第19話 音を継ぐ者
――世界が、ざわめいていた。
それは声ではなく、風でもない。
胸の奥に響く“音”のうねりだった。
灯台の上で、リュカはその中心に立っていた。
手の中の黒い石――〈音の根〉が、淡く光っている。
光は細い糸となって街へ伸び、海へ、空へ、
やがて世界そのものを包みはじめた。
最初に聞こえたのは、子どもの泣き声。
次に、母親の笑い声。
遠くで犬が吠え、鐘が鳴る。
五十年ぶりの“音”が、世界を満たしていった。
けれど、喜びの中に――恐れも混じっていた。
◆
街の広場。
人々は耳を塞いで立ち尽くしていた。
長い静寂に慣れた身体は、
音という刺激を“痛み”として受け取っていたのだ。
「やめてくれ!」
「頭が割れる!」
「この声は……誰のものだ!?」
悲鳴が広がる。
恐怖が連鎖する。
音は、感情を呼び覚ます。
それは美しさであると同時に、暴力でもあった。
リュカは手を離そうとした。
だが〈音の根〉は離れない。
光は彼の腕を這い、胸に刻みつく。
《リュカ。逃げるな。》
――あの声だ。
夢の中で出会った、リオの声。
《音を拒めば、世界は再び眠る。
受け入れろ。お前の中にある静けさをも。》
胸が熱くなる。
リュカは息を吸い込んだ。
その音が、自分の耳に届く。
世界のすべてが、その一瞬だけ鮮やかに見えた。
「――聴け!」
叫んだ。
その声が街中に反響した。
光が弾け、風が駆け抜ける。
耳を塞いでいた人々の手が、ゆっくりと下りていく。
「怖くない!」
リュカの声が、涙混じりに響く。
「泣いていいんだ! 怒っても、笑ってもいい!
それが、生きてるってことなんだ!」
人々の瞳が次第に濡れていく。
最初に泣き出したのは、子どもだった。
その泣き声が、街中に広がる。
誰かが笑った。
誰かが歌い出した。
“音”が、恐怖ではなく祈りに変わっていく。
◆
空の彼方。
青い光の渦の中で、セリアが目を覚ました。
かつての王竜の魂は、世界を見守る存在となっていた。
その瞳が、ひとりの少年に注がれる。
『……やはり、汝の名を受け継ぐ者か。』
彼女の背後に、柔らかな光が現れる。
――リオの姿だった。
「ずいぶん静かな朝だな。」
『また、お前か。』
「悪いな、まだ消えきれてなかったらしい。」
『構わぬ。彼は……リュカは、汝の意思を継いでいるのだな?』
「いや、もう“俺”じゃない。あれは、彼自身の音だ。」
リオは空を見上げた。
その表情は懐かしくも、どこか誇らしげだった。
「俺が失った世界を、ちゃんと取り戻してくれた。
音と静けさのどっちも、抱きしめる形でな。」
風が吹く。
それは、もう音を持っていた。
◆
リュカは空を仰いだ。
涙が頬を伝う。
その瞬間、どこからか柔らかな声がした。
――よくやった。
誰の声かは分からない。
けれど、それを聞いた瞬間、
胸の奥が熱く、満たされた。
「ありがとう。」
呟いた声が、確かに風に乗った。
その声は、海を渡り、山を越え、空へと広がっていく。
世界は“音”を取り戻した。
だが、それはもはや喧騒ではなく――
“生きている静けさ”だった。
次回予告:「最終話 静寂の果て」
世界は音を取り戻し、再び歩き出した。
だが、リュカの胸に残る“根の鼓動”は、
まだ小さく脈を打っている。
彼が最後に選ぶのは――静けさか、歌か。
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