毒をもって毒を制す、下水をもって世界を救う

高坂あおい

第1話 栄光の日々からの転落

 異世界は実在する。


 それは魔法や剣を使うことができて、モンスターと呼ばれる生き物が跋扈している世界のことだ。


 俺は今その世界で究極の二択を迫られていた。



「喜べ、西条リク! 貴様を、我が大いなる実験の『栄えある被検体』に選んでやったぞ!」


「おい、何回言えば気が済むんだ? もうそろ不法侵入で通報するからな」



 それを聞いた自称研究者が「理解ができない」と言わんばかりのクソデカため息を吐く。



「なぜだ? 貴様には『やる』という選択肢しかないはずだ。この実験に参加すれば、辛い修行やレベル上げなどしなくとも、貴様の能力は大幅に上昇するのだぞ?」


「……ほう?」


 

 辛さを味わうことなく強くなれる。


 そんな甘美な響きに、俺の心がぐらりと揺れた。



「詳しく話を聞いてやらないこともない。お茶菓子でもどう?」


「うむ、話が早くて助かる。ただし、一つだけとても些末な問題があるのだ」


「と、いうと?」


「もし仮に万が一天文学的確率で予想外の結果になった時、全てがパーになるかもしれない、というだけだ」


「大人しく失敗って言えよ! 無駄に誤魔化そうとすんな! 解散だ解散!」



 これで「やる」という選択肢しかない、と言われる筋合いが無さすぎる。


 さらに拍車をかけているのは「天文学的確率(自己申告制)」だ。



「ちなみに、これまでの成功事例みたいなのはある? 失敗事例も一応聞いておきたいんだけど」


「実験結果は社外秘になっている。それと、失敗した時のことを考えるのは、バカだけだ」


「バカはお前だろ! ポジティブに逃げんなよ!」


 

 俺の声がリビングに響き、木霊し、静けさが戻ってくる。


 そう、ここは俺が異世界で必死に貯めた金で買った、マイホームのリビングだ。


 目の前にいるのは、そこに勝手に上がり込んできた不審者……もとい、白衣を羽織り、片眼鏡をかけたポニーテールの少女。



「まだ理解していないようだからもう一度言っておくが、我は科学者の中でも一頭地を抜いているのだ。当然、我の研究は時代の最先端を走っている」



 齢十七歳の俺と同い年であろうこの少女は、そう自称している。


 実際、魔法で一時的に能力を上昇させることはできるが、永久的に増強させる方法は未だ発見されていない。


 だから、最先端と言えばその通りではあるのだが。



「とりあえず成功率は知りたい。あと、パーの詳細を教えて欲しい」


「西条リク」


「なんだよ」


「実験に失敗は付き物だ」


「俺やっぱりこの実験から降りるわ」



 おそらく、いや絶対に失敗する可能性の方が高い。


 危うく「楽して最強」の言葉に釣られるところだったが、そんなことで異世界スローライフを破壊されてたまるか。


 交渉決裂だ。俺は強引にでもこいつを追い出すために、愛用のソファから立ち上がろうとした――――その瞬間。



「そんなこと許されるわけなかろう。ここに来た時点で……いや、我がここに来た時点で、逃げ道はない」


「……は?」



 「ガシャン」とかいう明らか不穏な金属音と共に、俺が座っていたソファの肘掛けが変形し、蛇のように俺の手首に巻き付いた。



「なんだこれ!?」


「安心しろ、機能性は向上させておいた。昨晩、貴様が寝ている間にこっそりとな」


「不法侵入からの器物損壊じゃねぇか! 余計な機能つけんじゃねぇぇぇ!」



 俺の必死の叫びは、無情にも自宅の壁に吸われて消えていく。  


 ああ……四方八方から、ソファに内蔵されていたらしいアームやらドリルやらが伸びてくるのが見える。  


 マッサージ機能とかじゃない、明らかに人体を弄るための凶器だ。


 

「そろそろ覚悟はできたかな?」


「できてねぇよ! おいやめっ……やめろー!」



 メスやら手術用のハサミやらを各指の間に挟んでいる白衣の女が、俺の身体に飛び乗ってくる。


 女に馬乗りになられて、こんな恐怖を覚えたのは初めてだ。

 

 一方の女は、あまりの興奮具合に顔を赤らめながらハサミで空切りをし始める。



「科学の進歩、発展に犠牲は付き物なのだー!」


「いぃぃぃぃぃぃぃやぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

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