第30話

 そうして、来る放課後。

 私は夕闇の館への道を歩いていた。談笑している生徒達に背を向けて、廊下をひとり、黙々と歩く。そういえば夕闇の館は、生徒の間では開かずの館と呼ばれているらしい。どうやっても開かないから、と。


 夕闇の館は決して扉が開かないということはない。ただ、作法があるだけだ。ドアノッカーできちんと3回ノックを繰り返す。そうすれば、その扉は開くのだ。誰に対しても、平等に。


 ゲームではヒロインが怪異から逃げているときに、咄嗟に駆け寄った館というだけで、生徒の間では開かずの館と呼ばれていることを知らなかった。それに、ゲームでは最後まで知ることもなかった。だからこそ、その館本来の名称でしか、ゲームプレイヤーは館の名前を知らないのだ。つまり、正式名称で夕闇の館へと、私を呼び出した手紙の主は、必然的に転生者である可能性が高くなる。


 コン、コン、コン


 ドアノッカーが、厳かに扉を叩く。数秒の静寂が訪れて、ギィッと錆びついた音が鳴る。扉が開かれていく。ひとりでに。それでいて、重たげに。ゆっくりと開かれた扉の奥、階段の手前で佇んでいた、一人の人間がくるりと振り返る。


「へぇ、やっぱり転生者なんじゃない」


 先に待っていた予想通りの人物から、そう声をかけられる。対する私の返答は、最初から決まっていて。


「食堂で『誰、このモブ』って言われたときから、私はわかってましたけどね」


 薄暗い館に差し込む夕焼けの光が、ペールピンクの髪を染めている。暗さを増した、ベビーブルーを嵌め込んだ目が、まるで私を睨みつけるように細まる。


「単刀直入に言うわ。私の邪魔、しないでくれる?」


 苛立ちの滲んだ声。それなのに、どこか場違いにも、綺麗な声だと思ってしまう。恋怪のヒロイン。ミラ・アモルティア。名前のごとく、人々を魅了してやまない何かがあるのかもしれないと思わされる。中身が、転生者であっても。輝きは一寸たりとも失われていないと、感じてしまう。


「邪魔、ですか?」


 あえてそう尋ねて、首を傾げてみせる。ミラの言う、邪魔の意味がわかっているようで、わかっていないから。おそらく、新月の夜ナイトメアモードを選んだのは、隠し攻略キャラが本命だから。それはたぶん、間違いないだろう。でも、その隠し攻略キャラとは、いったい誰なのか?その答えを私は持ち合わせてはいない。


 ——隠し攻略キャラ。

 新月の夜ナイトメアモードでしか攻略できない。登場もしない人物。前世でも、ほんのひと握りの人間かなりのヘビーユーザーしか、攻略できていないとされるキャラクター。そんな存在について、私が知っているわけがない。

 満月の夜イージーモードをプレイし、半月の夜ノーマルモードを途中で投げ出した私には。それが、誰かなんて。ちっともわからないのだ。


「しらばっくれるつもり?」

「…ほんとうに知らないんですよねえ。予想はつきますけど」

「どういう意味?隠し攻略キャラが目当てなのは、わかってるわよね。だから、私の邪魔をした。違う?」

「前者についてはイエスです。でも、後半についてはノー、です」


 ミラはその答えを聞いて、考え込むように目を伏せて、指を顎に添える。数度の呼吸の後、彼女はぼんやりと私を見つめて。


「……まさか、いや……でも…これしか……」


 考えていることが許容範囲を超えたのか、言葉がぽろぽろと、彼女の口からこぼれ落ちていく。私にあえて聞かせているわけでもないだろう言葉には、困惑が滲んでいて。


「正直に答えて」


 そう言った彼女の強い視線が、私を射抜く。今思えばきっと、どこか景色としてしか私を認識していなかったであろう彼女ヒロインが、モブをはっきりと見つめた瞬間だったのかもしれない。


「もちろん。嘘偽りなく答えますよ。そのかわり、貴女も私にちゃんとを返してくださいね?」


 遠回しに告げた言葉の意味を、ミラは正確に受け取ってくれたらしい。彼女は、苦虫を噛み潰したような顔で、問いかけを口にした。


「貴女は、前世の記憶があるのよね?」

「その問いの答えは、イエスです」

「恋怪の記憶もある?」

「イエス」


 間髪いれずにイエスかノーだけで答えられる質問を投げかける彼女は、きっと頭の回転が速いのだろう。言葉での虚偽や虚飾が並ばないように、簡単な質問だけを投げていく。でも、初めて彼女は悩んだように、言い淀む。そうして、悩んだ末に、ひとつの問いかけを音にした。


「隠し、攻略キャラについて……貴女は、それが誰か、わからない?」

「……おそらくイエス、です」


 きっと、ミラに転生した人は、前提を間違えていたことに、たった今、気がついたのだ。かなりのヘビーユーザーだった自分が転生したのだから、この世界に転生してきた記憶持ちも同じく、かなりのヘビーユーザーだろう、という誤った認識に。


「おそらくというのは、目星はついてるということ?」

「イエス、ですね」


 脳裏に過ぎるのは、柔らかな声と優しげに弧を描く口元。鮮緑色の目。そして、コーヒーの香りと、ほんのりと漂う消毒液の匂い。白衣を見に纏った、ルキ先生のことで。保健室の先生、なんて。王道も王道。隠し攻略キャラと呼ぶには、隠れきれてないでしょ、とまで思ってしまう。


「ふぅん?それなら、隠し攻略キャラの攻略についても、新月の夜ナイトメアモードについても、知らないわよね」

「…そう、ですね」

「それなら、新月の夜ナイトメアモードについてとか、どこが攻略の邪魔なのかもあわせて教えてあげる。だから、今後一切隠し攻略キャラである、あの人に近づかないでくれる?」


 苛立ちに混じった高揚感。その感情って、同居できるんだって、不思議な学びを得たのは、一種の現実逃避なのかもしれない。この数ヶ月で、安全地帯であるからとたくさん寄った保健室。いつでもにこにこと迎えてくれたルキ先生。それに、お別れを告げなければいけないのを、認めたくなかったのかも。


「わかり、ました。今後一切、ルキ先生には、近づきません」


 ひりつく喉。出したくもない言葉。それらが、夕闇の館にどこか空虚な響きを持って、落とされる。不自然なくらいの沈黙が、横たわる。いつのまにか伏せてしまっていた顔を持ち上げて、ミラを見た。


「は?…いや、ルキ先生って誰??」


 ミラの顔には、困惑だけが滲んでいた。

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