第12話「洗い流された恥と夜明けの光」

 王城に、夜明けの光が差し込み始めた頃、歓喜の渦は頂点に達していた。

 王女の回復と、王都中の人々が黒煤病から解放されたという知らせが駆け巡り、城は祝祭のような雰囲気に包まれていた。人々は互いに抱き合い、涙を流して奇跡の到来を喜んだ。


 その中心にいたのは、疲れ果てた様子で壁に寄りかかっている、一人の洗濯屋だった。

 高位の魔術師も、神官も、近衛騎士団長さえも、誰もがその男に、畏敬と感謝の眼差しを向けていた。


 やがて、一人の男がアルクの前に進み出た。ギデオンだった。

 彼は、もはや何の体裁も繕わず、アルクの目の前で、深く膝をついた。そして、床に額をこすりつけるようにして、頭を下げた。


「……我々の、過ちだった」


 彼の声は、震えていた。それは、後悔と、そして偽りのない尊敬の念に満ちていた。


「我々は、君の力を正しく理解しようともせず、ただ自らの保身と嫉妬のために、君を貶めた。君が犯した失敗を、自分たちの無能さから目を逸らすための、都合のいい生贄にした。許してくれとは、言わない。だが、感謝させてほしい。アルク・レンフィールド。いや……偉大なる洗濯屋殿。君は、この国を、我々全員の『恥』をも、洗い流してくれた」


 ギデオンの言葉に、他の魔術師たちも次々と膝をつき、アルクに頭を下げた。

 彼らは皆、自分たちが犯した過ちの大きさと、アルクが成し遂げた偉業の本当の意味を、ようやく理解したのだ。それは、彼らが抱えていた心の染みを認め、洗い流すための、痛みを伴う儀式でもあった。


 アルクは、彼らの謝罪を、ただ黙って聞いていた。

 憎しみも、怒りも、もう彼の心にはなかった。全ては、聖なる洗濯と共に、洗い流された後だった。


 やがて、回復した王女を伴って、国王自らがアルクの前に姿を現した。

 国王は、アルクの手を取り、深々と感謝の意を述べた。


「国を救ってくれた英雄よ。君の望むものは、何でも与えよう。宮廷魔術師団の長として、最高の地位と名誉を約束する。どうか、再びこの国のために、その大いなる力を使ってはくれまいか」


 それは、五年前に失った全てのものを、それ以上の形で取り戻せる、破格の提案だった。

 周りの誰もが、アルクがそれを受け入れるものだと信じて疑わなかった。


 だが、アルクは、静かに首を振った。


「お断りします。俺の居場所は、ここじゃありません」


 彼の言葉に、国王も、ギデオンも、誰もが目を見開く。


「俺は、ただの洗濯屋です。俺の帰りを待っている人たちがいる、ひまわりの咲く、小さな洗濯屋です。そこで、人々の服を洗い、心に染み付いた小さな悲しみを洗い流していく。それが、俺の仕事ですから」


 彼の表情は、晴れやかだった。

 そこには、もはや過去の影も、未来への野心もなかった。ただ、自分の生きるべき場所を見つけた男の、穏やかで満ち足りた顔があった。


 国王は、彼の決意の固さを悟ると、寂しそうに、しかし深くうなずいた。


「……そうか。君の意志、確かに受け取った。ならば、せめてこれだけは受け取ってほしい。国からの、心ばかりの感謝の印だ」


 国王が差し出したのは、莫大な報奨金などではなかった。それは、王家の紋章が刻まれた、一枚の通行証だった。


「これがあれば、君は生涯、この国のどこへでも自由に行き、商いをすることができる。そして、君と『ひまわり洗濯店』は、王家の庇護の下にあることを、ここに約束しよう」


 それは、彼がこれからも「洗濯屋アルク」として生きることを、国が最大級の敬意をもって認めた証だった。


「……ありがたく、頂戴します」


 アルクは、それだけを言うと、静かに頭を下げた。


 別れの時、ギデオンがアルクに声をかけた。


「いつか……君の洗濯屋に、俺の服も洗いに行ってもいいだろうか。俺の心にも、まだ洗い流すべき染みが、たくさん残っている」


 その言葉には、かつての傲慢さのかけらもなかった。

 アルクは、初めて彼に向かって、小さく笑った。


「ああ、いつでも来い。特製のひまわり石鹸で、ピカピカにしてやる」


 二人の間に、五年の歳月を経て、ようやく本当の意味での和解が成立した。


 アルクは、誰にも見送られることなく、夜が明けきらぬうちに、ブクと共に王都を後にした。

 彼の心は、ソレイユの丘へと向かっていた。

 黄金色のひまわり畑と、世界で一番の笑顔が、彼を待っている。

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