人生、卒業

士ノ流人

 

 ――十八歳までに卒業しないと、ヤバい。どんなに遅くても二十歳までには――

 あの頃の俺は毎日のように俺自身を責め立てていた。

 衝動が疼き始めたのは中三のとき。スパルタ指導と他生からのいじめで勉強そのものに嫌気がさした俺は、中二の終わりに塾を辞め、持て余した時間をインターネットで埋めるようになった。まだYouTubeもTwitterもなかったナローバンド時代、十八禁サイトでカクカク現れてくる色んなボディの画像を毎日楽しみにするうち、自然とヤッてみたくなった。高校受験に向けて目の色を変えるクラスメイトたちをよそに、俺は違うものに目の色を変えていた。

 夜の公園、学校の帰り、卒業式……。ヤレそうなチャンスは何度か巡ってきた。が、すんでのところで押し寄せてくる葛藤に抗えず、いずれも不発に終わった。

 頭にこびりつく衝動。だが内心で抑えていたので表面的には問題を起こすことはなかった。下から偏差値を数えた方が早いところだったが、何とか高校にも進学した。

高校ではあちこちでニュースを耳にした。まさか、あいつが? そう思われるような奴ですら俺の先を越していった。中には小学生でヤッたって奴もいて、初めに聞いた時は耳を疑ったものだ。

 所詮はみんな進学するからと惰性で入ったに過ぎない高校。卒業の意思はなく、夏休み明けには不登校になった。出席日数不足で留年が決定してからは完全にやる気をなくし、年度末に中退。アレの卒業どころか人生の道すら透明高速トンネルに突入した。

 高校を辞めてからはいわゆるヒキニートになった。ゲームとネット三昧で楽しめたのは最初の半年くらいで、次第に気力も体力もなくなり、一年も過ぎると劣等感と空しさが募っていった。

「この居候!」

「いつまでこんな生活続けるつもりだ?」

 バイトもしない俺を両親は顔を合わせるたびになじってきた。当然ムカついたが、負い目があるのは分かっていたから強く反発は出来なかった。

 だが、俺も人間。

 ――ちくしょう。こいつら、いつか思い知らせてやる――

 罵声が収まるまで無言を貫いているうち、怒りと復讐心が沸くようになった。アレを卒業するための動機がまた一つ出来た。

何もできないままウズウズしているうち、あっという間に十八歳になった。ある程度の法律知識はあったから十七歳と十八歳には大きな隔たりがあることは分かっていた。

――このまま、何も出来ず、年だけをムダに取ってゆくしかないのか――

男十八。もう夢見るお子ちゃまではいられない。どうにもならない事をどうにかするためには、手段を選んでいる遑はない。中退した高校で習った『羅生門』の下人と同じ心境だった。

 十八歳からは自動車免許が取れるようになる。俺はこの大きな変化を利用することにした。

「もういい年だし、まずは自動車免許を取りたい」

 突然の申し出に両親は驚いた様子だったが、すぐに安堵の表情に変わり、高い教習代を払ってくれた。

「正人はいつか自分で気付いてくれるって、信じてたのよ」

 喜ぶ母の姿を内心ではほくそ笑んでいた。

 数年ぶりに外界と接点を持つことには不安があったが、明確な目的があったからか思っていたほど苦痛ではなく、むしろリハビリ感覚で日々に張り合いが生まれた。

 晴れて免許を取得してからまもなく、その日はやってきた。過去に有名な大量殺人事件が起きた記念日、俺は大勢の人で賑わうアーケードを親父のマイカーで爆走した。十八歳からは死刑が適用される。殺害人数を稼ぐのに最適な凶器を得たことと、もうあとがないという覚悟が決行のアクセルを踏み込ませた。

 殺人童貞。俺にとってそれは、セックスよりもずっと卒業したいことだった。

 ――これで社会からも卒業だな――

 警官たちによって車外に引きずり下ろされた直後、本免試験の合格を喜んでくれた親の顔が浮かんだ。

 父さん、母さん、産んでくれてありがとう。俺、死刑になるよ。(了)



《注釈》

 不健全な内容ですが、「イヤミス」という括りに入るかもしれません。

 以下、小説に仕組んだトリックのネタバレです。


・主人公の「衝動」というのは「性衝動」ではなく「殺人衝動」のことです。ですから「ヤッた」「アレ」というのもセックスではなく殺人のことを指しています。

・「十八禁サイト」はエロサイトではなくグロサイトのことを指しています。また英語では死体のことを「ボディ」と呼びます。

・「小学生でヤッたって奴」というのは、2004年に佐世保市で同級生をカッターで刺殺した当時小学六年生の加害少女のことを指しています。

・「過去に有名な大量殺人事件が起きた記念日」というのは2001年6月8日に起きた附属池田小学校児童殺傷事件のことです。7年後の2008年の同じ日には「秋葉原無差別殺傷事件」が起きていますが、主人公が中学生の時点で「まだYouTubeもTwitterもなかったナローバンド時代」(YouTubeは2005年、Twitterは2006年に運用開始)とありますので、池田小事件と秋葉原事件の半ばに事件を起こしたのだと推測できます。


 このように、あえてミスリードするように仕向けたのですが、講評者はそれに気が付きませんでした。講評者に知識と読解力がなかったのか、あるいはトリックが分かりにく過ぎたのかもしれません。講評者からは「『大勢の人で賑わうアーケードを親父のマイカーで爆走する』ことがどうして死刑につながるのか?」、という指摘も頂きましたが、人ごみで賑わうアーケードを車で暴走すれば大勢の死傷者が出て死刑相当の被害が出るのは簡単に想像がつくはずです(「仙台アーケード街トラック暴走事件」「下関通り魔殺人事件」等)。以上の理由から、私には講評者にも問題があると思えてなりませんでした。

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