第2話 青は、青春を追う⑵

 さてと、今日から新年度か。俺も晴れて2年生。学校に慣れ、受験までも少し時間がある、いわば青春真っ只中と言えよう。

 しかし、俺に青春はまだやってこない。それはもう、手の中にあるのかもしれないし、まだ見ることもできていないのかもしれない。

 その形を把握するまで、俺はそれを知ることが出来ない。


「おっはー、瀬亜」

「おっと触れてくれるなよ、その手に触れるとろくな事がないからな」

「あららー、嫌われたものですなぁ」


 たははー、と荒木が笑った。やはりというかなんというか、今日も何かを手……、指先に塗っている……。

 赤い……、タバスコ!?


「ちなみに今日のは、『肩トントン、引っかかったな!タバスコを喰らえ!』でした」

「そりゃ目が覚めそうだ……。ほんと、ろくなことがないな」

「なんだよー、この前は首筋にハッカ油塗って、昨日は白線の粉つけただけじゃん」

「ツーアウトだよ!」


 いや、実際はこいつと出会った1年の夏頃からずっと何かしらイタズラされてるけど。

 一体何人のバッターがアウトになったことか。


「おっはよー、二人ともー」

「あ、咲……」

「隙あり!」

「むぐっ!?」


 ついにこいつ、咲にもやりやがった!いくら俺達は去年同じクラスで仲が良かったからと言って……!

 限度ってものを知らないのかこいつ!それと、俺じゃなくても良かったのか!

 容疑者は、「別に引っかかるなら誰でもよかった」と供述しており……って、やかましいわ!


「咲、大丈夫か?」

「あ……」


 あんまりだ?暗黒の彼方に葬り去ってやる?悶絶してるだけ?それとも……!


「甘ーい!イチゴジャムだー」

「イチゴジャム!?」

「んー、今日パンに塗って食べたから、間違いない!」


 よ、よかった……。どうやら咲が陥れられることはなかったようだ。


「ほら、瀬亜も食べる?」


 咲の口から指を出し、中指に塗られたイチゴジャムを俺に向ける。ちなみに、さっき咲がしゃぶっていたのは人差し指だ。

 ……まぁ、イチゴジャムなら……は!?


「辛!?これ、やっぱタバスコじゃないか!」

「え?イチゴジャムだよ?」

「ふっふっふ……」


 こいつまさか、図ったのか!?恨めし気に荒木を見つめると、ニヤッと、彼女が笑った。


「人差し指にジャムを、中指にタバスコを塗ったのだ」

「み、みず!みず!」

「これどうぞ」


 咄嗟に、目の前に現れた水筒を手に取り、口の中を鎮火しようとガブガブと飲む……。それを差し出したのが荒木だとも知らずに。


 口内に流れ込んできたのは、口を潤す命の水ではなく、とんでもない苦さをした劇薬だった!


「ぶぇ!何飲ませた、お前!」

「彩葉ちゃん特製濃厚青汁でございまーす。あなたの健康を思い、牛乳で割るところを水で割り、さらに適量の約2倍をぶち込んでシェイク。これで1発で便秘解消、頭痛も収まり、眠気も吹き飛ぶスグレモノです」

