軍都
三十〼
軍都
「隊長!」
「隊長!」
遠いところでそんな声が聞こえた。
白濁しぼやけた視界の先には幾つかの人影と、そして燃え盛る紅蓮色が揺らめいている。
重い瞼を押し開けてその中の一つの人影に焦点を合わせると、そこには一人の士官が涙していた。
…そうか、私は、負けたのか。
「…米沢。」
かすれた声で一言発すると、噎び泣きの音が止んだ。
「隊長…」
しかしながら炎の濛々たる音は更なる勢いを増して、私たちの間に分け入ってくる。
「米沢。お前、妹がいたよな。元気か?」
「…!」
米沢はしばし面食らったような阿保面を見せた後に、
「……はい。元気にやってます…!」
とだけ答えた。
「そうか。そうか。」
痺れが痛みが体を覆いつくす中、私は無理に笑顔を作って見せる。
それに伴って周りを囲っていた米沢以外の部下たちも私に寄った。
「…いいか?米沢。皆。上官としての最後の命令だ。」
そうして一呼吸置いた後、おぼつかなくなりつつある口で、続けた。
「死ぬな。」
視界が薄暗くなる。もう手足指の感覚はなく、最後に聴覚のみが残った。
「隊長!」
「隊長!」
「たいちょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!
私は最後まで、笑っていた。
深い深い眠りの世界に自意識が入り込んでいくのを感じていた。死ぬということに恐怖はなかった。
それこそ、軍人になるという決意をした時点でそんな覚悟はとうにできていた。
別に正義に燃えていたわけではない。
そもそも戦争に正義などないのだから。
ただ怖かった。
自分の故郷が蹂躙されるのが。
なんだ。覚悟なんてこれっぽっちもできちゃいないじゃないか。
私の死体を囲んで、7人のよい部下たちが咽いでいた。
よくよく見れば、四肢はひどく壊れ切り、周囲一帯をどす赤い液体が染め上げているではないか。その赤い海の中に、銀に光る物体が沈んでいる。
買った時には金箔に包まれていたのだが、もう殆どが剥げてしまった。
あれは、妻が私の昇進祝いに選び渡した懐中だ。
「…あなた、いつごろ帰ってくるんです?」
街にまで敵軍が迫ってきていた今回の出征の直前に、彼女はそう聞いた。
私が帰って来られないことは明白の理だった。だから、
「………盆には必ず。」
とだけ答えたのを覚えている。
ああ、そうだ。千代だ。行かなくては。千代…千代…
部下たちに一瞥してから、炎の中へと抜ける。勿論彼らが私に一瞥し返すことはなかった。
温度を感じない炎を抜けると、街を見下ろす高台に出た。
鋼鉄が張り巡らされ、数多の煙突が突き刺さっている。
幾つも幾つも上に階層が積み上げられた建物群と、そこから伸びる配管群。
そしてあふれ出す黒煙と蒸気。その都市の様相は灰色の巨大な塊の如く見える。
丁度円錐形をしていることから「活火山」などと言う通り名が付くのにも納得できる。
今私がいるのはそんな都市の末端部、金網が積み上げられた地域で、眼下には貧民街が広がっている…はずだ。
ただ、その貧民街も今や多くが炎に包まれており、姿形は殆ど視認やできない。
近くから銃声が聞こえる。
赤子の鳴く声と共に。
丁度横を、旧型の銃剣を携えた小隊が駆け抜けていった。
まだ若い。士官学校の生徒までも皆出払わされているのだろう。
暫くしたら、一個小隊分ほどの銃声が聞こえ、そして途絶えた。
同時に赤子の泣き声も聞こえなくなっていた。
私は吐けぬ息を吐くと煙突沿いに飛び降りた。
我が国最大の都市である軍都がこの有様では、戦争なぞ続けられる筈がない。
無駄な犠牲が出続けるのを止められぬ自分に苛立ちつつ、先を急ぐ。
運行はとうに止まった磁気鉄道の軌道上を進む。時折空襲があり、そのたびに鉄板やら金属片やらが降り注いだ。
最寄りの駅跡まで着くと、その後は更に急いだ。不安に駆られ急ぐほか無かった。
だが、
そんな不安は杞憂とはいかなかった。
酷い空襲に遭ったのだろう。
我が家に着く遥か前から見て取れるほど、一帯は焦土と化していた。
――そしてそれは勿論、我が家も例外とはいかなかった。
鉄板葺きの屋根は穴が開き、木造の我が家は最早家の体裁を保ってすらいなかった。
いるのか千代…千代…お前にもうひとたびだけ、会いたい。
幸い、狭い家だ。千代の姿はすぐに見つかった。
ただそれは、大抵喜べる形の邂逅ではなかった。
「千代!」
そう近寄るが、彼女は数刻前の私と同様、息も絶え絶えだった。
存在しない膝を折り、触れられぬ彼女を抱き締めた。
しかし千代はなぜだか私に気づき、血の沁みた眼でこちらを見やった。
その次に震える手で、私の頬を撫でる。
「…あなた。」
そしてこれまた数刻前の私と同様に笑顔を作った。
ひきつった笑顔だった。
「早かったじゃない。まだ夕飯、できてないわよ。」
その瞬間、私は落涙していた。
「…遅すぎたんだよ。……千代。」
軍都の端で、咽び泣く男の声を聞いた者は誰一人いなかったという。
軍都 三十〼 @sanjumas
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