占い師凛々の奇妙な事件簿(壱) 〜港町中華街、宿命と闇の記録〜

宝田あかり

第一話 「殺人よ、こんにちは」

皆さんに質問しよう。


今、目の前にそびえる山を、あなたは高く感じますか?低く感じますか?


人生はこの山と一緒です。


登るか登らないか、その一歩を踏み出すかどうかは、あなた次第。


たとえ登り始めても、目の前には数えきれないほどの障害物が現れるでしょう。


この障害物は、「因縁」という名の重い鎖。


生きるということは、そんな重荷を背負いながらも、今日という山道を必死に登り続けること。


さあ、あなたはこの障害物だらけの山へ挑んでみますか?


この山を登ること、それが“宿命を知る”ということかもしれません。


――あなたも、宿命を登る準備はできていますか?



闇に灯が揺れる。


庭と屋敷が現れ、凛子の視界は室内へ滑り込む。


柔らかな灯の下、男がひとり、いまにも息絶えようとしている。


男は溺れたように口から泡と水を吐き出し、苦しみながらかすれた声で叫んでいる。


「苦しい、許さぬ……! 我が、ここで命絶えようとも、必ずや子孫がこの恨みを果たす……!」


その言葉が白い煙となって立ちこめたかと思うと、男はそのまま息を引き取った。



――ジリリリリッ!



けたたましい目覚まし時計の音に、水沢凛子は乱れた息を吐きながら、飛び起きた。


「はあ、またこの夢……。もう、疲れる……」


1988年、夏の気配が静かに近づく港町の一角。


まだ気だるさの残る体をえいやっと起こし、寝癖がついたまま、台所で料理を始めた。


「あ、また殻が入った……」


焦げた卵焼きと、色の濃い味噌汁。

それでも父・三郎は「ありがとう」と言って食べ続ける。


しかし、味噌汁を飲むあたりで──


「しょっぱっ!やっぱり、母親がいないとこうなるんだな……」


三郎がぼそりとつぶやいた後、凛子は気まずそうに味噌汁をすする。


「もうクリスマスケーキの時期も過ぎたな」


1980年代当時、【二十五歳を過ぎた女性は売れ残り】という偏見があった。

凛子は二十六歳。これまで男の影すらない。


“クリスマスケーキ”なんて言い草がまだ生きていた時代。二十六の凛子は、当の本人より周りがうるさい。


世の女性たちは、いったいどうやって“恋”に関心を向けるようになったのだろう?