「確かに眠気は吹き飛んだけど!今日という今日は許さないぞー!」


「にゃははー」と笑いながら、荒木は走り出す。ったく、アイツは限度ってもんを知らないからな……。


「相変わらず元気だねぇ、彩葉ちゃんは」


 ニコニコと笑いながら、舌の上でジャムを味わうように、咲は去りゆく荒木を見つめた。


「まぁな。元気余って、憎さ百倍だ」

「それを言うなら、可愛さ余って憎さ百倍だよ」

「あいつを可愛いって思うには、もう少しおしとやかさが足りないな」


「ほんと、お前みたいにな」と、俺は続ける。咲は、あいつと比べればまるで天女のように優しい性格だ。

 女子力が高くて、時々弁当を他の部員のために作ってあげているらしい。

 らしい、というのは、彼女が他の部員と話しているのを見たことがないからに他ならない。まぁ、天文部なのだから、表立った活動は夜から。

 まぁ、話し声が部室からは聞こえてくるし、存在しているのは確かだ。


「おしとやか、かな。私」

「あいつと比べりゃな」

「ちょーっと意地悪な言い方」


 ぷくーっと、咲が頬を膨らませる。その肩に、ひとひらの花びらが散った。


「にしても、クラスどうなんだろうなぁ」

「さーねぇ、先生も流石に教えてくれなかったし」


 先生というのは、村田慎太郎先生。天文部顧問で、これでもかといい加減な人だ。俺の去年の担任でもある。

 黒い髪はかなり伸び、無精髭が特徴的。愛妻家であると同時に、愛煙家。さらには毎週金曜にキャバクラ通いときた。


 あまり口うるさい事は言わず、基本的に放任主義、しかし悪ノリはしやすく、それでいてボーダーラインはきちんと見極める。

 案外、人気の先生だったりする。それでもう少し身なりをしゃんとしてればいいんだが……。


 下駄箱に行く途中で、職員室に向かう村田先生をみかける。いつも通りの寄れたカッターシャツに、クールビズ。そして、大きな欠伸をしていた。


「あれ、問題にならないのかねぇ」

「あはは、流石に始業式にはきちんとした服で来るんじゃない?」

「……そうだな。あの人も、そこまで馬鹿じゃないだろ」

「……」

「……」


 有り得る。あの人、去年1年ずっとイベントの時もあの調子だった。夏は腕をまくり、冬は上から毛玉の目立つセーターを上から着ていたが……。


「ま、まぁ、まずはクラスだよね!」

「あの人が教育委員会に突き出されようが、知ったことじゃないしな」

「それは困るけどなぁ。私の活動ができるのは、あの人のおかげだし」

「お前はな」


 部活動の条件。部員5名以上、部室、そして顧問教師。その3つが揃わないと、猶予期間の後廃部になってしまう……らしい。

 彼女も、何とか部員を増やそうと、頑張っていた。その結果、何とか天文部は存続できた。


「でも、時間の問題かもしれないけどなぁ、あの人、不真面目だし」

「そこは私も、口酸っぱく言ってるんだけどねぇ、『お前は俺の女房か』って、適当に流されるだけ。っと、ここだね」


 下駄箱の前に、人だかりが出来ている。俺たちは遠巻きに、クラス名簿を眺めた。


「2組だ。あ、アオくんも一緒だよ!いぇい!」

「おう、よろしくな」


 俺も自分の名前を確認し、咲とハイタッチをする。って、荒木も一緒か。また振り回されるなぁ。

 それともう1人、見知った名前が。


「おーい、待ちくたびれ朴念仁」

「んだよ、残念イケメン」

「残念は余計だろ」

「だったら、さっきのお前の発言全てが余計だな」


 彼の名前は、明石隼人。バスケ部で、高身長。故に目立つので、俺達の待ち合わせ場所にされる。

 それも、彼の生真面目な性格が故に、15分前には集合場所についているから。


 というか、彼は簡単に言うと残念イケメン。普通にバスケは上手いのに、スリーポイントを相手に決められたり、スーパープレイをかまされたら、対抗心を燃やして彼も張り合い、失敗しまくる。それは、完全に相手を出し抜くか、試合終了まで続く。

