第5話 古文書文献史学研究室


 恵子は、末澤部長にねだって、羽田エアポートガーデン1Fの『うなぎ四代目菊川』で『蒲焼き一本重』を予告通り注文してパクついた。ちゃっかりしてるなあ、と貴美子は思ったが、自分もお相伴に預かって『ひつまぶし』を食べたのだから恵子のことをあれこれ言えない。


 羽田エアポートガーデン1Fから連絡通路のある2Fに行った。第3ターミナル(国際線ターミナル)の中央部の到着出口(アライバルホール)に。4分ぐらいだった。


 Arrival Boardを見ると、K312便は22:30定刻通りにランディングする。アライバルの出口で貴美子、末澤部長、恵子は待ち受けた。入国審査、手荷物受け取り、税関申告・税関検査で1時間弱はかかる。小林が姿を現したのは23:15だった。


 小林は、テレビの撮影隊が海外ロケで使うような大型ジュラルミンケース二個とスーツケース二個をカートに積み上げて、出口をでてきた。末澤から小林は中近東に考古学調査を行っていたんだと聞いていた恵子は「あのジュラルミンケースの中身はミイラとかだったりして?」と呟いた。「ミイラなんか持ち込んだら、検疫で引っかかってこんなに早く出てこれないでしょ」と貴美子。


 小林は、友人の末澤が待ち受けているのに驚いた。ヤツだけじゃなく、美人を二人も連れてやがる、何事だ?助手の村上くんが何か仕組んだのか?と彼は思った。小林は、空港からラゲッジを自宅と研究室に託送小荷物で送って、すぐさま居酒屋に繰り出そうと思っていたのだ。数週間の中近東での調査旅行で、酒が飲めなかった不自由を発散するつもりだった。


「末澤、こんなところで待ち構えていて、なんの用だ?助手の村上くんの差し金か?俺は今から酒を飲みに行く予定なんだぞ。酒を付き合うってんなら構わんがね。それに美人が二人も一緒にいるしな」

「そんな要件じゃないんだ。お前の専門の古代文字の解読の話だ。この二人は俺の部下で神宮寺貴美子、高杉恵子だ」と二人を紹介した。貴美子と恵子がペコリと小林にお辞儀をする。


「お前の会社が古代文字の分野に手を出したなんて知らなかったな」

「いや、会社の用事じゃないんだ。極めて個人的な用事だ」

「個人的な古代文字の解読の用事とはなんだ?俺が酒を飲むのを邪魔するほどの用事なんだろうな?え?末澤?」と部長を上から見下ろすようにして小林は言った。末澤は178センチの身長だが、小林はさらに高かった。


 末澤は「神宮寺くん、例の写真を小林にみせてやってくれ」と貴美子の方を振り向いて言った。貴美子がバックからタブレットを取り出して、アザの写真をモニターに出して末澤に渡した。

「この写真はなんだと思う?」と小林の顔面にタブを突きつけた。

「……腕の写真じゃないか……刺青してるのか?……おい!末澤、これは古代文字だ!今すぐは読めないが、たぶん古代フェニキア語かアラム語に近い……なんでこんなものを腕に刺青するヤツがいるんだ?え?」

「それはこの神宮寺くんの右腕の写真だ。昨日の朝、自然に腕に浮き上がってきたんだ。皮膚科の医者は心因性の皮膚疾患を疑っている」

「なんだと?心因性の皮膚疾患で、古代フェニキア語かアラム語が皮膚に浮き上がるわけがない!!!……わかった。俺の研究室に行こう。だが、この大荷物をどうするかな?」と小林はジュラルミンケースとスーツケースの山を睨んだ。


「高杉くん、こりゃあ、バンを借りてこないといけないようだ。申し訳ないが、バンをレンタルしてきてくれないか?」と恵子が運転がうまいことを知っている末澤が言った。

「了解です。え~っと、大型ジュラルミンケースが二個とスーツケース二個で私たちは四名かぁ。ハイエースワゴンの四列目シートを倒して荷物スペースとして利用すれば何とかなるかな?」とテキパキと判断して、レンタカーのブースに駆けていった。



 小林、末澤部長、貴美子、恵子は、空港で借りたバンで零時過ぎに東京大学本郷キャンパス正門に到着した。貴美子と末澤は車内で昨日の朝から起こった貴美子の体の異変、皮膚科の診察でわかったことなどを諸星医師のPDF書類も見せながら小林に説明した。小林は村上助手に研究室まで来てくれと連絡した。


 夜の本郷キャンパスは静まり返り、正門は閉鎖されている。門の脇に設置されたセキュリティブースの明かりだけが、薄暗い本郷通りを照らしだしている。


 恵子が運転するバンから降りた小林は、正門脇のインターホンを押す。警備員がブースから顔を出した。「夜間入構の目的は?」と小林に尋ねた。


 小林が「文学部附属古文書文献史学研究室の小林助教授です。緊急の研究資料確認のため入構します」と説明し、東京大学の身分証と版の中で申請した入構許可証(QRコード付き)のスマホ画面を提示した。


 末澤と貴美子、恵子はマイナカード、社員証を提示した。メールで提出済みの訪問者申請書を示した。警備員は書類のQRコードをスキャンし、大学データベースで照合後、4人の身元を確認した。「小林助教授、3名同伴、許可確認しました」と頷いた。


 警備員は正門横の歩行者用ゲートを開錠し、運転している恵子にバンの入構許可ステッカーを手渡した。「史料編纂所棟までは直進、右折で駐車場へ。23時以降は建物入口でICカード認証が必要です」と指示された。


 恵子が「ありがとうございます」と礼を言い、小林が「夜遅くすみません」と軽く頭を下げる。バンはゲートを通過し、キャンパス内の薄暗い道を進む。恵子が「やっぱ東大のセキュリティ、厳しいね~。でも、夜中でも仕事している研究者が多いんだね。ネットの入構許可は24時間体制なんだな。ウチよりブラックじゃん!」と囁き、史料編纂所棟へ向かった。


 史料編纂所棟のエントランスにはすでに村上助手が台車を持ってきて待っていた。小林が「瑠偉ちゃぁ~ん、夜遅くゴメンねぇ」と貴美子たちの前で平気で村上に抱きついた。


「先生!抱きついて誤魔化そうとしてもダメです!末澤部長が出迎えにいっていただいて良かったです。羽田からどこかに消えようとなさってたんでしょう?」

「あのね、瑠偉ちゃん、俺は数週間、酒も女もいない中近東の砂漠にいたんだぜ?羽田から家に荷物を放り出して、酒場に行ってもバチは当たらないよ」

「何を言われます!エミレーツの機内で、ビジネスクラスを良いことに、CAにおべんちゃらを言ってしこたまドバイからお酒を飲んだんじゃありませんか?お酒臭いです。CAの連絡先とか聞いたんでしょう?白状なさい!」

「なぜそんな見てきたようなことを言うんだ?」

「前回の私が同行した南米での考古学調査でもそうだったじゃありませんか?あの時は、成田で荷物を私に押し付けて、さっさとネオン街に消えましたよね?ね?」

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