第三話

「キヒョナ、恋愛の形は、自由だ」


「…は?」


黙々と課題をしていたキヒョンが手をとめてぽかんとしている。あれから僕はあの重たい心臓の鼓動がなんなのか、そればかり考えていた。


「恋愛に、若いも老いも男も女もない。そして僕は自由だ」


「よくわからんけど、そうなんじゃね?」


「だよね!」


僕は幅跳び界のエースで、勉強もそこそこできて、この顔で、モテる方だし、彼女だっていたことがある。疎いわけではない。そしてあの気持ちは…


「僕、ウォノヒョンが好きかもしれない」


「ぶはっ…ゲホっゲホッ…」


「え、なに」


顔を上げるとキヒョンのカッターシャツがアクエリアスでべたべたになっていた。そんなに驚かなくても…と思いながら身を乗り出し肩にのせていた自分のタオルで首元を拭く。心臓は、この前と違って静かだ。


「いや、びっくりして…」


「キヒョンなら協力してくれると思って」


「まあ、お前が言うならできることはするけど」


「親友~!さすが~!」


キヒョンなら協力してくれる、なんとなくそんな気がした。否定する姿が想像できなかったから。


「まずはウォノヒョンに彼女がいるか調べないと!」


「あ~じゃあチャンギュンに聞こうか。連絡先交換した」


「さすが親友」


「ウォノヒョンって、彼女とか、いる、の…これで送っていいよね」


✉チャンギュン「さあ」


✉チャンギュン「見たことはないです」


✉チャンギュン「というか友達もあんまりいなさそう」


「悪口じゃん」


「思ったこと言っちゃうタイプなんだろ」


あんだけかっこよかったら絶対いるのにな~、そういうの興味ないとか?でもチャンギュンが見たことないってことは…う~んわかんないな~トッポおいし~


「ま、いいや。キヒョナ、今日こそゲーセン行くでしょ?」


「あ~、ごめん…今日は」


「え~?最近つれないな~」


キヒョンが数学の参考書に目を落としたまま何か気まずそうにペンをトントンしている。なんか隠してるな。


「なんだよ、隠し事すんなよ」


「いや、実はバイトしてて…」


「はあ?!聞いてないんだけど」


「ちょっと欲しいものがあるんだよ」


「バイト一緒にしようって言ったのに…」


ごめんごめんって笑うキヒョンを横目に残り少なくなったトッポのかけらを袋から口に流し込む。今日も一人か、つまんない。


「お前らなにしてんの、ミーティング、外周に変更だよ」


「え?」


声の方を見るともうウェアに着替えたヒョンウォンがだるそうに窓の冊子に手をついていた。


「そうなの?!昼休みに言いに来てよ~」


「しらねえよ、急げ」


「……ヒョンウォナなんであんなイライラしてんの?」


「…さあ」


ヒョンウォンは僕たちを待つことなく細い腕で髪をかきあげてそのままさっさと行ってしまった。なんだよ、チャラついたネックレスなんてつけやがって。そんなんつけて走れるわけないもんねーーー。


「ミニョガとりあえず急ごう。ショヌヒョン、怒ってるかも…」


「ヤバ!!」


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夕暮れが伸ばす自分の影を踏みながら帰る。7月の夕方はじっとりと暑くて部活終わりで汗をかいた体にシャツがはりつく。


「なんで隠すんだよ、つまんね~」


親友に隠し事をされたことがなんとなく気に食わなくて、今日は誰か(オンライン上のユーザーを)ボッコボコにしたい気分だった。いつものようにゲーセンのある通りに入ると、ふと真向いのスポーツショップに目が留まった。


「いいなあ、あのパーカー僕もほしいんだよなあ。チャンギュナ、くれないかなあ」


ショーウインドウに飾られているハイブランドのパーカーを着た自分の姿を想像してみる。似合うな。でももう少しガタイがよかったらもっと似合うかも。ウォノヒョンみたいに…。


「今日は帰って筋トレしよう」


背筋を伸ばして、ゲーセンに背を向ける。僕ってほんと真面目。


「あ。ミニョガ」


「え」


ああ、またこの柔らかい声…


「ヒョン…?どうしたんですか…」


振り向くとそこにいつものふかふかの笑顔はなく、目の縁を涙で赤く濡らしたウォノヒョンが立っていた。


「どうもないよ」


「どうもって…でも…」


「暇なら一緒にハンバーガーでも食べに行かない?」


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「それでヒョンウォナとおれは仲良くなって、高校は離れちゃったけど週末はいつも遊んでるんだ」


「ふぅん」


この時間はテイクアウトがほとんどで奥の席はガランとしていた。結局ウォノヒョンは泣いていた理由を教えてくれなかったけど、ポテト食べたらちょっと元気になったっぽい。


「そういえばウォノヒョンはなんで短距離やめたんですか?」


むしゃむしゃと動くポテトを詰め込んだ白いほっぺたを眺めながら気になっていた質問をしてみる。なんとなくヒョンウォンの話は聞きたくなかった。


「あ~…ただ、もういいかなって…」


「え~、僕ヒョンの走ってるとこ見たかったなあ。絶対速いしかっこいい!」


「…そんなことないよ」


「ある!ヒョンはかっこいいし、あと、いい匂いだし、僕の憧れ?ヒョンみたいになりたい」


「…」


べちゃべちゃにケチャップのついたポテトを飲み込んでヒョンの顔色を伺う。ストローをくわえたまま返事をくれない。マズい、変な質問したかな。


「ヒョン…?僕、なんかすみません…?」


「ううん、ありがとう、そうやって言ってくれて」


ヒョンはいつも柔らかい笑顔で何かを隠す。知りたい。けど、知っちゃいけない気もする。でも


「ミニョクといると楽しいな~…」


たまに本当の言葉をくれる。もうどれが本物か僕には判別がつくようになってしまった。ウォノヒョンが笑うたび、本当の言葉をくれるたび、心臓が、苦しい。


あの笑顔も、寂しそうな顔も、独り占めできたらどれくらい幸せなのかな。どんな声で特別な人の名前を呼ぶのかな。あの薄ピンクのくちびるは、触ったら、やわらかいのかな。


「もういこっか、遅くなっちゃったね」


外に出ると空にはオレンジと紺のグラデーションができていて、もう繁華街に明かりが付きはじめていた。ヒョンの目にオレンジの斜陽が入ってまた泣いてるように見えた。


「ヒョン、」


自分がとんでもないことを口走ろうとしている。わかっていた。これを言ったら、もう


「ん?」


おしまいだということも。


「あの…」


「なに?」


「くちびるを…」


「…?」


「ヒョンのくちびる、触ってみたい…」


頭のてっぺんから足の先まで、全身の血液がドクドクと音を立てて熱くなっていく。うつむいたままぎゅっと噛み締めた唇から血の味がした。


「だけ…で、いいの」


「え?」


よく聞こえない。握った掌の汗までじんわりと熱い。熱すぎて聞こえないのか?体がどうにかなりそう。


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「さわるだけで、いいの?」


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その後のことはよく覚えていない。ただ、あのバニラの香りに近づいたときに見た細いネックレスを、前にもどこかで見た気がする。

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