ブラッディ・ブラッド・レーン

新巻へもん

第1話 それは簡単な仕事のはずだった

「俺に何のメリットがある。それに今日は仏滅で13日の金曜日だ。絶対に良くないことが起きる。嫌だね」

 独房の中に居る男はにべもなく言い放った。

 派手な原色系のポロシャツとズボン姿の男は、それきり、畳に横たわるとくるりと私に背を向けてしまう。

 もう少し若い頃は軽薄とも感じられただろう整った顔は年齢と共に落ち着きを加えており、普段は見る人を惹きつけるのだろうと思われた。

 いかにも愛想の良さそうな印象だったが、私に関してそれを披露するつもりは無さそうである。

 隣にいる刑務官たちに視線を送ると苦笑していた。

「だから言ったでしょう。この男が自発的に協力するはずが無いって。どうします?  強制的に出しますか?」

 私はため息をつくと顎を引く。

「ああ。頼む」

 独房の鍵を開けると刑務官たちは中に入って、吉澤達夫33歳を畳の上から引き起こした。

「何をするんだ? 俺は真面目に服役しているんだぞ。それをここから無理やり出そうとするなんて横暴だ。訴えてやる」

 威勢のいい言葉を並べているが荒事はからきしダメなようで、体格のいい刑務官に両腕を取られると難なく連れ出される。

 私は手錠を取り出すと前に回された吉澤の手首に手錠をはめようとした。

 そこで吉澤は少しばかり無駄な抵抗をする。

 敵うわけもなく取り押さえられ、私はさらに腰縄をつけた。

 壁にかかる時計で時間を確認すると刑務官に告げる。

「8時43分。飯島警部補、服役囚153番の管理を引き継ぎます」

 観念したのか吉澤は刑務所を出て車に乗り込むまで大人しくしていた。

 特別仕様の車の後部座席に吉澤を乗せるとほっとする。

 この車両は中からは扉が開かない構造になっていた。

 運転席に乗り込みエンジンをかけて走り出す。

 札幌刑務所の敷地を出ると吉澤は途端にあーだこーだと煩くしゃべりだした。

「なあ、兄ちゃん。悪いことは言わねえからさ。刑務所に戻ろうぜ。その歳でまだ死にたくねえだろ? 俺も33だけど、まだ死にたくはねえからさ。な、俺の話を聞けって。マジでこのままだと後で俺の話を聞いておけばよかったって後悔するよ。人がいっぱい死ぬから。いやホント」

 無視をしていたが延々と同じ話を繰り返すので次第にイライラとしてくる。

 何が簡単な仕事だよ。

 私はこの仕事を割り振った上司の顔を思い浮かべてうんざりとした。


 事の始まりは管内に住む相沢彰吾くんという小学校3年生の男の子が酔っ払い運転の車にはねられて重傷を負ったことである。

 通報を受けて駆け付けたところ、彰吾くんをはねた車はその後電柱にぶつかり大破しており容疑者はスピード検挙されることとなった。

 彰吾くんは病院に緊急搬送されたが事故の際に折れた肋骨が肝臓を傷つけており緊急手術が必要となる。

 問題は彰吾くんの血液型がRhnull型という極めて稀なもので輸血に難があることだった。

 そして、国内で一致する唯一の人間が吉澤であることが判明する。

 つい先日もスピード違反車両による痛ましい子供の死亡事故が起きたばかりで、警察はなにをやっているんだという八つ当たり的な批判をかわしたい上層部は吉澤の病院への移送を企図した。

 人道的処置という魔法の言葉はこの国の司法の運用を柔軟にし、異例の速さで裁判所の許可が下りる。

 そこまではいい。

 しかし、ここで署内の謎の押し付け合いが発生した。

 交通課は事件の捜査で忙しい。

 本音としては失敗すると大目玉だが、上手くやっても手柄にならないこの仕事を嫌って私の所属する生活安全課に話が持ち込まれる。

 彰吾くんは少年であるからして、その健全なる育成を支援する少年係がやればいい、という謎の理屈であった。

 まあ、ぶっちゃけうちの課長が負けたというだけである。

 そんなわけではるばる来たぜ北海道、ということに相成った。


 事前に調べていた通りの道を運転する。

 道道89号線を進み豊平川を渡って左折をした。

 とたんに吉澤の口から出る台詞が変化する。

「お、スタバがあるじゃないか。なあ、コーヒー飲んでこうぜ。いいだろ。せっかくシャバに出たんだからさ。あー、無性にコーヒーが飲みたい。コーヒー飲んだら静かにするからさ」

 自分がうるさいという認識はあるらしい。

 金網越しに熱心にかき口説くうちに車はスターバックスの前を通り過ぎた。

「おい。通り過ぎたじゃねえか。人の話聞いてんのか? 俺はコーヒーが飲みたいって言ったんだよ。無視すんなよ。ちゃんと人の話は聞きましょうって小学校で習わなかったのか」

 それから更なる苦行が始まる。

 立て板に水で吉澤の口から本当にどうでもいい話が開陳された。

 吉澤に人の話を聞くようにと指導した1年生のときの佐々木先生の話が始まる。

 33歳の女性の先生で女児には甘く、男児には異常に口やかましかったらしい。

「それでよう、隣の席の島田、じゃないな、えーと島本? 島崎だったかな。なあ、兄ちゃん。隣の女の子の苗字なんだと思う?」

 私が知るわけないだろう。

「まあ、いいや。その島なんとかが消しゴムを忘れたって言うんで俺が貸してやったわけよ。そのときにその島なんとかは何をしたと思う? 俺の筆箱の中のシャーペンを見つけて先生にチクりやがったんだ。せんせー、吉澤クンがシャーペン持ってきてますぅ」

 最後の方は変な甲高い声色まで出していた。

 マジで煩い。

 怒鳴りつけるのをぐっと我慢する。

 ふうっと息を吐いて心を落ち着けようとするが、危うく北郷インターチェンジで道央道に乗り損ねるところだった。

「まあ、確かにシャーペンは持ち込み禁止だったさ。でも、消しゴム貸したのに俺が叱られてお気に入りのポケモンのシャーペン没収されたわけよ。ひどくねえか? 恩を仇で返しやがってよ。あ、ちなみにシャーペンって外国で言っても通じねえから。メカニカゥペンスィルだかんな」

 無駄にそれっぽい発音が神経に障る。

「シャーペンだと尖った鉛筆になっちまう。そうそう。電気メーカーのシャープってあるだろ。あれの語源ってシャーペンなんだぜ。なかなかのトリビアだろ?」

 バックミラーでちらりと吉澤の顔を見た。

 俺の視線に気づいたのか、今度はトリヴィアル・パスートとかいう雑学を問うボードゲームの話を始める。

 どこかに口を閉じるスイッチがついていないかなと思ったが残念ながらそんなものはついていなかった。

 

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