第3話 とある地球侵略軍基地
「早かったな。ベータが迎えに行くと言っていたようだが、途中で会わなかったか」
郊外の雑木林に埋もれた、廃工場の一室。もとは製造レーンが組まれていたであろう広い部屋に、それらはいた。体長二メートル前後の影が四つ、夕闇を背に並んでいる。飛び出した触覚の先端で発光器を光らせる者、四肢がケーブルの束のようになっている者。人型の真っ黒な鎧。そしてたった今デルタに声をかけたのは、最奥の、最も影の濃い場所に座る人影だった。デルタはそれらを目だけでぐるりと見回し、白々しく驚いて見せた。
「いや、全く知りませんでした。ベータも言っといてくれれば良かったのに」
「嘘をつけ。ベータの副官が、隊長と連絡が取れんと泣きついて来たぞ。先週きさまと奴が言い争うところを見た者もおる。どうせ共同作戦の途中で仲間割れでもしたのだろう」
触覚を持つ二足歩行の生き物が息巻いて身を乗り出し、翻訳機の音声を濁らせながらデルタに詰め寄った。先端を蛍のように光らせた触覚は持ち主の感情を映してその顔の周りをせわしなく蠢く。デルタはその小さな光をうるさそうに眺めた後、相手の巨大な瞳孔を見返して小馬鹿にしたように笑った。
「見間違いでしょう。たかが小隊長の俺が、幹部と言い争う? 冗談きついですね、イプシロン」
「何だと! 小隊長ごときが、俺に口答えするか! 司令直属の特殊部隊だからと増長が過ぎる。司令、こやつの懲罰を」
「黙れ。デルタ、ワクチンは回収できたのか」
『司令』と呼ばれた長身の影に促され、デルタは包帯を巻いた右手で、シグマに回収させたケースを部屋の中央に置いた。そのまま滑らかに後ずさる足取りからは、背中を刺されたことなど誰も気づきようがない。デルタは床に落ちる窓外の雑木の影を踏んで止まり、上がった呼吸を悟られないよう顔を伏せた。毒のせいか失血のせいか、脈がやけに速い気がした。足元の影がふと濃くなり、何の前触れもなく肩を叩かれる。我に返ったデルタの正面には、人の頭を輪郭だけ模した
「どうした、顔色が悪いようだが」
「血色をごまかす化粧をしましたので、そのせいかと」
「血のにおいがする」
「爆発の破片で切りました。地球人の皮膚は脆いもので。ご不快な思いをさせたのでしたら、申し訳ありません」
目も鼻も口も無いその顔に向けて、デルタは包帯を巻いた右手をかざして見せた。司令はそれきり喉の辺りに浮遊する翻訳機から声を発することは無く、ただじっとこちらを見ているだけだ。見透かされているのか、とデルタは身構えたが、どのみち正直に答えるという選択肢はなかった。地球遠征軍の中にあって、負傷や病気を公言するのは無知な下っ端か金持ちだけだ。耐えられない者は脱走するか、もしくは弱って死ぬ。数回のワープの果てに地球の衛星軌道までたどり着いたのは全軍の六割。最初の総攻撃が不発に終わり、追加の補給を待つこの一年弱の間に、病死と脱走でその数は
「ラミナ人はたいてい血なまぐさいものだ。とはいえ気をつけろ、これまで調査用に捕獲した地球人はみな一カ月ともたずに死んだ。奴らが弱いのは勝手だが、お前にはまだ用がある」
「ありがとうございます」
「そうそう。全身の皮を剥いで地球人のものに貼り替えるような変態趣味は、たやすく見つかるものではない。我らも頼りにしていますよ、デルタ」
イプシロンのものよりも高い人工音声が、嘲笑交じりに話しかけてきた。デルタは息苦しさを押し殺し、そちらに視線を向けた。無数のケーブル状の手足を床に垂らした宇宙人が、巨大な頭の色をしきりに変えながら佇んでいた。貧血状態でめまぐるしい体色変化を見せつけられるのは、ただの拷問だ。いつかその頭ねじ切ってやる、と心の中で吐き捨て、デルタは答えた。