──そして、自分の【宿命】も、頭の片隅にずっと居座っている。


だから、どこかで誰かと深く繋がることを、怖れているのかもしれない……。


凛子は小さく首を傾け、目を閉じて深いため息を出した。


「お父さん、朝から気が滅入るような話するの、やめてくれる!?」

ガチャンと音を立て、勢いよく食器を片づけて、水で流すと、すたすたと身支度を始めた。


化粧はほとんどせず、格好にもまったく気を使わない凛子の朝支度は、まるでカラスの行水だ。


「また逃げられたか……」三郎がつぶやく。


最近の水沢家では、これが定番の朝の風景だ。



海の匂いを感じながら海岸沿いを自転車で颯爽と走る凛子。


ふいに、パタパタと数羽の黒い蝶が近づいてきた。

それに気づき、キュキュッ!とブレーキをかける。


「ああ、もうそんな季節か」


凛子は、季節が移り替わる時期になると必ず現れる蝶たちに挨拶をして、再び車輪をこぎ出した。


そして、蝶たちは彼女を追いかけるようにパタパタと空へ舞い上がった。



自宅から十分ほど自転車を走らせると、異国感漂う【中華街】の善隣門が、今日も凛子を迎えてくれる。


一歩足を踏み入れれば、そこはもう先ほどまでの「日本」ではない。


赤い庇の列と龍灯のきらめき。鍋の音、せわしない中国語、唐辛子の香り――朝が一気に熱を持つ。


「おはよーございまーす」

「早上好!」


シャッターの音とともに、元気な挨拶が飛び交う。


一角にある、中華街らしからぬ西洋風の上品な佇まいをした占いサロン『ドマーニ』にも、次々と占い師たちが出勤してきた。


「おはようございます~! あ! 凛々ねーさん、これおみやげです!」

そう言って、牛柄のマグカップを凛子に差し出すタロット占い師のトラン。


「わあ! 行ってきたんだ、清里。どうだった? 混んでた?」


「まあ、それなりに混んでたかな。コーヒー1杯飲むのに1時間は待つからね。ブームは終わったなんて声もあるけど、まだまだ健在だなあ、あそこは~」


「そっか。トランも彼女さんもお疲れさま」


凛子のその言葉に、先ほどまで穏やかだったトランの表情が変わった。


「何言ってるんですか! 僕の隣はいつでも空いてますからね、凛々ねーさん♪」


そう言って、王子様気取りで手を差し出すトランに、凛子は「やれやれ……」と呆れ顔。


「はいはい。じゃ、先にブースに行くね」


颯爽と去っていく凛子に、行き場のない手を持て余すトラン。


そして「いつものことか」と唇をきゅっとすぼめ、小さく息を吐き、自身もその場を離れた。



「今日も来ちゃった! 昨日も来たけど!」


金髪に白スーツ、焼けた肌に真っ白な歯がまぶしいホストクラブのオーナー・ひかるがあふれんばかりの笑顔で凛子に小さく手を振ってきた。


「あら、ひかるさん。昨日、お店の鑑定をしたばかりですよ?」


「あん! 今日は、昨日お休みだったトランくんの顔見にね!」


そこへ、トランがブース前を横切る。


「きゃー! トランくーん!」


ひかるはその場を離れ、トランの後を追おうとしたが、すぐに凛子が引き止めた。


「ひかるさん、昨日もお伝えしましたけど、今月はできるだけ大人しくしといてくださいね。新しい挑戦や思い切った行動は避けること。あとは……」

凛子は額の端を指でトントンと軽く叩きながら、昨日ひかるを鑑定した内容を思いだそうとした。


しかし、ひかるは両手を前に出し「まあまあ」と言いながら凛子の思考を制止させ、そのまま小走りでトランを追いかけていった。


凛子は、小さくステップしながら走り去るひかるを見て「ま、いっか」と潔く諦めて、自分のブースに戻ろうとしたとき、次なる上客である主婦のなるみが現れた。


「凛々せんせい~、おはようございます~!」


「あ、なるみさん、おはようございます。トランならあっちのほうに……」


「ありがと~! 追いかけるわ~!」


そう言って、なるみは走りかけたが、ふと思い出したように急に立ち止まって凛子の方に振り返った。


「ねえ、先生知ってる? ここにいるトーマス・ミゾグチって占い師さん。この通りの先にある『加恋』の占い師とできてるらしいわよ」


「へえ……そうなんですか」


気のない返事を返す凛子。


「しかもあっちに“移籍”するって噂もあるらしいじゃない? まあ~トーマスさんもなかなか二枚目だと思うんだけど、ここにはトラン君がいるから、女のお客はほとんど持ってかれちゃうもんねえ~」


それだけ言うと、なるみはくるりと背を向けて再び走り出そうとしたが、すぐに何もないようなところでつまずいてしまう。


「あら、いやだわ、私ったら!歳かしら……」

少し恥ずかしそうにしながら足元をはたくそぶりをするなるみ。


凛子は心配そうに細め、なるみに声をかけた。


「ご自宅はここから西でしたね。今日の“西行き”は凶。帰りは向かいの喫茶で一度“方位を切って”から戻ってください。」


なるみははっとしたように口元に手をあてた。


「そ!そうなのよ、来る途中も事故があちこちあったりして、それですごく困ったのよ!」

不安そうにソワソワしだしたなるみに、凛子は「大丈夫ですよ」とそっと肩に手を置いた。


その手になるみは安心し、安堵の表情を浮かべ「ありがとう先生! じゃっね!」と、再びトランのブースへ走り出した。



――今年は辰年。店の入口は“寅”方位。嫉妬深い“太陰神”が乗る。


女客に影響が出やすい“年回り”――火と金に関する縁には禁物だ。


(お客の9割は女性なんだから、色々気をつけなきゃね……)


