しなきゃ、よかった。

Seventh Ink

しなきゃ、よかった。

「怜真。おはよ」

私はいつも通り、クラスメイトで席が隣の新堂怜真に声を掛ける。

「あ、澪。おはよう」

今とか、時々見せる怜真の笑顔に心が動く。受験が近いから、恋なんてしないようにしてる。邪魔者になっちゃうじゃんね、恋なんて。 そんなこと思ってんのに、怜真に恋してるみたい。蓋して消したいんだけどなぁ、この思い。

「澪〜っ!おっはよ!お、相変わらず友達以上恋人未満、みたいな感じだねぇ」

笑いながら茶化してくるこの子は長谷川天音。私の親友。

「ねーえー、茶化さないでよっ、てか余計なこと言わないでよ」

そう言いつつも怜真の気持ちが気になる。こんなやりとりいつものこと、なのか知らないけど、いつも通り怜真は小さく笑っている。でも今日は珍しく違った。それだけじゃなかったんだ。

「ほんとに仲良いね、ふたり。」

ぽつりと、そう悲しげに呟かれた言葉。どうしたの?そう聞きたかったけど、口が小さく開いただけで、声が出なかった。

「おはようございます、席つけよ」

そう言いながら先生が教室に入ってきた。天音も先を離れていく。怜真も正面を向いた。 どういうことなんだろう。

『元気ないけど、どうかした?』

メッセージを送ってみる。すぐに既読がついた。

『いや、』

その、たった二文字、いや三文字か。そこに込められた感情は、私にはわからなかった。それ以上、踏み込むべきじゃなかったのかもしれない。

『そういや、大学どうすんの?怜真は。』 そう尋ねると、

『俺、大阪、いくことにする。』

は?大阪?ここ熊本だよ?遠くね?てかなんで大阪なん?東大じゃなくて?

『え、なんで?』

素朴な疑問。なんでそんなとこ行くんだろう。

『ここじゃ、俺が生きたい人生を歩めない』

もう決意が固まった口調だった。チラリと横を見て、本人を見てみる。迷いのない、揺るがない様子で画面に文字を打っていた。画面に文字を打っていた?ってことはなんか言われるのかな?そんなこと期待してたらメッセージが来た。間違えて通知音がなる設定にしてたみたいでピコン、と音がなってしまった。

「携帯の電源切っとけよー」

そう先生に注意され、

「すみません」

と謝ったがそんなことはそっちのけ。画面に綴られた文字に釘付けになった。

『澪、もう、今年限りで会えなくなる。』 どういうこと?もう、会えなくなる?もう11月だよ?

『12月に引っ越すの?』

『うん。だから、もう、1ヶ月ちょっと。』 友達でもないし、恋人でもない。ただのクラスメイト。そうなはずなのに、泣きたくなった。その日の授業の内容は、全く頭に入ってこなかった。 家に帰り、ごはんを食べ、お風呂に入り、髪を乾かし。ベットに転がってもう一度画面を開いた。

