第7話 アザはそれだけか?


 小林遼助教授の研究室は、史料編纂所棟の2階奥に位置し、スチールの書棚が壁を埋め尽くしていた。部屋の中央に据えられた大型曲面モニターが青白く輝き、3Dスキャナーから転送された貴美子の右前腕画像が拡大表示されている。


 貴美子、末澤部長、恵子はモニターを囲み、村上助手がキーボードを叩く音だけが響く。小林はメガネを押し上げ、モニターを指さしながら、貴美子に尋ねた。

「末澤、神宮寺さん、高杉さん、今朝のスマホ写真と、さっきの3Dスキャナーを比較してみましょうか。どうも気になるんだ。同じ撮影状態を仮想して並べて比較してみましょう」

「同じ画像にしか見えませんが?」と貴美子が怪訝な顔をした。

「……いや、なんとなく、違う」と小林。「瑠偉、神宮寺さんが一昨日の朝撮影した画像と今の画像を並べてモニターに映し出してくれ」


 村上が操作し、画面に二つの画像が並ぶ。左は貴美子が一昨日朝7時にスマホで撮ったもの。右は今、研究室の卓上型3Dスキャナー(中型オブジェクト向けの高解像度モデル)で撮影した最新画像。貴美子たちは緊張した面持ちでモニターを見つめる。


「レゾリューションが違うから、神宮寺さんの画像に3Dスキャナーの画像を合わせよう。撮影時の明るさも調整して合わせる。同じ状態で撮影したものとして、アザを比較すると……42時間ぐらいの経過で、今撮影したアザの明度と彩度が一昨日のものよりも低くなっている……」と小林が言った。


 貴美子は目を丸くし、「え…低下? つまり、アザが薄くなっているんですか?」と尋ねた。村上が頷き、説明を補った。

「そう思われるんだ。画像比較の手法として、まずヒストグラムマッチングで明るさを揃えた。これは、両画像のピクセル分布を統計的に一致させることで、照明差を補正する。……HSV色空間変換で彩度を計算させて……H(色相)は形状の変化を、S(彩度)を色濃淡を、V(明度)を明るさを分析する」と独り言を言いながら、AIを操作して、右の画像を変化させていった。


「なるほど。差分をMSE(平均二乗誤差)で測定したんだが、全体の左右の画像の変化率が明度38%低下、彩度24%低下している。色素の劣化か、皮膚の新陳代謝による吸収を示唆している」小林が説明を続けた。「スマホ写真は解像度が低く、照明が自然光だが、3DスキャナーはLED均一光源で高精度。比較のため、Pythonのscikit-imageライブラリでヒストグラムマッチングを適用し、彩度はHSV変換で抽出した。その結果、模様の規則性は変わらず、四列の文字構造は維持している。だが、色調が赤紫から淡いピンクにシフトしている。42時間の経過でこれだけ低下するのは異常だよ」


「小林先生、それはどういうことですか?」と村上が尋ねると、小林はモニターを指さしながら、「アザが消えていっている。どういう原因なのかは、俺は言語学者だからわからんが……う~ん……」と腕を組んで唸りながら答えた。

「でも、小林先生、アザが消えるのは良いことでしょう?それで一件落着!」と恵子が手を叩いて明るく言った。

「確かに、神宮寺さんにとっては良いことだけどな……アザが出現した原因がわからん。これは俺の分野じゃなくて、医学的分野の専門家に聞かないとわからんのだが……う~ん……」と急に貴美子の方を向いて、「ところで、神宮寺さん、アザはこれだけか?」と聞いた。


