捨てられた後輩と煙草を吸ったら、同棲することになりました
天音伽
プロローグ
外に出ると、空は曇り模様だった。
予報では午後から雨になるらしい。しょげた俺の心にはぴったりだな、と思いつつ、通用口の横にある休憩スペースに移動する。
休憩スペースと言っても、ただなんとなく仕切りがあるだけの四角形の空間。横には自動販売機が置いてあるのをいいことに、この店の連中はここを『休憩スペース』と言い張っていた。
「……はあ」
もう何年使っているのか。ボロボロの財布から硬貨を取り出して、自販機に投入。お決まりのカフェオレを買うと、いよいよ空が耐え切れなくなったのか、雨粒が俺の頬を打つ。
「やっべ。降ってきやがったな」
ここはビルの裏。休憩スペースはちょうど非常階段の下に位置していて、雨をしのぐことが出来る。
自動販売機の位置には雨除けが無いので、次第にずぶ濡れになっていく彼の姿を見ながら、俺は四角い空間で甘い液体を胃の中に押し込む。
気が晴れない。
『雨宮(あまみや)くん。上半期の数字、非常に悪かったの……君は分かっているよね』
課長の言葉が頭の中でリフレインする。
『はい。申し訳ありません』
『このままだとこの店は無くなるよ。覚悟して下半期の業務に当たってくれたまえ。私も、店を潰したくはないからね』
「ってもなぁ……」
こっちだって一生懸命やってるんですが、と言い返せないのが社会人の悲しいところだ。
壁にもたれかかった自分の足から力が抜けて、ずるずると体が落ちていくのを感じる。
うー、とか、あー、とか、雨音が声をかき消すのをいいことに言っていると、ふいに通用口の扉が開く音がした。
「あ、いたいた。店長、佐伯(さえき)さんが探してましたよ」
「……悪い」
休憩スペースにひょっこりと顔をのぞかせたのは、栗色の髪をぴょこん、と揺らした小柄な女の子だった。
彼女の名前は獅子堂由香(ししどうゆか)。今年新卒でこの『店』に着任したばかりの、二十二歳。
「しけた顔してますね。今日のお天気みたい」
「悪かったな」
「店長。悪い、とか、悪かった、とか、ネガティブなことばっかり言ってますよ? そんなの良くないとおもうな、私」
獅子堂は俺の横にしゃがみ込むと「その缶コーヒー、もう飲み終わったんですか」と聞いてくる。
「まだ……あっ!」
次の瞬間、底にわずかに残るコーヒーは獅子堂に奪い取られていた。
獅子堂がコーヒーをぐいっ、と吞み込みと、細い喉がこくこくと動くのが見える。彼女は空き缶を地面に置くと、手慣れた手つきでポケットから黒い箱を取り出した。
「店長、よくこんな甘いの飲めますね」
「煙草を吸わない俺からしてみれば、そっくりそのまま主語を『煙草』にして返してやりたいくらいだが」
「そうです? 吸ってみると、悪くないですよ」
獅子堂は左手で煙草を吸いながら、右手で俺にもう一本の煙草を差し出してくる。
「……気遣いはありがたいが」
「そっすか。少しはしけた顔もマシになると思ったんですが」
どうだろうか。
「仕事に戻る。獅子堂もサボりはほどほどにな」
「はあい。ねえ、店長」
「なんだ」
歩き始めた背中から、獅子堂の声が飛んでくる。獅子堂はふう、と煙草をふかすような音をさせた後に、俺に言った。
「……いや、何でもないです。ごめんなさい」
「なんだ。仕事の件ならすぐに」
「そんなんじゃないです。大丈夫ですよ」
獅子堂はくひひ、と笑って見せる。
その声は、本当になんでもないように聞こえて。
深刻な声色でもないし、大丈夫だろう。俺はそう判断して、売場に戻る。
「あ、店長。売場作りの件で相談が……」
店に戻るなり、副店長の磯貝がハキハキした声色で俺に言ってくる。
磯貝の話を聞き始めると、獅子堂のことはすっかり意識から吹き飛んでいた。
そして。
獅子堂の「大丈夫」が「大丈夫」でないことを知ったのは、それからほんの数時間後のことだった。
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