「どうも。ところでガンマ、製薬会社のコンピュータから百六十二号の研究データを盗み出すという作戦、どうなりました? まあ、成功してりゃ、今ごろ俺みたいな下っ端の変態を幹部総出で出迎えてるわけがないんでしょうが」
「その減らず口を閉じろ! きさまよくも」
嘲笑されたガンマの手足が床から浮き上がり、一瞬縮こまる。こちらに襲いかかる予備動作だと、デルタにはよく分かっていた。だがそれがデルタの身に届く前に、大柄な影が二人の間に立ち塞がった。これまで無言で列の隅に立っていた、黒い人型の鎧だった。
「セキュリティが思いのほか強固で、解析に手間取る間に電力不足で時間切れとなったそうだ。地球の医学の発達度合いについて、この作戦で明確な成果を持ち帰ったのはお前だけだ」
「……ちっ」
攻撃のタイミングを外されたガンマは舌打ちをもらしたが、まさか基地司令官の第一の側近を攻撃するわけにもいかない。黒い鎧はガンマが矛を収めるのを待って、腰に巻き付けたウエストポーチのファスナーを開け、中に指を差し入れた。
「百六十二号は、本星でも特効薬を研究中の病だ。このワクチンが有効だと証明されれば、司令の本星での評価も上がることになる。これは報酬の前金だ」
「……どうも」
黒く硬質な指がデルタの右手を掴み、掌にクレジットカードを握らせた。裏面に書かれている擦れた文字は、おそらく元の持主だった地球人の名前だろう。彼もしくは彼女がどうなったのか、などということは、デルタにとって大して重要なことではない。上着の胸ポケットにカードを収めたデルタを見下ろして、鎧は続けた。
「地球人どもの間で、新しい動きがあった。近日中に新しい任務を伝える。……ここから先は幹部会議だ。指示があるまで拠点で待機せよ。よろしいですか? 司令」
「アルファに任せる。私は総司令部への報告があるからな」
影だけの頭がいちど頷き、伸びていた首が音もなく元の場所へと戻っていく。再び人の形に戻った司令に一礼して踵を返し、デルタは出入口の方へと歩き出した。聞こえよがしなイプシロンとガンマの抗議が、高い天井に響き渡った。
「司令はこの一年ですっかり及び腰になったと見える。圧倒的戦力差を見せつけて地球人どもの抵抗をくじき、現地に
「傭兵くずれのラミナ人などよりも、我らの方が速やかに作戦を遂行して見せます。次はどうぞ私にお任せを」
イプシロンが怒鳴り、ガンマは猫なで声を垂れ流した。デルタは背を向けていたが、二人がどんな顔をしているのかは手に取るように分かった。イプシロンは鮫のような鋭い歯をむき出しにし、ガンマは媚びるように手足をくねらせているだろう。少しばかりおかしくなって、デルタは引きつった呼吸の合間に声もなく笑った。
「ならばなぜ今回、お前たちは成果を持たずに戻ったのだ? お前たちには自分の軍備もあるというのに、私の装備と金を使った挙句に何も持ち帰らなかったではないか」
司令は脚を組み替え、ややうんざりしたように答えた。ほくそ笑むデルタが扉の
「わが軍は地球人どもの軍備を正面から粉砕する為にあるのだ。デルタのように、
「お言葉ですが司令、我々の作戦は最終段階まで進んでおりました。あと五時間いただければ、地球人どもの研究データを全て揃えてご覧に入れましたのに」
デルタは彼らの押し問答を背に、埃の固着した古い扉を押し開け、その向こうに滑り出た。途端に世界が回り、壁に手をつき損ねて右肩からぶつかる。衝撃が体を突き抜け、針が刺さったままの背中の傷がずきりと痛んだ。
「い……っ、くそ、が」