「はい?アザがこれだけかって言われますと?」

「一昨日の朝、このアザが右腕の前腕部の内側に出現したのを見たんだろう?他の体の部分にもアザがあるという確認をしたのかね?」

「え?ええ、あの、服を脱いで洗面所の鏡で見てみました。背中も手鏡で見ましたが、他にアザはありませんでした……ないと思います……」

「下着を脱いで全身くまなく確認したのかね?」

「ええ、下着も脱ぎました。それで、洗面台の鏡と手鏡で……」

「体中、全部見た?例えば臀部とか?腿の内側とか?」


「……そこまでは……見ていません」

「神宮寺さん、服と下着を全部脱いで全身くまなく確認してみよう」

「え?ここでですか?」

「ここじゃまずいだろう。そこの小部屋で」と研究室の奥の扉を指さした。「脱いで、瑠偉に撮影させよう」と貴美子の了解なしに言う。

「小林先生、女性に対して失礼でしょう?セクハラですわよ!」と村上助手が言った。

「いいえ、構いません。こうなったら徹底的に見てもらいましょう」と貴美子。

「貴美子先輩、私も立ち会う?」と高杉恵子がニヤニヤして言った。

「え~、恵子に裸を見られるの?って、良いわよ。見てちょうだい」


 貴美子と恵子が小部屋に入った。村上がハンディー3Dスキャナーをケースから取り出して後を追った。



 小部屋は、考古学の収集品の分析用の部屋で、スチール製の長机が部屋の真ん中に設置されていた。定常光のリングライトやストロボライトが長机の周囲に設置されていた。


「この机に服を脱いで横に……って冷たいわね……」と村上が白のブランケットを棚から出して机に敷いた。貴美子は下着まで全部脱いで机に横になった。


「神宮寺さん、うつ伏せで」と村上。貴美子は体を反転させた。「高杉さん、そのリングライトでここを照らして」と恵子に臀部の内側を指し示した。

「先輩、綺麗なお尻っすね」と恵子。「恵子!感想を言わなくてもいいわ」と貴美子。


 村上は遠慮なく両脚を開かせて臀部を広げた。あっと呻く貴美子。「神宮寺さん、ごめんね。隠れた場所も探さないといけないから……あ!別のがあった!」と貴美子の右脚の腿の付け根を指し示した。恵子がリングライトでそこを照らした。腿の付け根には、右腕の前腕部の内側右腕の前腕部の内側と似たような文字が並んでいた。


 村上は、3Dスキャナーを文字に近づけさまざまな角度から撮影を始めた。文字は前腕部のアザと同じく、平行に10センチほどの長さで三列に浮き上がっていた。「右腕のアザと同じ、古代アラム語の27文字みたいだわ」と言いながら撮影していく。左脚の方も確認したが他にはアザは見つからなかった。貴美子を仰向けにさせて見たがアザはそれだけだった。


 村上は小部屋を出て、3Dスキャナーのデータをコンピューターに転送した。貴美子が服を着て恵子と部屋に戻ってきた。五人が新しいアザが映し出されたモニターを覗き込んだ。


 右腕のアザと同じく、AIにプロンプトで指示を出し、GIFで透明画像にしてOCRで各文字の特定をする村上。それで手書きのような文字がテキスト表示に変換された。Unicodeのアラム文字をサポートするNoto Sans Imperial Aramaicに変える。


 𐡍𐡤𐡅𐡠𐡓𐡠 𐡃𐡠𐡇𐡤𐡊𐡠𐡌𐡠 𐡍𐡠𐡇𐡠𐡕𐡠 𐡅𐡏𐡠𐡋𐡠𐡌𐡠 𐡃𐡠𐡂𐡠𐡋𐡠 𐡍𐡠𐡐𐡠𐡋 𐡇𐡠 𐡀𐡡𐡍𐡣𐡔

 𐡈𐡤𐡐𐡠𐡍𐡠 𐡕𐡤𐡁 𐡌𐡠𐡕𐡡 𐡋𐡠 𐡌𐡠𐡉𐡠 𐡀𐡡𐡋𐡠 𐡔𐡢𐡐𐡠𐡏𐡠 𐡃𐡠𐡉𐡢𐡃𐡠𐡏𐡠

 𐡔𐡡𐡕 𐡁𐡠𐡍𐡢𐡉𐡠𐡍 𐡀𐡠𐡓𐡠𐡐𐡠 𐡁𐡠𐡍𐡠 𐡔𐡠𐡁𐡠𐡏𐡠 𐡌𐡢𐡋𐡢𐡉𐡠𐡍 𐡓𐡠𐡔𐡠𐡌 𐡅𐡇𐡠𐡔𐡣𐡊𐡠 𐡍𐡠𐡄𐡠𐡓


「これも右腕のと同じく音文字を削除して……」とブツブツ言いながら作業を進める村上。


 𐡍𐡄𐡅𐡓𐡀 𐡃𐡇𐡊𐡌𐡀 𐡍𐡇𐡕 𐡅𐡏𐡋𐡌𐡀 𐡃𐡂𐡋𐡀 𐡍𐡐𐡋 𐡇𐡀 𐡀𐡉𐡍𐡅𐡔

 𐡈𐡅𐡐𐡍𐡀 𐡕𐡅𐡁 𐡌𐡀𐡕𐡉 𐡋𐡀 𐡌𐡉𐡀 𐡀𐡉𐡋𐡀 𐡔𐡐𐡏𐡀 𐡃𐡉𐡃𐡏

 𐡔𐡉𐡕 𐡁𐡍𐡉𐡍 𐡀𐡓𐡐𐡀 𐡁𐡍𐡀 𐡔𐡁𐡏𐡀 𐡌𐡋𐡉𐡍 𐡓𐡔𐡌 𐡅𐡇𐡔𐡅𐡊𐡀 𐡍𐡄𐡓


「最初のアザと同じ解析・翻訳をさせると……」と村上がAIに次々とプロンプトで指示を入力していく、モニターには解析・翻訳結果が映し出された。


第一行

𐡍𐡄𐡅𐡓𐡀 nūrā 光・火

𐡃𐡇𐡊𐡌𐡀 dəḥakmā 知恵・賢さ

𐡍𐡇𐡕 nəḥat 降下・降臨

𐡅𐡏𐡋𐡌𐡀 wəʿalmā 永遠・世界

𐡃𐡂𐡋𐡀 dəgalā 啓示・開示(偽りの意を含む)

