カフェ「ミネルヴァ」へようこそ!

@aoyama01

ミネルヴァについて

 ミネルヴァ、ローマ神話で知恵・技芸・戦争の女神。表記ゆれに「ミネルバ」「ミネルウァ」がある。

 叔父の月峰知秋が脱サラして 開いたカフェの店名でもある。月峰の峰と、知秋の知、音と意味合いに天啓を受けて名付けられた。

 通りを挟んで大きな公園に接するカフェは映画の一場面のような穏やかな風景を窓に映し、物語から出て来たようなニスを纏ったレトロな雰囲気で覆われている。

 店長のこだわりで本格派コーヒーを提供しているからか、通学路から一本ずれたような非日常を求める人たちが来客していた。

 四月中旬、桜も散り始めた頃。店の中からでも分かるくらい窓に青空が広がっていて、ジョルジュスーラ「グランドジャット島の日曜の午後」のように公園で穏やかに過ごす人々が、遠くに見えた。

 バーの居抜きをしたカフェは、今日も満員だった。

 カウンターに六人、四人掛けのテーブル二つ、二人掛けのテーブル二つ、合わせて十八人の店内は人数分ちょうど埋まっていた。

 外でも列ができている。春の陽気が外に出させるのか、今日のお客さんは老若男女様々だった。

 雑談の喧騒溢れ店内に、扉の開く音、ベルの音が響いた。

「いらっしゃいませー」

 大学生くらいの女性四人組が入ってきた。駅前のショッピングセンターの安価ブランドの服をきたカジュアルな服装だ。穏やかな色合いで、少し力が入っている。

 台拭きで片付けたばかりのテーブルに促す。ざわざわ騒ぐ店内でも、よくとおる高音で聞こえた。

「ねえねえ、店長さんほんと綺麗じゃない」

「本当だー」

 正円のトレーにお手拭きとグラスを載せ、テーブルに配る。

 それからカウンターに戻ると、手際のいいマジシャンのように流れるように手を動かして、店長がコーヒーミルに豆を注いでいた。

 店長、月峰知秋さん。近代の文豪のような、凛々しい美形。背は冷蔵庫と同じくらいの高さで、ずっと立っているからかシュッとした体つきでモデルのようだとたまに客が話している。所作が劇がかっており、演劇の貴族を思いおこさせた。

 カフェの制服はバーテンダーのようなフォーマルなものだからか、だいぶ女性ファンが多い。靴は安全性を考えて革靴の見た目の作業靴(ゴム底)だから隙はあるが。同性から見て本格的なカフェで雰囲気もあるからか、結構性別問わず客も来る。

「コーヒーよろしくー」

「はい」

 カウンター上の伝票を確認。ブレンド三つ。挽いた豆を三つに分けてロートに入れる。

 ナポリタンの注文を受けて店長は冷蔵庫横のコンロに移動して、鍋の用意を始めた。

 その間に俺フラスコの中に水を入れてバーナーに火を入れる。

 沸騰したところでロートを差し込むと、湯がロートに湧き上がるように引き上がった。

 それを竹篦でゆっくり混ぜる。沸々と豆の泡が立ち、甘いようなアロマが鼻に入る。

 それから弱火にし、他も同じような作業を繰り返す。

 その間に他のお客さんの依頼などが来る。「少々お待ちさい」と言ってもう一度まぜ、火を落としてコーヒーが下がる。

 フラスコを外し、温めておいたカップから湯を捨て、コーヒーを淹れる。

 三人分淹れて、他のテーブルに出す。

 それからさっきのテーブルで注文を取って、アイスコーヒー二つ、ホットコーヒー二つ、ケーキとホットケーキそれぞれ二つと注文を受ける。

 戻ってきたところでナポリタンを出す。それからまたホットケーキの準備をはじめ、こっちはアイスコーヒーの準備をしようとしたところで、外でアラームが聞こえた。

 窓の外でぶよぶよした生き物、超常生物が公園に現れていた。

 走るように円筒型の機械が囲むように集まり、制御線と。

 外の方を見ると、列はすでに消えていた。安全な場所に避難している。

 売り上げが!

 内心叫ぶ。不安げな客を落ち着かせようと店長が一歩でた。

「店の外にはでないでください」

 いつも通りを意識している。いつまでいるのかとは思う。そして待っている間も注文は出さなければいけないわけで。いや優先順位は理解できているが、でも、一人でできないとしたら。