凛子は独り言をぶつぶつ言いながら、今度こそ自分のブースへと戻っていった。



ブースに戻った凛子は、机まわりを軽く片づけてから、ユニフォーム代わりにしてる男物のチャイニーズベストを羽織り、一呼吸置いた。


そして写真立てに向かって「先生、今日も頑張って鑑定します」と、拳を握りしめ、軽くガッツポーズをすると、写真立ての横にある分厚い本にそっと手を添えた。


どうやらこれが鑑定前のルーティンらしい。


その後、開店のアナウンスが流れるとともに、女性客らしき複数のピンヒールの足音が聞こえてきた。



お客さんで賑わってきたドマーニの昼下がり。


店の手前にある待合室から、女の悲鳴が上がった。


「きゃあああああっ!!」


その叫び声にブースで占いをしている全員が手を止めた。

凛子もトランも鑑定の手を止めて、すぐさま声のする方へ駆けつけた。 


……!


床には、白目をむいて口から泡を吹いて床に倒れているトーマス・ミゾグチの姿が。


すでに呼吸は止まっていた。



――そのわずか数十分後


ドマーニには県警の警部たちが集まり、事情聴取が始まっていた。


凛子にとって、職業柄、人間観察は自然と身についてしまうものだ。


中心で動いている警官が、やけに目につく。

天然パーマのような髪型に、周りに比べて頭一つ分くらい背が高い。

一種の威圧感だろうか?彼の周りだけ「気」の流れが渦巻いてるようだ。


「刑事課の月ヶ瀬です。何でもいいので、亡くなったミゾグチさんについてお話を聞かせてもらえませんか?」


そう声をかけてきたその男の顏は、いわゆる圧のある強面で、まさに“刑事”といった風貌だった。


だが、身につけている衣服は意外にも丁寧に手入れされているようだ。襟にシワひとつない。


――年齢は四十くらいかしら?

じゃあ、子供もいるかしら。意外と、こういう強面の方が子煩悩だったりするものなのよね。


凛子の頭の中に「子煩悩」という言葉が浮かんだ瞬間、先ほどまでの緊迫感がわずかにほころんだ気がした。


代わって怪訝な顔をして凛子をのぞき込む月ヶ瀬。


「君は……やけに若いようだけど、高校生、いや中学生か? 平日の昼間になぜこんなとこにいる? 学校はどうした?」


強面に刻まれた眉間のシワがみるみる深くなり、さらに険しい顔になって、辺りを見渡した。


「この店はこんな子どもを働かせてるのか? おい、責任者はどこだ?」


その様子に、トランはこらえきれず噴き出した。

「ねーさんは、りっぱな大人の女性ですよ」そう言いながら、必死に笑いを止めようとしている。


凛子は言われ慣れてるのか「またか」というような冷めた表情で口を開いた。


「はい、おかげさまで、クリスマスケーキは一年ほど過ぎてます。もう九年ほど、ここで勤めてますよ」


「え? あ!? これは失敬!」


凛子の『クリスマスケーキ』発言に、月ヶ瀬は驚きを隠せず、思わず大きな声を出した。


まあ、彼がそう思うのも無理はない。


世の流行はボディコン・ワンレン。


年頃の女性は右も左もそんなスタイルであふれかえっている中、凛子といえば、化粧気もなく頭の上の方でお団子にし、前髪は目が隠れそうなくらい重く、極めつけはアニメのように大きな黒ブチ眼鏡といった身なりの上、小柄のせいもあって、なおさら幼く見える。


