彼に食ってかかる。


「高いのなんか買えない。代替メモリーは二人で歩いているだけだし、会話もテンプレート。要は内容がわからなきゃいいんでしょ。高いの買う必要ないわ」


「テンプレートの会話は怪しまれる。内容自体は抹消されるがな、ここだ」


 男が顎を振りながらミナを案内する。白い石段の先には落ち着いた雰囲気の小さなバーの入り口があった。小さな看板には、「バグベア」の文字が見て取れる。大きな彼の背に隠れるよう、続けてそのアンティークな扉をくぐる。かなりクラシックな形のバーカウンター、ミュージックはジャズ、少しだけ鼻につく、エスタブリッシュメントな空気。バーテンはヒューマン、鋭い目を一瞥こちらに向けただけでもてなす気配は見られない。エスタブリッシュメントは距離を尊重する。カウンターの奥にあったシートに腰掛けミナは早速バッグの中から、記録媒体の貧者の眼とペンとノートを取り出した。白いシャツを着たハゲ頭の男はバーテンに声をかける。「スタートレインを二つ」そのまま声を潜めて顔を近づけた男が言った。


「不思議なもんだな、バグベア、だとさ。この国の富裕層は基本的にホワイトの男性だ。その癖奴らは自分の事を白豚バグベアと卑下する。蔑称をありがたがるんだ。何でかわかるか?それだけ悪どい事をやってるから罰されたいのさ。それで許されると思ってやがる」


「貴方だって白人男性でしょ」


 ノートを開いてペンを手に取った瞬間、スタートレインを持ったバーテンがやってきた。黒く濃い色のブランデーシロップに、マナでコーティングしたスネイルを混ぜたアルコール。好きそうだ、とミナも思った。黒いブランデーを縦横無尽に走り回るスネイルの白、マナがそれを虹色に点滅させ自由に対流させる。メッセージがそこにある。我々は世の全てを自由に扱える人間だから、我々を白豚と呼ぶ事自体は許容するよ。


「名前は偽名。録音は禁止だ、眼を使うなら話さない。それだけデカい。本来ならケムトレイルに扱える問題じゃない。だが恐らくワールドクロックは扱わない。だからケムトレイルに持ち込んだ。財政界に知られればきっと俺は殺される。俺は死にたくない。その為の措置だ」


「わかってる」


 そう言って、貧者の眼、記者の七つ道具の一つをバッグに仕舞い込んだ。薄いドーナツ型の木の板は、右回りに縁をなぞれば録画を行い、左回りに縁をなぞれば録画した記憶を再生する。既にミナのトートバッグの中には、録音をし続けているもう一つの貧者の眼が仕込まれている。


「CCI、感染抑制センター(Center for Contagion Inhibition)に運び込まれる感染症患者が最近偏り始めている。主に貧民街シンク、レックサイドやキャロウ・ヒル、クレイドル中心に、だ。ゾンビ化、グール化は感染症の症状だ。感染力が強いから水際対策が必須になる。だが、最近収容されたゾンビどもはウイルスに感染していなかった。ウイルスが検出されないんだ。代わりに彼らの肉体を蝕んでいたもの。それがオキシフィンだ」

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