第8話「魔獣を退ける緑の壁」
辺境の村が豊かになるにつれ、新たな問題が浮上してきた。それは魔獣の襲撃だった。
エルナが育てる作物の放つ豊かな生命力の匂いが、森に潜む飢えた魔獣たちを惹きつけてしまうのだ。これまではガイオン率いる騎士団が村の周りを巡回し、魔獣を寄せ付けずにいた。しかし作物の種類が増え畑が広がるにつれてその匂いはより遠くまで届くようになり、引き寄せられる魔獣の数も種類も増えてきていた。
「昨夜も村の近くまでゴブリンの群れが来ていた。騎士団が追い払ったが、いずれはもっと大型の魔獣も現れるだろう」
騎士団の詰め所で、ガイオンは厳しい表情で地図を睨んでいた。エルナも彼の隣で神妙な顔つきで話を聞いている。
「このままでは村人たちが安心して暮らせない。かといって騎士団の人員にも限りがある。常に村全体を守り切るのは難しい」
ガイオンの言葉に、エルナは胸を痛めた。村の豊かさがかえって危険を招いてしまっている。自分のせいだ、とさえ思った。
『何か私にできることはないかしら……』
エルナは必死に頭を巡らせた。王都の書庫で読んだ様々な植物に関する知識を思い出す。攻撃的な力はないけれど、「育成」の力で何かを成し遂げられるはずだ。
その時、ふとある植物の記述が脳裏をよぎった。
「ガイオン様。『忌避の棘(きひのいばら)』という植物をご存知ですか?」
「忌避の棘?」
ガイオンが訝しげに眉をひそめる。
「ええ。古文書に載っていた植物です。非常に強い、獣が嫌う匂いを放つ棘を持つ蔓植物で、魔獣除けの柵として使われていた、と……。ただ繁殖力が弱く育てるのが極端に難しいため、今では幻の植物とされています」
「そんなものが……。だが、幻の植物では役に立たん」
「いいえ」
エルナは強い意志を込めて、ガイオンの目を見つめ返した。
「わたくしの力があれば育てられるかもしれません。種さえ手に入れば……」
その言葉に、ガイオンの目がわずかに見開かれた。彼はしばらく何かを考えていたが、やがてうなずいた。
「……分かった。心当たりを探してみよう」
それから数日後、ガイオンは本当に「忌避の棘」の種を手に入れてきた。古くからの交易相手であるドワーフの商人から、大金をはたいて譲り受けたのだという。それは干からびて黒ずんだ、米粒ほどの小さな種だった。
「本当にこんなものから芽が出るのか……」
半信半疑のガイオンの前で、エルナはその種を丁寧に鉢に植え、両手で包み込むようにして聖なる力を注ぎ込んだ。
すると、信じられないことが起きた。乾ききっていたはずの種がみるみるうちに潤いを取り戻し、土の中から力強い緑の芽が顔を出したのだ。芽はぐんぐん伸びて蔓となり、鋭い棘と小さな葉を茂らせていく。その成長速度は、常軌を逸していた。
「すごい……これが君の力か」
ガイオンが息をのむ。エルナは微笑んでうなずいた。
エルナはその日から村人たちにも手伝ってもらいながら、「忌避の棘」を村の周囲に植えていった。彼女の力が注がれた棘は、この痩せた土地にもしっかりと根を張り、驚異的な速さで成長して、あっという間に村全体を取り囲む緑の壁を作り上げた。
完成した壁は高さが三メートルにも及び、鋭い棘がびっしりと生えているため、物理的にも魔獣の侵入を防ぐ強固なものとなった。そして何より、その植物が放つ独特の青臭い匂いは、人間にはほとんど感じられないが、魔獣にとっては耐え難い苦痛を与えるものだった。
効果はてきめんだった。
緑の壁が完成して以来、村の近くで魔獣の姿を見ることはぱったりとなくなった。夜になると聞こえていた不気味な咆哮も止み、村には完全な平穏が訪れた。
「聖女様のおかげだ!」
「これで夜も安心して眠れる!」
村人たちは手を取り合って喜び、エルナへの感謝と尊敬の念をさらに深めた。
ガイオンも緑の壁を見上げながら、深い感嘆のため息をついた。
「君は本当にすごいな。剣や魔法で敵を打ち倒すだけが強さではないのだと……君に教えられた」
彼の率直な賞賛の言葉に、エルナは頬を染める。
「ガイオン様が種を手に入れてくださらなければ何もできませんでした。それに、皆さんが手伝ってくれたおかげです」
「それでも、中心にいたのは君だ」
ガイオンはそう言うとエルナの隣に並び、同じように緑の壁を見上げた。
「この壁は、君の優しさそのものだ。誰かを傷つけるのではなく、守り退けることで平穏を作る。……君らしいやり方だ」
彼の横顔は、夕日に照らされて穏やかに見えた。
緑の壁は村の安全を確保しただけでなく、エルナに大きな自信を与えてくれた。「育成」の力は食料を生み出すだけではない。大切な人々を、この穏やかな暮らしを守る力にもなるのだ。エルナは自分の居場所が確かにここにあることを、改めて強く実感したのだった。
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