空も見なくなった君へ

無趣味

第1話

放課後の教室は、とても静かだった。


窓際の席に座って、僕はぼんやりと空を眺めていた。

紅く夕暮れが広がっていて美しいのに、心はやけに重たかった。


隣の席から、シャーペンを走らせる音がする。

白い指先。眼鏡越しに黒く、美しい瞳がノートを見ていた


彼女の名は桐島美咲。僕のクラスメイトで、かつての「恋人」だった。


ふと、シャーペンを走らせる手を止めて彼女は口を開いた

「また空見てるの?」

「受験も近いのに、そんな暇ないんじゃないの?」



少しだけ笑って

「……癖なんだよ」

 

「ふうん。相変わらずよね、そういうとこ」


彼女はそう言って、ノートを閉じた。乾いた音が、やけに響いた。



僕たちが付き合っていたのは、去年の秋だった。

体育祭の準備で一緒になって、いつの間にか距離が近くなった。

互いに特別なことは言わなくても、隣にいられるだけで充分だった。


そんな時間が、ずっと続くものだと思っていた。

でも、冬が終わるころ、美咲は僕に「別れて欲しい」と言った。

理由を訊いても、「なんとなく」としか言わなかった。


僕はそれ以上追わなかった。追えなかった。


春になって、クラス替えがあった。


僕たちはまた同じクラスになった。

だけど、もう以前のように話すことは無くなっていた。




「お前は、もう空見ないのか?」

そう聞くと、彼女は淡々と答えた


「うん。私にはもうそんな時間は要らないから」

それに。と言って美咲は続けて

「見ていても、なんか疲れるの」

 彼女は窓の外を見た。

紅く染まった空は相変わらず美しかった


「なあ、美咲」


「なに?」


「少しだけ屋上に行って空を見ないか?」


彼女は少し驚いたように目を瞬かせた後

ほんの少しだけ笑った。


「……バカじゃないの。さっき言った言葉忘れたの?それに私たちもうすぐ受験なんだよ?そんな時間あるわけない」


「いいじゃん。五分くらい。」


「五分だけね」

そう言って彼女は席を立った。

続けて僕も席を立って彼女の隣を歩いて教室を出た。

廊下を抜け、階段を上る。誰もいない屋上の扉を開けると、風が一気に吹き抜けた。


空は、まぶしいほどに紅かった。


「なあ」


「どうしたの?」


「やっぱり、空って好きだな」

僕がそう言うと、彼女は何も言わず、ただうなずいた。


言葉にせずとも気持ちは伝わって、少しだけあの頃に戻れた気がした。


五分が過ぎると彼女は「行こ」と言って、階段へ向かった。

その背中を見送りながら、僕はもう一度空を見上げた。


この空を僕は後何度足を止め、見上げることになるのだろう。


風が吹いた。


冬の風はとても冷たくて、指が少し痛くなる。


けれどもうすぐ春が来る。

優しく、暖かい春が。


その時は、もう一度彼女と話をしよう。

だから今は足を止めて空を見上げていよう

もう一度彼女と並んで歩けるように

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