鎮痛剤が切れかけている。デルタは何とか体勢を立て直し、気力だけで出口へと歩いた。ここで倒れて大きな音を立てれば、幹部たちに負傷を嗅ぎつけられてしまう。自前の装備も私兵も持たないデルタとそのチームにとって、それは死を意味した。壁に模様ばかりの爪を立てて体を支え、傷の痛みに強張る肺で必死に息をしながら歩く。視線の先にある玄関扉は開け放され、陽光の熱が目の奥に突き刺さってきた。そちらへ一歩ずつ進むデルタの視界に、こちらへ近づいてくる人間の影がちらついた。汚れたパーカーとジーンズを纏った長身と、どこか無防備な動き。シグマは出入口の薄暗がりにデルタの姿を見つけるや否や速度を上げ、思いつめた表情で中へと駆け込んだ。馬鹿、地球人が入ってくんな。喰われるぞ。デルタは彼を𠮟りつけようとしたが、壁から手を放した途端に膝から力が抜けた。床に倒れ込みそうになったデルタの腕を掴んだのは、後ろから伸びてきた黒く冷たい腕だった。
「忘れ物だ、デルタ」
「……ああ、どうも」
低く落ち着いた声は、翻訳機の人工音声ラインナップにはない。とっさに左腕を振り上げようとしていたデルタは、アルファの顔を見てわずかに緊張を解いた。兜の中央に入ったスリットの奥で、ほのかに発光する黄緑色の目と視線が合う。アルファは『忘れ物』と声をかけた手前なにかを渡そうと思ったらしく、腰のウエストポーチを何度か探り、ようやく探し当てた飴玉を一つデルタの掌に乗せた。
「やる」
「これ、『忘れ物』?」
「間違えた。『お裾分け』だ。日本語は難しいな」
アルファは抑揚の少ない声で淡々と答え、そのまま正面に顔を向けた。彼らの前にたどり着いたシグマはデルタを連れてすぐに戻るつもりだったらしいが、影に溶け込んでいたアルファに気づいて硬直している。だが彼はそのまま腰を抜かしたりはせず、覚悟を決めて宇宙人たちの傍に駆け寄った。
「お話し中失礼します。隊長、緊急連絡です」
「こちらの話は済んだ。行け」
アルファが腕を放し、デルタの背を軽く押した。つんのめったデルタが倒れ込む前に受け止めたシグマは、そのままデルタの膝裏を掬い、横抱きに抱え上げた。デルタは視界が上下する感覚に吐き気を覚え、とっさにシグマの肩に頭を押し付ける。狂った平衡感覚を宥めながら、デルタは何とか絞り出した声で命じた。
「ぅ、……っ、下ろせ」
「だって靴擦れしてるんでしょ? こっちの方が早いじゃないですか」
耳打ちするような距離にも関わらず、命令を無視して出口へと駆け出したシグマの声は、いささか声量が大きかった。違和感を感じたデルタは薄く目を開け、かすむ視界に彼の顔を映す。シグマの黒い瞳はデルタではなく、肩越しに背後のアルファを見ている。先ほどの口答えは、あくまで得体の知れない宇宙人に聞かせるための出まかせだったのだと、デルタは悟った。日頃は自分よりもやや冷たいはずの地球人の体温が、血を失った体には妙に温かかった。
◆◆◆
デルタと地球人を見送ったアルファが先ほどの部屋に戻ると、空になった司令の椅子を取り囲んだ幹部たちがいっせいにこちらを睨んだ。特にイプシロンは自分の頭よりも大きな手に端末を握り込み、頭部の触覚を逆立てている。アルファが部屋の奥に進むその途中に立ち塞がって、イプシロンは人工音声がひび割れるほどの怒声を上げた。
「ベータの死体が見つかったぞ。体中の血が残らず吸われ、肝臓も食われていた。下手人が誰か、火を見るよりも明らかではないか。あの
「そうですねえ、過去の功績でもって犯した罪を帳消しにするというのは、組織運営の上ではあまり感心しません。われらが連合軍においては、賞罰は公正でなければ」
