第6話 霧の正体と最後の選択
――轟音が、街全体を震わせる。
霧の中枢に踏み込んだ瞬間、黒崎と美咲の視界は、螺旋状に渦巻く光と闇で埋め尽くされた。鏡の幻影と幾何学模様が混ざり合い、異様な図形を描く。
「……黒崎さん、これ……完全に異界……」美咲が声を震わせる。
「落ち着け、美咲。あれが、異界の『口』だ。
この街の記憶を喰らい、異界へと繋ぐ」黒崎が低く告げる。
「あの中に……依頼人の恋人が……」美咲が渦の奥を凝視する。
音が消えた。都市全体が、呼吸を止めたようだった。
その瞬間、低く粘つく声が霧の渦から響いた。
「よくぞ、ここまで来た……好奇心に飢えた羊たちよ……」
「……また声だ」黒崎が呟く。
「霧は、ただの霧じゃない」
黒崎は懐から、以前湖畔で回収した石板の写しを取り出す。
「お前は都市の記憶を餌に、この空間を固定している『何か』だ。正体を現せ」
渦が揺れ、白濁した目玉が鱗のように浮かぶ。
「正体?ふむ……私は、『都市が忘れ去ったもの』の集合体。
お前たちの孤独と無関心が生んだ飢餓。そして恐怖こそが、私の糧」
「あの目……湖底の棲む者と同じ……」美咲が息を呑む。
「美咲、俺があいつの気を引く。
石板に記された定着の印を探してくれ」
「はい……わかりました」美咲は周囲を素早く見回す。
「お前の目的は、この街の『認識』を破壊し、異界への『門』を完全に開くことだ。我々はその門を閉じる!」黒崎が叫ぶ。
「ほほう……だとしたら、どうするというのだ」霧の声が嘲る。
美咲の目が、異界の中に小さな柱状の構造物を捉えた。大人の半分ほどの高さの、異様に存在感のある柱だ。
「黒崎さん、あそこに……柱が!」
「よし、美咲、あっちは任せた。破壊するぞ!」
黒崎の声に力が込められる。
黒崎は全身の力を柱に叩き込み、蹴り上げる。柱が轟音と共に粉砕され、霧が渦巻く空間にひび割れが走る。
「ぐおお……やめろ……認識の破壊は……」
霧の悲鳴が渦の中から響いた。
柱が砕け散るたびに、渦は一瞬揺れ、都市の記憶の断片が浮き上がる。
その奥には、依頼人の恋人が、眠るように横たわっていた。
「今だ、美咲!」
二人は同時に渦に飛び込み、恋人を抱えて引き戻す。
霧が皮膚を剥ぐように逆巻き、肺が焼けた。
渦から脱出した瞬間、赤黒いアスファルトと歪んだ街路は通常の渋谷の裏路地へと反転した。霧は急速に薄れ、まるで最初から存在しなかったかのように消えた。
「やった……」美咲は安堵のため息をつく。
しかし黒崎の表情は硬いままだった。
「終わってない。霧は消えたが、奴らは俺たちの意識に欠片を残していった」
ぞわりとした冷気が黒崎の背中を這う。美咲も手のひらに、水滴のような冷たさを感じる。
夜の喧騒が戻る。しかしその隙間から、静かに囁きが響いた。
「お前たち……もうすぐ、私の一部になる……」
霧の正体の集合的な声。鏡でも湖でもない。二人の深部に、新たな呪いを刻み込んだのだ。
『お前たち……もうすぐ、私の一部になる……』
次回予告
霧の正体は、都市の記憶と人間の恐怖の集合体。
黒崎と美咲は、帰還する。
――第7話「次なる代償」へ。
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