死人賢者カガミ ─死を越えて蘇る者─

プリンよりティラミスの方が好き

第1話「賢者、死して帰還す」

――終わらせる。

 この命ごと、全部。


 黒い炎が空を裂き、世界が軋んでいた。

 魔界の塔の最上階。あちこちで崩落が起きている。

 立っているのは、もう俺と――魔王ヴァル=ゾルグだけだった。


「お前を残して生きるぐらいなら、死んだ方がマシだな」


 声に力を込めたつもりだが、血の味しかしない。

 体のあちこちが焼け、杖は折れていた。


「愚かなる賢者。死は私の領域。抗おうとするほど、より深く沈むぞ」


 魔王が黒雷を放つ。

 避ける余力なんてない。

 それでも、俺は笑った。


「上等だ。なら――」


 最後の詠唱を口にする。

 魂が軋むような痛みが走る。


「《終律・聖断(ディヴァイン・ゼロ)》!」


 白と黒がぶつかり、世界が反転した。

 光の中、魔王の声が響く。


「貴様の魂、死者の理(ロウ・オブ・デス)に縫い付けてやる」


 胸を貫く黒い鎖。

 熱も痛みも超えて、ただ冷たかった。


 視界が白く染まり、意識が遠のく。


(これで、終わったはずだ)


 ――そう思っていた。



---


 湿った風が頬を撫でた。

 土の匂い、木々のざわめき。

 ……鳥の声?


 目を開けると、森の中だった。

 生温い土の上に倒れている。


 どうやら、地獄ではないらしい。


「……生きてる?」


 いや、違う。

 胸に手を当てても鼓動がない。

 血の流れも、息の熱も感じない。


「心臓、止まってんのか……?」


 自分でも笑ってしまった。

 死んだのに、ちゃんとツッコミが出るあたり、我ながら元気だ。


 魔王の言葉が蘇る。

 “死者の理”に縫い付ける――。


 つまり、俺は死んだまま存在しているってことだ。

 たぶん、これを世間では「死人(デッド・マギア)」と呼ぶんだろう。



---


 服を見下ろす。

 焦げたローブに穴が開いている。

 異世界の格好で人前に出たら通報案件だ。


「……幸い、まだ残ってるな」


 右手を軽く振る。

 空気がかすかに揺れ、黒い円が浮かび上がる。


 《アイテムボックス》――魂に紐づいた収納術。

 死んでも残るとは、意外と優秀だ。


 中を覗くと、折り畳まれた服が見えた。

 黒のシャツに伸縮素材のズボン。

 異世界の素材だが、見た目は登山服に近い。


 ローブを脱ぎ、手早く着替える。

 通気性がよく、動きやすい。

 これなら現代でも違和感は少ないはずだ。


「……文明社会仕様、完了っと」


 小さく呟き、森を抜ける。



---


 木々の間を抜けた瞬間、眩しい光が目に刺さった。

 眼下には、ビルの街並み。

 舗装された道路、電線、車。

 ――懐かしい。

 けど、どこか違う。


 風が重い。

 腐った草のような、微かな匂いが鼻をかすめた。


 耳を澄ますと、森の奥からカラスの鳴き声。

 何羽も群れで飛び立ち、電線にぶつかって落ちた。

 そのまま、動かない。


「……嫌な予感しかしないな」


 魔界で見た“瘴気”の前兆に似ている。

 生命の気が乱れ、まず動物から狂い始める。

 時間の問題で、人間にも波及する。


「まさか……俺が持ってきたのか?」


 呟いた言葉が、風に溶けた。



---


 街に降りる。

 人々は仕事帰りらしい。

 スマホを見ながら歩く姿が、異世界よりよっぽど不気味に見えた。


 ふと、路地の向こうで犬の鳴き声がした。

 振り向くと、茶色い雑種が地面に倒れ、痙攣していた。

 周囲の人間は遠巻きに見ているだけだ。


「誰か動物病院……」

「やめとけ、触るな」


 人間ってのは、ほんとに“見てるだけ”が得意だな。


 俺はしゃがみ込み、犬の額に手をかざす。

 瘴気が漂っている。だが、まだ浅い。

 誰にも気づかれないように、小声で呟いた。


 《鎮魂(リポーズ)》


 光は出さない。

 ほんの一瞬、空気が震えただけ。

 犬の体が静まり、呼吸が落ち着いた。

 その顔は、不思議と穏やかだった。


「……よく頑張ったな」


 小さく呟き、立ち上がる。

 通行人がこちらを見ていた。


「大丈夫ですか?」

「もう……苦しまない。放っといてやってくれ」


 それだけ言って、その場を離れた。



---


 人気のない路地に入り、壁にもたれる。

 自分の手を見る。

 冷たいのに、汗が滲む気がした。


「……死んでんのに、妙に疲れるな」


 息を整えながら、指先を軽く動かす。

 魔力の流れを確認する。

 思ったより鈍い。やっぱり死んでる分、性能は落ちてるらしい。


「《ステータス・オープン》」


【賢者カガミ/状態:死人(デッド・マギア)】

Lv:測定不能(死者判定)

HP:—— MP:3400/3400

封印解除率:8%

生死:心停止/魂循環:稼働中

筋力:C+ 敏捷:B− 知力:S− 耐久:B 魔耐:A

称号:相打ちの帰還者

使用術式:鎮魂・結界・短冊/破陣/崩歩・八式

備考:瘴気源の鎮静により封印解除率上昇


「封印解除率、八パーセント。……先が長いな」


 弱い。

 でも、生きてる時より、皮肉にも“命の意味”を感じている気がする。



---


 街の灯りが滲んで見えた。

 ネオンの下を歩く人々。

 笑い声と、どこか薄い幸福。


 心臓は動かない。

 でも胸の奥が熱い。


「この世界は、まだ壊れてない。

 でも、静かに崩れ始めてる」


 風が吹いた。

 冷たいはずの風が、妙に暖かかった。


「死んでるけど、今度は間に合わせてやるさ」


 そう呟き、夜の街を歩き出す。


 ――死人の賢者は、滅びの前夜に再び立つ。



---

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