ガンマは頭の表皮を虹色から黒に変え、さも殺された味方を悼むような口ぶりでそう言い添えた。アルファは彼らの言葉を聞き流しながら自分の端末を操作し、そして再びイプシロンに向き直った。
「死体の調査報告が来た。それからイプシロン、お前とベータの通話記録と録音もだ。今回の作戦の決行日の情報をお前が流し、デルタとその部下たちを皆殺しにした暁には、引き換えに奴がレーザー銃三十丁と同数のバッテリーをお前に融通するとの約束だったな」
「それが何だ」
「我々の軍規に『味方殺し』を罰する規定はない。最初の連合会議で話がまとまらなかったのは、お前も知っているだろう。その上でデルタを処罰するというのなら、公正にお前とベータも処罰する必要がある。とはいえベータに関しては、死者の代わりに罰を受けるのは部下になるだろうが」
アルファの口調に怒りはなかった。その代わりに、この場を丸く収めようという気遣いも無かった。イプシロンは激高し、手の中の端末をそのまま握り潰した。
「公正だと? 一族の精鋭と宇宙戦艦を伴って参加した俺と、シャトル一つも持たん貧民上がりを対等に扱うことの、どこが公正だ。俺がこの遠征軍にいくら出資したか、知らんとは言わせんぞ」
床に落ちた基盤をさらに踏みにじり、イプシロンはアルファの肩を突き飛ばした。地球人ならば脱臼では済まない大怪我をしていたはずだが、アルファは半歩よろめいただけで踏みとどまり、さらに掴みかかろうとしたイプシロンの腕を掴む。五指の関節の間から鋭い棘がわずかに覗き、残光を弾いて鈍く光った。やむなく手を放したイプシロンの代わりに、ガンマが文句を引き継いだ。
「アルファ。デルタはあなたの子飼いの部下だったから、そのように肩入れするのでしょうがね。我々は身を切ってこの遠征に加わった、その時点で多大な貢献があるわけです。小手先の仕事をして日銭をせびる乞食と、同じ扱いをされるというのは納得しかねます」
「過去の功績でもって犯した罪を帳消しにするのは感心しない。そう言ったのはお前ではないか、ガンマ。しかも今回お前が司令に払わせた電気代の方が、デルタの潜入費用よりも多かったぞ」
アルファに痛いところを突かれ、今度はガンマが顔色を変える番だった。表面ばかり穏やかな口調をかなぐり捨てたガンマは二メートルを超える無数の四肢を引き寄せ、先端の棘をアルファに向けると、ノイズ混じりの金切り声で喚きたてた。
「そら、傭兵上がりはすぐに庇い合う! しょせんは斬り合いだけが能のアルマ人だ。世間知らずの司令を言いくるめて、この支部を乗っ取るつもりでしょうが、そうはさせませんよ。デルタを処罰しないのなら、その後に起こることはすべてあなたの責任です」
「さっさと次の総攻撃の日取りを決めろ。核ミサイルなど本星に何度でも要求すれば良いではないか。部下どもはこの一年、戦艦待機を強いられておるのだ。弱った仲間の死体で食いつなぐ屈辱を、これ以上あやつらに味わわせるわけにはいかん」
ガンマの興奮にさらに煽られたイプシロンが、再び声を荒らげた。感情に呑まれてまくし立てるその口からは、深刻な物資不足に陥りかけている部隊の内情が次々と暴露されていく。アルファは耳障りなノイズを遮断するように鎧の下の
地球人たちが、地球遠征軍の総攻撃を不発に終わらせて間もなく一年。愚かで脆弱な猿に過ぎない彼らに、圧倒的な軍事力を持つはずの自分たちがなぜ勝ちきれずにいるのか。明確な答えを得られないアルファの頭をよぎったのは、つい今しがたデルタを迎えに来た地球人の、怯えながらもどこか挑むような黒い瞳だった。
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