 その結果、エース同然の実力ながら、エースの地位には立てずにいる。


 まぁしかし、彼の人の良さは本物だ。去年の修学旅行中、何故か彼がカースト上位の女子グループの鞄を全部運ぶことになり、それを見たのが俺とこいつの出会い。

 まぁ、詳しく話を聞いてみれば、「一軍女子と所帯を持ちたいから」という理由で荷物持ちを買って出たのだとか。

 その話を聞いた時、俺は彼の荷物を半分肩代わりしていた。青春を、感じた気がしたからである。


 こうして残念イケメンと、待ちくたびれ朴念仁は出会い、友達になった。

 話してみると、彼は存外良い奴で、2人とも直ぐにうちとけ、4人でいることが多くなった。


「おはよ、明石くん」

「おう、沢村。一緒のクラスだな、2人とも」


 にかっと、俺らに笑いかける明石。しかし、そこで立ち止まると……。


「邪魔じゃね?」

「おっと、ごめんごめん。通りますよっと」


 こういう所も、残念要素が高い。周りが見えていないというか。

 あ、そういえば、修学旅行で思い出した。


「そういや、お前、林たちのアドレス持ってたよな。何回か、遊んだのか?」


 その荷物持ちの代償に、こいつは林を筆頭とした一軍女子たちの連絡先を交換してもらっていた。ちなみに、俺は特に何も貰えなかった。どうやら、あそこには青春はなかったようだ。


「へへ、あれから何送っても、『ごめん寝てたー』だとか、『また誘ってー』とかしか返って来ない」

「お、おう。それはその、ご愁傷さま」

「まだご愁傷じゃねぇ!俺は諦めないぞ!」


 俺と咲は、ポンと明石の方に手を置く。見ていられなくなったのだ。


「大丈夫、私たちが着いてるよ」

「今日は田村堂でも行くか。パーッと盛り上がろうぜ」

「天文部はおやすみにしておくね。お姉ちゃんにも、伝えとく」

「お前たち……!」


 荒木も来るだろうか……。来たら来たで、特製ジュースとか言ってダークマター差し出してきそうだけど……。

 あいつの賑やかしも、こいつが立ち直るのには必要になるかもな。


「お、御三方。やっほ」


 先に席に着いた荒木が俺達には手を振る……。


「よ、今日も相変わらず肌黒いなぁ」

「それを言うなら腹黒い、てか腹黒くないし」


 明石の気さくな挨拶に、荒木が抗議する。


「朝から俺の口にダークマターを爆誕させたのは誰かな?」

「はて?」

「可愛くとぼけても、誤魔化されないぞ」

「お前ら、相変わらずだなぁ」


 そう言いながら、明石は荒木の左隣、俺は荒木の右隣。そして咲は俺の右隣に座った。まさか俺達が、1番前に集められるとは。

 まるで、問題児を集めて監視されているようだ。

 そうやって、俺たちの日常が、また始まろうとしていた。


...


「てなわけで、俺はお前らの担任、村田慎太郎だ。まぁ、テキトーにやってこーや」


 頭を少し掻いた後、教師らしからぬ教師は、教卓に肘を着いた。


「見知った顔も多いが、まぁ、俺は見ての通りの人間だ。面倒くさいのは嫌いだし、したくない。てなわけで、委員長、副委員長が決まるまでは、お前らが仕切れ。沢村、瀬亜」

「へい」

「はーい」


 全く、この人は……。俺もかなりこの人とは関わりがある。去年の担任だというのもあるが……。


 修学旅行の夜、俺と明石は消灯時間を過ぎてもコソコソと恋愛トークで盛り上がっていた。

 というのも、昼間の荷物持ちの後だから、一軍女子の中で誰が可愛いかという話をして、完全に時間を忘れていた。

 今日が初対面だと言うのに、彼の気さくな性格も相まって、あっという間に俺は懐柔されてしまった。


「でさでさ、林はなんて言うか、近寄り難いだろ?だから、佐々木がいいと思うんだよ」

「俺もそう思う。……あ」

「恋のライバルだな」

「こればかりは譲れないぞ」


 俺と明石がバチバチと火花を散らしていると、ガチャリとドアが開いた。俺と明石は、狸寝入りを敢行する。


「お前らさ、寝たふりしてもムダよ。声聞こえてたんだから。で、なんだって?お前ら佐々木好きなの?」


 耐えろ、俺!耐えろ、明石!笑われようと……!

 って、なんかベッドに腰を落としてる!?「ヨイショっと」じゃないが!