 そう思っていたら、裏口から音がした。

「お疲れ様っす!」

 見ると、ぜいはあと息を荒げたバイトの先輩、石火夏彦先輩が膝に手をつけていた。

「お疲れ」

「突然でたから、マジで走ってきたんすよ。あと数歩ってとこでまじで出てビビりました」

「ああ、ちょうどよかった」

 俺と目を合わせた。そこで納得した。

「行って来なよ」

「いいんですか」

「あれ、C1級だろ」

 カウンター上の画面を見る。今日の客と、神森のニュースが流れる。

 緊急速報には、「【警報】神森公園にC1級超常生物が出現。」と表示されていた。C1級は超常生物の危険ランクの最下位だ。それでも一般人は太刀打ちできない。

 公園に現れたならすぐに討伐隊が派遣されるはず。そちらの方が後の手続きを考えると問題も起きづらいのではないか。でも怪我人が出るかもしれない。

 逡巡に足止めしていると、真顔の知秋さんが促すように首を裏口へ振った。

「石火くんにパンケーキやってもらうから、気にしなくていいよ」

「ありがとうございます」

 頭を下げて、裏口に向かう。

「一旦外します」

「おう。こっちのことは気にしなくていいからな」

「感謝します」

 立てかけた刀剣を手に持つ。鍔に閂のようなロックのついた特殊なものだ。

 それから飛び出し、ロボの背を追うように公園へ走る。

 *

 例えば大きな芋虫がうぞうぞと猪のような速さで走っていたら命の危険を感じるだろう。

 そんな感じの生き物が公園をひた走っていた。

 避難所へ走る人々を追うように走る。道中の植木や道を延々とへし折り、そして最後に看板をへしおり、道中の水飲み場にぶつかった。蛇口を食べる。

 体の表層の薄い黒い皮膚はダンゴムシのからのようで、食べた金属で体を覆っている。その体表は銃を受け付けない。

 だから俺は横から板を差し込み、自分の体を上から落とし、鉄豚を横に倒した。

 ころがり薄い体表を表した一瞬、真横に切った。包丁のように引き切り、心臓を叩き潰した。

 吹き出す黒い血。周囲の目線が怖いが、とりあえず自分の体にも血がかかる。

 ぐったりと力を無くした体はかなり重い。俺は何度か切って、死んだことを確認してからスマホを取り出した。アプリで呼び出しボタンを押すと、すぐに大きなごみ収集箱のようなロボットが現れ、包み込むように抱え、遺骸を回収した。

 掃除用ロボットが辺りを掃除し、他のロボットが破壊された現場の状態を撮影。

 アプリで遺骸の受託と、上長の許可を得たところで刀をしまった。カチッと鍵が閉まる。周囲に超常生物がいると鍵がかからない。

 安堵したところでカフェに戻った。

 連絡を入れたあとシャワーを浴びて、別の制服に着替えてカフェに戻る。

 警報が解除されたからか、客は皆入れ替わっていた。

「お疲れー」

「お疲れ様です。ご対応ありがとうございました」

「平和が先だろ」

「それはそうですね」

 刀剣を振るっても誰も気にしない。それよりもカフェの接客に戻らねば。

 昂った気はシャワーで冷めていた。それでも万事に備えて皿洗いに徹する。

 あまり残ってはなかったけど、丁寧に落ち着いて汚れをスポンジで拭う。

「ありがとうございましたー」

 背後で挨拶や雑談が響く。先ほどの戦闘も遠く離れ、同じ数直線上にあっても切り離されたような気分だった。

「またのご来店、お待ちしております」

 最後のご老人をタクシーに乗せて見送った。

 表の看板を返し、「準備中」にしてからドアの鍵を閉じた。

 店内ではすでに石火さんが箒がけしていた。店長はキッチンでタブレットを眺め、今日の分析をしている。

「カウンターやります」

「任せた」

 中に入り、コーヒー機器のメンテナンスを行う。今日は仕方ないが、次はコーヒーをもっと淹れたい。勘を研ぎたい。

「ああそうだ」

 フラスコを洗っていると、石火先輩が口を開いた。

「今日冬湖と同じくらいの連中がよく来てたな」

「俺がいない時ですか」

「ああ。警報が解除されてからも一部のバス区間が止まってたみたいだ。それでここ経由で駅に行く途中だったらしい」

「なるほど」

「今日イベントとかないよな」

「部活の新入生歓迎イベントとか、クラスの集まりがあるとは遠く聞きました」

「な、行かねえの」

「クラスの方は先週でした」

「そんじゃ他のクラスか」

「駅前ならカラオケ店も多いですから」

「ほーん」

「先輩は外から来たんですよね」

「ま、な。あんま土地勘ない。業スーの場所は教えて貰ったわ」

「生活の地盤ですね」

「買い行ってんの?」

「たまに。珍しいものが売ってるので」

「俺高校生の時は菓子とか、文化祭の屋台のもの買うくらいだったなあ」

 当てのない雑談で沈黙を埋めながら片付けを進める。

 いつもこの答えが正しいか緊張感で口が乾く。それでも作業していれば言葉が詰まる逃げになった。

 あれこれ話しているうちにほぼ同時に作業が終わった。奥の更衣室で着替えて調理場に戻ったところで知秋さんは手に箱を持っていた。

「お疲れ様。今日のナポリタン、とケーキ」

「ありがとございまっす!いいんすか」

「忙しかったからね」

「いただきます!」

 受け取ってすぐ、「お疲れ様でした!」と大声で叫んで外に出ていった。

「ガスと鍵は確認したから帰ろうか」

「はい」

 電気を消し、裏口から出て鍵を閉めた。外はすっかり夜で、冷めた外気に震える。電気を消しても明るく、見上げると星空が広がっていた。

 裏口横の階段を知秋さんと登る。

「冬湖くんのコーヒー、評判だったよ」

「まじですか」

「うん。君が外に出た後、帰り際に褒めてくれる人たくさんいてね」

「同情じゃないですか」

「それでも真っ先にコーヒーの味なんて出ないよ。卑下しすぎるのも失礼だ」

 変な気分だ。胸を掻きむしりたいような感覚。

 それから2階のドアの前に立つ。俺が鍵を開けて、ノブを押す。

「ただいま」

 知秋さんが言った。

「ただいま帰りました」

 俺も続いて言った。誰もいない。それでも安心できる場所が待っている。

 これが俺の平穏な日常だった。

 次の日、バイトの応募があるまでは。

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