どう見ても成人女性には見えないだろう──


月ヶ瀬は奥で作業している女性警官に対し、顎をクイッと動かした。

それに気づいた彼女は、凛子たちの前へ颯爽とやってくる。


「彼女もここの担当だ」


「吉野と言います。よろしくお願いします」


――年齢は、隣にいる強面の刑事と同じくらいね。

彼と違って彼女は穏やかなイメージ。

スラリとパンツスーツを着こなしてて、とってもかっこいいわ。


まさにハンサムウーマンって感じ――


茶色がかった髪を後ろで束ね、細身のスーツを凛と着こなす。化粧は控え目ながら、キリッとした顔立ちを引き立てている。


しっとり落ち着いた雰囲気の吉野に凛子は思わず見惚れた。


そんな吉野は、凛子の目線に気づき、にっこり笑顔で言った。


「あら?なんて可愛らしい。店長か誰かの娘さん?」


さすがにこのやりとりも二回目となると、トランは笑いを通り越して気まずくなり、逆に月ヶ瀬の方が思わず吹き出しそうになったようで、鼻に手を当てていた。


その様子を見ていた凛子は、一瞬天を仰いだかと思うと、すぐに正面を見てキッパリと言い放った。


「ここで九年働いてるベテラン占い師です。中身はちゃんと成熟してますよ」



事情聴取中、凛子はすでに運ばれていったミゾグチの遺体をぼーっと思い出していた。


吉野は先程の気まずさをも取り戻すかのように明るくふるまう。


「えーと、水島さん? それとも、凛子さん? いややっぱり凛々さんがいいかしら? 何て呼ばせて頂こうかな?」


「何でもいいですよ」


「じゃあ、凛子さんで。彼について何か気になることとかあるかしら?」


「……あの人、胃の調子が悪かったっぽいですね」


そこに、横で事情聴取していた月ヶ瀬が不躾に割り込んできて「は? なんでそんなことが分かるんだ?」と言った。


「先程、ミゾグチさんのとこに駆けつけたとき、鼻をつくような独特のすっぱい匂いがしたんですよねぇ……肌も荒れてたし、食に関して厄介なことになりやすいタイプかなって」


「はっ! 医者でもないのに……」


月ヶ瀬が鼻で笑って言い放ったそのとき、検視官が口をはさんだ。


「警部、今のところ、死因は胃部からの内出血と見られます。あと胃の中にはほとんど何も残っていません。状態から言って、過度な食事制限でもしてたのではないでしょうか?」


聞いた瞬間、月ヶ瀬の顔色が変わった。


「“推命”は万能なんですよ」


ニヤニヤしながら、今度は凛子が月ヶ瀬の顔をのぞき込む。


そして、これみよがしに、自身の専門占術でもある“四柱推命”の話を始めた。


「見た目と匂いで“胃”の不調くらい読めますよ。肝心の生年月日が分かれば、癖まで読めます」


凛子はそう言って、改めて月ヶ瀬の顔を見た。


吉野も「あなたの負けね」と月ヶ瀬に笑顔で皮肉っぽく言った。


「ところで、刑事さん。ミゾグチさんの生年月日はご存知ですか?」


そうあけらかんと尋ねる凛子に月ヶ瀬はきょとん、と目を丸くした。


(普通の女なら、こういう事件が身近で起きれば、慌てふためいて、恐怖のあまり泣き出すもんだがな)