『澪、もう、今年限りで会えなくなる。』

『うん。だから、もう、1ヶ月ちょっと。』

もう、私と怜真に残された時間は、少しだった。


月日が経った。

その、1ヶ月ちょっとが、来てしまった。今日、だった。

鮮明に、思い出せる。

怜真は、いつも通りだった。でも。メッセージのやりとりがなかった。

整った字で、指で。ノートに文字を綴っていた。

放課後。誰もいなくなった教室。怜真の机を指でなぞる。

サッと適当に片付けたんだろう、机の上に少しだけ残った消しかす、

慌てて、急いで消したんだろう、机の上にうっすら残ったラクガキ。

木の匂いと、夏の匂いが混じっている。遠くで部活の声が聞こえる。はるか遠くのよう。どこかの誰かの笑い声が響く。

あたたかい日差しが差し込む。

暗い教室に光が入る。

暗い私の心にも、光が入ってくれればよかったのに。

そう思った。

怜真の机に視線を落とす。うっすらと残ったラクガキに、目を凝らしてみる。全体は、はっきりとは見えなかった。

でも。たった、五文字だったけど。はっきりと書いてあった。一瞬、暗い私の心に日差しが入り込んだ。それを見て私は、

「私も、だよ。澪より。」

と、綴って教室を出た。




机に書いてあったのは。





「澪、好きだ。」





家に帰り、ご飯を食べ、お風呂に入り、髪を乾かし、ベッドに転がる。

携帯の画面を開く。

1ヶ月前と同じ文字が並んでいる。 恋人でもない、フラれたわけでも、別れたわけでもないのに。枕に顔を埋めてた。 付き合ってないのに、別れた気がして。 仰向けになる。あたたかい何かが頬を伝った。知らぬ間に、泣いていた。起き上がってティッシュに手を伸ばす。でも、空のティッシュ箱しかなかった。なんでよりによって。雫が頬を伝って太ももにぽたりと落ちる。止まらなかった。気づいたら、声を殺して号泣していた。溢れる涙。疼く思い。ようやく、涙が止まった。泣き尽くして。頬に、乾いた涙が張り付く。 時計の針の音が、静寂に響く。 自分の部屋のベランダのドアを開ける。 夜の風が、頬を撫でる。全身を、吹き抜ける。私が1人でこんな思いになってる間も。世界は、何事もなかったように時間は過ぎて、風が吹く。そのことを実感して、余計にまた涙が溢れてきた。ベランダの椅子に座り込む。夜風が私を慰めるように吹く。私を撫でるように。

風の、世界の、中に。1人だけ、取り残された、気がして、不安になる。

いろんな家の、電気の色がある。

世界には色がある。

でも、私には、もう色が失せて。モノクロになってしまった。それが、すごく怖かった。

怜真の机に残された、「澪、好きだ。」

思い出して、涙が頬を伝う。

怜真、ひどいよ。怜真、私も好きだよ。伝えたかった。直接、本人に目の前で伝えてあげたかった。

電車の通る音が、夜の街に響く。

近くの人は迷惑だと感じるのかもしれないけれど、今の私には、静寂が怖かった。だから。静寂を消し去ってくれる電車の音が嫌じゃなかった。

ああ、こんなことになるなら、いっそ。







恋、なんて。しなきゃ、よかった。











『大阪、行く』

そう、画面に綴られた文字を見るたびに胸が締め付けられる。

最後の教室で。俺は、ラクガキを消し、消しかすをサッと適当に片付け。

直接伝えればよかった。後悔している。

俺は弱かった。最後の最後で逃げた。

「澪、好きだ。」

そう、机に書いて、教室を出た。

澪が気づいたかはわからない。

ベランダへのドアを開ける。

夜風が俺を優しく撫でる。

椅子に、腰を預ける。

電車の音が響く。

涙が溢れた。


誰もいない家を出る。

学校に。許可をとって教室に入る。

自分の机に、近づく。

携帯のライトで、残したメッセージを照らす。

俺は、目を見開いた。




「私も、だよ。澪より。」




俺は、膝から泣き崩れた。

声を殺して号泣する。

こんなに、胸が痛くなるなら。

こんなことになるなら、いっそ。









恋なんて。するんじゃなかった。


俺は、その後に、学校を出た。


私は、椅子から立ち上がった。


俺は、空を見上げる。


私は、空を見上げる。



そして、おれは、澪宛に、メッセージを送った。



部屋に戻る。携帯の画面が光っていた。

メッセージは全部目を通したはず。

そこには、たった今、怜真からメッセージが来ていた。


「澪。ずっと好きだ」



私は、怜真にメッセージを送った。


「私も、ずっと好き」



ピコン、メッセージが届く。

俺は、画面を開いた。

澪から、たった今、メッセージが来ていた。


「私も、ずっと好き」



私は、

俺は、


恋、して、よかった。

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