第44話
王宮に待たせていたウェリントン家の馬車に、今度は俺とウェリナの二人で乗り込む。
マリーは、カサンドラと一緒に精霊教会に置いてきた。カサンドラはすでに容疑者リストから外れているし、マリーも、カサンドラの疑いが晴れた以上は俺達について回る必要もない。
そんなわけで、往路に比べてひと一人分広くなった馬車だが、ウェリナと二人きりで乗り込む今のほうがなぜか手狭に感じられた。
ほどなく馬車は王城の門を出る。次に向かう先はモーフィアス邸。ウェリナが使役する風の精霊によると、モーフィアス公はさいわい在宅中だという。
「会ってくれるかな」
「君がいるのにか?」
問い返すウェリナの目は冷酷な情報官のそれで、俺は少し身震いする。
要するに、いざとなれば王太子の俺を利用することも厭わないと言っているわけだ。繊細に見えて、意外としたたかだよな。こいつ。
「そうだな。いざとなりゃ我儘な俺が王太子権限を振りかざせばいいわけだ」
まぁ俺も、いざとなりゃ権力を濫用してでもこいつを守りたくて、無理やり捜査についてきたわけだしな。その権力をウェリナが捜査に利用したとして、俺に文句を言える権利はない。
「けどまぁ正直驚いたよ。しつこいお前にしては随分あっさり引き下がるんだなって」
「カサンドラ妃の件か?」
「ほかに何がある」
てっきり俺は、もう少し粘るのかと思っていた。ほかに容疑者らしき容疑者が見当たらないならなおさらだ。
にもかかわらず、ウェリナはカサンドラの調査をいともあっさり打ち切った。
「彼女が襲撃犯でないことは、例の書庫を見る前からわかっていた」
「えっマジか」
「マジだ」
確かに……書庫の調査も、今にして思えばかなりおざなりだったというか。
「えっ、じゃあ、何だってわざわざ教会に?」
「貴族階級の女たちが、教会の地下にこそこそと何かを持ち寄っているのは以前から把握していた。ただ、教会には俺の捜査権限が及ばないこともあって、これまで足を踏み入れる機会に恵まれていなかった。……で、今回の好機だ。せっかく見せてくれるものなら見といてやろう、とね。強いて理由を挙げるなら、まぁそんなものだよ」
「うへぇ、汚ねぇ奴」
「そこは職務に忠実と言ってくれ」
そしてウェリナは不服そうにむくれる。が、その表情はすぐに困惑に取って代わる。
「ただ」
「ただ?」
「あ、いや……結局、あれは何だったんだろうな。内容はどれも男同士の……俺が把握するかぎり、彼らの間にああいったふしだらな関係は存在しなかったはず。まさか醜聞による攪乱工作? いや、だとしても、あえて秘蔵する意味がわからん……」
顎に手を添え、ブツブツと独り言をつぶやくウェリナ。うーん、そこはあまり掘り下げる必要はないと俺チャンは思うぜ?
「え、っと、ところで話を戻すが、どうしてカサンドラ妃が襲撃犯じゃないと気づいたんだ?」
するとウェリナははたと顔を上げ、つまらなそうに肩をすくめる。
「紅茶だよ」
「は? ……紅茶?」
「ああ。覚えているか。メイドに紅茶を出された際、彼女は、何食わぬ顔でそれを啜った。俺の目の前でだ」
そういえばウェリナは、カサンドラが紅茶を啜るところをやけに真剣に見つめていた。
「えっと、それがどうかしたのか?」
「俺の力を覚えているか?」
「お前の? ええと、風と、それから……水?」
「そう」
頷くとウェリナは、俺の前に右手を差し出す。手のひらを広げると、そこには鶏卵大の透明な球体がふよふよと浮かんでいる。
スライム? いや、でも、この世界には魔物のたぐいは存在しないはず。
「えっと……それは?」
「水だよ。ただの」
いやいや。ただの水が容器もなしに空中で一か所に留まるかよ。
そう突っ込みかけた矢先、それは何の前触れもなく無数の針をバッと突き出す。その、ウニとも剣山とも取れる攻撃的な形状に俺が見入っていると、やがてウェリナは何食わぬ顔でそれを握りしめる。
「お、おい!」
やめろよバカ! せっかくマリーに治してもらったのに、またズタズタにするつもりか――って、あれ?
「刺さって……ない?」
「水だからな」
そしてウェリナは、ふたたび手のひらを開く。あの奇妙な水はどこにも見当たらない。代わりに、革の手袋がぐっしょりと濡れている。
「俺がその気になれば、これと同じことが彼女の飲んだ紅茶でも可能だった」
「紅茶で――うげっ」
反射的に、俺は喉を押さえる。
何食わぬ顔で会話しながらこいつ、スタンドバトルみたいなえげつないこと考えてやがったのか!
「え、っと……炎の力で、体内で蒸発させるつもりでいたんじゃ」
「それでも、俺の方が一手早い。それに彼女とて、腹に入れた水までは消しきれんよ。そんなことをすれば身体がミイラになってしまう。確かにモーフィアスの血は熱に強いが、乾燥への耐性はじつは常人とさほど変わらない。その意味で、四公の中でも敵に回したくないとされるのが水のルネス家だ。見てのとおり、暗殺にはもってこいの力だからな。その力を知る人間は、ルネスの人間がいる場所では絶対に飲みものは口にしない。……そう、知っていれば」
だがカサンドラは、ウェリナの前でも平然と紅茶を口にした。
と、いうことは。
「カサンドラ妃は、お前が水の力を使えることを知らなかった。つまり、一昨晩の襲撃犯じゃない……?」
「そういうわけだ」
なるほど、聞いてみれば納得の理由である。
ただ、そうなると生じる新たな問題。じゃあ結局、誰が襲撃犯なんだ?
少なくとも、モーフィアスの血を引く人間には違いない。ただウェリナによると、あの女に似た背格好の女性は現在のモーフィアス家には存在しないという。
とりあえず……モーフィアス邸に着くまで、この件は棚上げだな。
「ところで」
「ん、どした?」
「さっきの、転生者についての話だが……あ、いや」
気まずそうに目を伏せると、ウェリナは無言でそっぽを向く。こわばる横顔の中で、エメラルドの瞳だけが不安げに揺れている。
その不安は、ウェリナが現実を受け止めつつあることの証左だろう。
俺が転生者である事実。さらに残酷な言い方をするなら、ここにいるアルカディアが、こいつの愛したアルカディアではない事実。それを今、ウェリナは必死で咀嚼しつつあるのだ。
とにかく今は、こいつの葛藤を静かに見守るべきだ。大丈夫。こいつも馬鹿じゃないから、きっと、最後には正しい答えにたどり着いてくれる。
それが、俺たちの至るべきハッピーエンドなんだ。
たとえ、こいつの手のぬくもりや、くちびるの熱を失ったとしても。
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