──変な女。


月ヶ瀬は、他の捜査員にも平然と受け答えする凛子を眺めながら、今までに他人からは感じたことのない驚きと戸惑いを感じた。


結局、ドマーニのシャッターは、その日、二度と上がることはなかった。



事情聴取の帰り道──


すっかり日が落ち、暗くなった中華街。

月ヶ瀬は車を角に停めて、運転席でわずかにまどろんでいた。


そこに、吉野が助手席に乗り込んできて「はい、お疲れ様」と缶コーヒーを手渡す。


「サンキュー」と言って受け取った月ヶ瀬は、早速プルタブを開け、一口グイっと飲み込んだ。


「何だか変な事件ね、今回は」


「そうだな」


「それもそうだけど……凛子さんだっけ?」


「ああ」


そう返事をして、月ヶ瀬が勢いよく二口目を飲み干そうとしたとき、吉野は「ああいう子、好みでしょ」とサラリと言い放った。


その瞬間、月ヶ瀬は大きく動揺し、コーヒーを思いっきり噴き出してしまった。


「汚いわねー、もう」


「いや、何言ってんだよ! お前は!」

月ヶ瀬はポケットからハンカチを取り出し、コーヒーがかかった場所を神経質にこすった。


「そりゃ若すぎる見た目ではあったけど、ああいうこぼれそうに大きな瞳の美少女って、昔から月ヶ瀬君のタイプだよね? ほら、奥さんも……」


吉野は言いかけて途中で「あらっ、ごめん!」と口に手を抑えて、それ以上話すのを止めた。


月ヶ瀬は、口元を拭いながらも「いや、かまわないさ」とつぶやく。


吉野はチラリと彼の方を見て、言葉を投げかけた。


「……あなたたち、ずっと仲良かったのにね。まあ、私たちの仕事ってなかなか理解されにくいところはあるんだろうけど」


──確かに警察官の仕事というのは不規則な上に危険が伴うので、家族の了解は得にくいところがある。しかし……


月ヶ瀬は、外で歩く二~三歳ぐらいの小さな子供を抱えて楽しそうに微笑む夫婦を目を細めながら眺めて、ゆっくりと口を開いた。


「まあ、そういう運命だったのさ」


そう言って、月ヶ瀬はハンドルを握り、署へ戻っていった。



──翌朝、ドマーニ


ドアチャイムがカランと鳴り、勢いよくドアが開いた。


聞こえてきた荒々しい足音は、みるみるうちに大きくなり、凛子のブースの前でピタリと止まる。


間髪入れずに、乱暴にブースのカーテンが引き開けられた。


「警察だ。今日も話を聞かせてもらおう」


その唐突な行動に露骨に眉をひそめる凛子。


「今日はお一人なんですね。事情聴取は昨日で終わったんじゃなかったですか? それに、ミゾグチさんって病死だったはずですよね? まだ何かあるんですか?」


そう問いただすと、月ヶ瀬はスーツの内ポケットから、着飾った女の写真を取り出して見せた。


「今日は、この人物について話を聞きたい。ミゾグチと関係があったようだが、二人のことで何か知っていることはないか?」


すると、開けっぱなしのカーテンからひょこっとトランが覗き込んできた。


「あ!その人知ってる。『加恋』の占い師だ。名前はたしか……キサラ麗だったかな? タロットと占星術を使ってるんだよね」


「……何か他に知っていることはないか?」


「そういえば、ミゾグチさんと“できてる”って噂もあったかな。彼女の店に移籍しようとしてるって話も聞いたことあるよ」


凛子はなるみの話を思い出す。


「そのあたりが原因で二人の仲に何かあったのかもしれん。ちょっと今回の事件はただの発作にしては“出来すぎ”で、どうにも腑に落ちなくてな。ま、このことは捜査中だから公言しないでくれよ」


その月ヶ瀬の言葉に凛子は反応した。


「誰かが発作に見せかけてミゾグチさんを殺したってことですか?」


月ヶ瀬は一瞬口を開くのを躊躇したが、重い息を一つ吐いて、話を続けた。


「まあ、そんなとこだ。今は仏さんの体を徹底的に調べてるところだが、その間に奴の周辺も洗っておこうと思ってな」


ミゾグチが倒れていた待合室は、受付から遮るものがなく、一目で全体を見渡せた。


受付は常に人で賑わっており、もし目の前で何か異変が起これば、すぐさま誰かが気づいたはずだ。


特に大きな持病も無い若い男が、そんな急に息が止まるものだろうか?


