第19話 音を継ぐ者

 ――世界が、ざわめいていた。


 それは声ではなく、風でもない。

 胸の奥に響く“音”のうねりだった。

 灯台の上で、リュカはその中心に立っていた。


 手の中の黒い石――〈音の根〉が、淡く光っている。

 光は細い糸となって街へ伸び、海へ、空へ、

 やがて世界そのものを包みはじめた。


 最初に聞こえたのは、子どもの泣き声。

 次に、母親の笑い声。

 遠くで犬が吠え、鐘が鳴る。

 五十年ぶりの“音”が、世界を満たしていった。


 けれど、喜びの中に――恐れも混じっていた。



 街の広場。

 人々は耳を塞いで立ち尽くしていた。

 長い静寂に慣れた身体は、

 音という刺激を“痛み”として受け取っていたのだ。


 「やめてくれ!」

 「頭が割れる!」

 「この声は……誰のものだ!?」


 悲鳴が広がる。

 恐怖が連鎖する。

 音は、感情を呼び覚ます。

 それは美しさであると同時に、暴力でもあった。


 リュカは手を離そうとした。

 だが〈音の根〉は離れない。

 光は彼の腕を這い、胸に刻みつく。


 《リュカ。逃げるな。》


 ――あの声だ。

 夢の中で出会った、リオの声。


 《音を拒めば、世界は再び眠る。

  受け入れろ。お前の中にある静けさをも。》


 胸が熱くなる。

 リュカは息を吸い込んだ。

 その音が、自分の耳に届く。

 世界のすべてが、その一瞬だけ鮮やかに見えた。


「――聴け!」


 叫んだ。

 その声が街中に反響した。

 光が弾け、風が駆け抜ける。

 耳を塞いでいた人々の手が、ゆっくりと下りていく。


「怖くない!」

 リュカの声が、涙混じりに響く。

「泣いていいんだ! 怒っても、笑ってもいい!

 それが、生きてるってことなんだ!」


 人々の瞳が次第に濡れていく。

 最初に泣き出したのは、子どもだった。

 その泣き声が、街中に広がる。

 誰かが笑った。

 誰かが歌い出した。


 “音”が、恐怖ではなく祈りに変わっていく。



 空の彼方。

 青い光の渦の中で、セリアが目を覚ました。

 かつての王竜の魂は、世界を見守る存在となっていた。

 その瞳が、ひとりの少年に注がれる。


『……やはり、汝の名を受け継ぐ者か。』


 彼女の背後に、柔らかな光が現れる。

 ――リオの姿だった。


 「ずいぶん静かな朝だな。」

 『また、お前か。』

 「悪いな、まだ消えきれてなかったらしい。」

 『構わぬ。彼は……リュカは、汝の意思を継いでいるのだな?』

 「いや、もう“俺”じゃない。あれは、彼自身の音だ。」


 リオは空を見上げた。

 その表情は懐かしくも、どこか誇らしげだった。

 「俺が失った世界を、ちゃんと取り戻してくれた。

  音と静けさのどっちも、抱きしめる形でな。」


 風が吹く。

 それは、もう音を持っていた。



 リュカは空を仰いだ。

 涙が頬を伝う。

 その瞬間、どこからか柔らかな声がした。


 ――よくやった。


 誰の声かは分からない。

 けれど、それを聞いた瞬間、

 胸の奥が熱く、満たされた。


「ありがとう。」


 呟いた声が、確かに風に乗った。

 その声は、海を渡り、山を越え、空へと広がっていく。


 世界は“音”を取り戻した。

 だが、それはもはや喧騒ではなく――

 “生きている静けさ”だった。


次回予告:「最終話 静寂の果て」

世界は音を取り戻し、再び歩き出した。

だが、リュカの胸に残る“根の鼓動”は、

まだ小さく脈を打っている。

彼が最後に選ぶのは――静けさか、歌か。

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