𐡍𐡐𐡋 nəpal 落ちる・堕落

𐡇𐡀 hā 看よ・見よ

𐡀𐡉𐡍𐡅𐡔 ʾenāš 人間・人

「光は知恵を伴って降臨し、世界に啓示を下す。看よ、人は堕落する」


第二行

𐡈𐡅𐡐𐡍𐡀 ṭūpanā 型・形・模様

𐡕𐡅𐡁 tūb 悔い改め・回帰

𐡌𐡀𐡕𐡉 māty 死ぬ・死

𐡋𐡀 lā 否・~でない

𐡌𐡉𐡀 mayyā 水・命の水

𐡀𐡉𐡋𐡀 ʾelā しかし・それゆえ

𐡔𐡐𐡏𐡀 šapaʿā 溢れる・満ちる

𐡃𐡉𐡃𐡏 dīdaʿ 知識

「形は悔い改めを求め、死は水ではなく知識によって満ちる」


第三行

𐡔𐡉𐡕 šīt 六

𐡁𐡍𐡉𐡍 bənīn 子ら・息子たち

𐡀𐡓𐡐𐡀 ʾarpā 四(数詞)

𐡁𐡍𐡀 banā 建てる・創造する

𐡔𐡁𐡏𐡀 šabʿā 七

𐡌𐡋𐡉𐡍 malkīn 王たち・支配者たち

𐡓𐡔𐡌 rəšem 刻む・記す

𐡅𐡇𐡔𐡅𐡊𐡀 wəḥaššōkā 闇・暗黒

𐡍𐡄𐡓 nāhār 川・光の川

「六人の子らは四を建て、七人の王たちは闇に刻まれる。光の川が流れる」


「これを第一のアザと同じく、『古文書文献史学研究室のデータベースより、聖書のアラム語や古代の碑文、詩文から適切な単語を選び、四行詩形式で日本語に翻訳せよ』として……どうなる?」とプロンプトを入力した。

「小林先生、微妙に新しい翻訳が直訳と違いますが?」と村上が聞いた。

「第一と第二のアザの関連性をAIに解析させてみろよ」と答えた。「瑠偉、母音除去後の子音文を並べてみろ。第一と第二を縦に重ねて」

「なるほど……」


 村上がキーを叩くと、画面に二つの詩が重なった。モニターに結果が映し出された。


第一の右腕のアザ

 幻視は頂点に達し、天使が終末の光景示す

 知識の火は燃え広がり、七層の世界が震え始める

 選ばれし者は物質の殻を脱ぎ、霊翼を得る

 デミウルゴスが咆哮し、地が裂け海は沸騰し、空を血に染める

第二の右脚のアザ

 光は知恵を携えて降臨し

 偽りの啓示は人を堕とす

 形は悔い改めを求め、死は知識の水で満たされる

 六と四は七の王を闇に刻み、光の川が再び流れる


「……この二つのアザは対句だな」と小林。

「対句……?」村上が首を傾げる。

「前編が破壊なら、後編は再生。前編が血なら、後編は水。前編が偽の神なら、後編は真の光への帰還……グノーシス救済詩の典型的な二部構成だ」


 小林はゆっくりと貴美子の方を振り返った。「神宮寺さん、あなたの体に刻まれているのは、3000年前のグノーシス派が『偽りの造物主デミウルゴスによる世界の終わりと、真の神の世界への魂の帰還』を歌った、極秘の終末救済詩のようだ」


 小林はモニターに指で二つの詩をなぞった。

「見てごらん。

 第一の詩は『空を血に染める』で終わる。

 第二の詩は『光の川が再び流れる』で終わる。

 血と水、光と闇、偽りと真実……

 完全に一つの物語の前編・後編だ」


「……先生、これは偶然じゃないですよね?誰かが、あるいは何かが、貴美子さんの体を詩の巻物にしている」と村上。


 小林は静かに、しかしはっきりと告げた。「神宮寺さん。あなたの体に、終末と救済の詩が順番に、刻まれていく。どちらにせよ、アザはこれだけじゃなさそうだ。第二のアザに『六と四は七の王を闇に刻み』とある。次は、『七の王』を現す七行詩が出現するかも

しれん」


 貴美子は震える手で右脚のアザを押さえ、掠れた声で呟いた。「……次は……どこに現れるの……?」


 小林は答えなかった。ただ、静かにモニターの光を見つめていた。その光は、まるで第三の詩を待っているかのように、冷たく、確実に、脈打っていた。

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「聖痕」なぜ古代文字が私の体に浮き上がるの?なんなのかAIで突き止めるわ! ✿モンテ✣クリスト✿ @Sri_Lanka

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