凛子は、山頂から流れる小川のように、淀みなく思考を広げていった。


「──やっぱり、生年月日ぐらいは知りたいな……」


凛子がそう小さくつぶやくと、月ヶ瀬は一瞬、首をかしげたが、すぐに関心はブースの外に移り、先にある廊下にある小窓を丹念にチェックし始めた。


「あそこ、人が出入りできるくらいの大きさだな……」


月ヶ瀬が窓に気を取られて席を立った隙に、凛子は机の上に無造作に置かれた調書をそっと開いた。


そこには、ミゾグチだけではなくキサラの本名や出身、生年月日までもが記載されていた。


思わず、心の中で軽く小躍りしそうになる凛子。

すぐに棚からノートとペンを取り出し、調書を写し出した。


本来、“四柱推命”は、“生年月日”に加えて“生まれた時間”と“出身地”がそろってはじめて、正確な鑑定が可能になる。


しかし、たとえ“生まれた時間”が分からなくても読み取れる情報は多く、性格傾向や体質など、十分なヒントを得ることができる。


凛子は、全てを写し終えると分厚い万年暦をペラペラとめくり、彼らの生まれ日を指でなぞりながら探した。


「ミゾグチさん自身は身強の【庚金】なのね。うん、まさに固くて剣のような鋭さは持っていたということね。で、キサラさんの方は、身弱の【癸水】か~。蒸発しやすいミストみたいな雨からして、優しく慈悲深さがある方ぽいわね」


凛子の話す声で振り返った月ヶ瀬は、凛子の目の前で開いていた調書を急いで閉じると、おもむろに眉をひそめ出した。


「キサラさんは命式に“水”が足りないから、【庚金】の彼に惹かれたのね。

もうすぐ夏だし、“水”はますます枯渇していくだろうから、自然な流れよね」


「……何の話だ、それは」


「相性の話ですよ。あ・い・しょ・う!」


凛子は、いたずらっぽい笑みを浮かべながら立てた人差し指をブンブンとふった。


「人には“自身を表す星”ってのがあって、それが性格や相性を左右するんです。

星の「気」のバランスが崩れると、つい自分にない気を求めてしまう。恋に落ちるのも、“気の偏り”ってやつかも。……ロマンチックでしょ?」


凛子の発言は、なぜか月ヶ瀬の胸にすんなりと入り込んでくる。


「知るか、そんなもんっ」


ペースを乱されまいと必死に抗うように、彼は不機嫌な顔で言葉を吐き捨てた。



その直後、コツコツと、凛子のブースの外から甲高いヒールの音が響いた。


凛子たちが同時に視線を向けると、そこには、いつの間にかマドモアゼル陽子が立っていた。


「何の話をしてるのかしら?何かこれ以上に物騒な話?」


陽子の登場に「ご出勤とは珍しい」と凛子は皮肉っぽくいった。


「オーナー、どうしましょう!? 事件が未解決だと、お巡りさんも頻繁に出入りするだろうし、お客さんも怖がっちゃって来なくなるかも……」


トランは、切羽詰まったように勢いよく陽子に詰め寄った。


「そこ、“お巡り”じゃなくて“警官”な」


その会話を聞いてた月ヶ瀬がトランの発言を訂正した。


「え? そんなの一緒じゃないの?」


「一緒だよ!」「いや、違うだろ……」

そんな低レベルな言い争いをしている二人を横目に、凛子は席を立ち、その場から立ち去ろうとしたが、背後から陽子の手がのびた。


「あら、これは、“占い師凛々”の腕の見せどころじゃない? このまま営業できないと、食いぶちも減っちゃうだろうし?少しくらい鑑定で協力してあげたら?」


陽子の発言に、凛子は諦めたように、深く息を吐いた。


「それは困るんで……じゃあ、ちゃんと“鑑定”しますか」


凛子はそう言うと、待合室周辺に張り巡らせている“立ち入り禁止”と書かれたテープを躊躇なくまたいだ。


「ちょ、おい、勝手なことを……!」


月ヶ瀬はあわてて止めに入るが、すでに現場の中にいる凛子は気にする素振りも見せず、頭の大きさほどのある羅盤を片手に四方八方、立ち止まっては確認の作業を繰り返した。


「……方位に異変はないけどなあ」


月ヶ瀬は鑑定をしている凛子の異様なオーラになぜか邪魔できない雰囲気に飲まれ、呼び止める声を失った。


陽子は、活き活きと鑑定を始める凛子の姿に、口元を軽く覆って、くすりと笑った。



──凛子はまだ知らなかった。


彼女自身の【宿命】も、この事件を皮切りに、ゆっくりと動き出していくことを──。

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