「あのなぁ、お前ら。正直になれよ。確かに、佐々木は可愛いよ。でもよ、それって中の上だろ。大方、優しそうだから、とかか?」


 く、図星だ!ってか、声が聞こえてたなら盗み聞きしてた可能性を疑うべきだった。それに、明石がまんまとかかってしまったのだ。


「し、知ったような口、聞かないでくださいよ。俺もこいつも、許容とか、安牌とか、そんなんで人を好きになったんじゃないんです!」


 そうだそうだ!と、声を上げたくなる気持ちをグッと抑え、必死に目を瞑る。俺は、知らない、何も見てない、聞いてない!


「俺だったら、迷わず林に行く」

「そう簡単に……」

「簡単じゃないさ。俺だって、高校生の時は学園のマドンナに告ったもんさ」


 そ、そうなのか。俺も、少し身を起こして会話に参加することにした。どうやら、説教じゃなさそうだから。

 てか、消灯時間を過ぎて、教師と生徒が恋バナって……。それは教師として大丈夫なんだろうか。

 いや、大丈夫じゃないだろう。


「で、結果は」

「聞くな」


 あぁ、惨敗したんだな。でもこの人には、今や奥さんに、奥さんのお腹に息子さんまでいると聞く。

 それなら、その傷ももう癒えて泣いてる!?


「ち、ちくしょう……、好きだった、好きだったのに……」

「先生、元気だしてくださいよ!」

「先生には奥さんがいるじゃないですか。今は俺らが慰めますから、帰ったら奥さんに慰めてもらってください」

「お前ら……うわぁーん!」


 酒臭い息を漂わせて、先生は号泣した。酔ってたのか、この人……。その後、鳴き声を聞きつけ、先生は学年主任に連れられて、俺たちはだる絡みされただけということになりお咎めなしだった。


 それ以来、この人とは何かと縁がある。


「てなわけで、進行していくぞ。俺は瀬亜音也」

「私は沢村咲。よろしくお願いします」


 俺たちは教壇に立ち、先生の代わりに話を進めていく。


「まずは委員長から。なりたい人、居ますかー?」


 咲の呼び掛けに、クラスからは沈黙が帰ってくる。

 まぁそうだよな。自分から委員長をやりたいなんて、そんな主体性を持つやつ、そう居ない。


 すると、一つの手が上がった。俺はパァっと顔を明るくしたが、その表情は一瞬で曇った。

「はいはーい」と手を挙げたのは、荒木だった。


「もう、二人が委員長と副委員長やればいいと思いまーす」

「あ、荒木?」

「いいんじゃねぇの?委員長は……瀬亜で。どうだ?」

「……頑張ります」


 クラスの皆からも、拍手が上がる。ったく、上手く人柱立てた、見たいな顔しやがって。

 俺が磔にされた人柱なら、さながら拍手は燃え盛る炎の音だ。その音が、俺を飲み込んでいく。


 まぁ、頼られるのは嫌じゃないが。


「じゃ、次は副委員長……」


 相も変わらず、誰も手が上がらない。1人を除いて。

 皆まで言うな、目で分かる。


「はぁ……」


 俺はため息をついたあと、諦めたような笑顔を浮かべる咲に目を向けた。


「お願いできるか?」

「お願いされたら、しょうがないね。不肖、沢村咲が務めさせて頂きますね。みんな、よろしくー」


 こうして、人柱2名が出揃った。どうしてこうなった……。

 そんな俺たちを見て、村田先生は不敵に笑った。もしかして、こうなることを察していたのか。


 さて、午前11時を回る頃。午前授業なので、もう終わる。


「さー、委員長と副委員長も決まったことだし……、あ、そうだ。忘れてた。おい、川合」


 何かを思い出したように手を叩き、1番後ろの席に座っていた少女に声をかける。


「はい」


 凛とした、鈴のような声。そして、まるでメトロノームのように規則正しい足音。

 そして、漆黒の前髪からは、切れ長の瞳と、真っ白の肌が覗く。

 俺は、彼女を知っている。名前は……。


「初めまして、浦瀬高校から転校してきました、川合涼子かわあいりょうこです。よろしくお願いします」


 川合涼子。俺の初恋の人であり、俺の青春を求める意味を作った人物であり、俺の初恋の人だ。

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