やさしいひと

柑子色

地獄

夜の道路で救急車やパトカーの音が絶え間なく耳に入る。

最後の日に耳にするのは、君の泣き叫ぶ声だけで十分なんだけどな。なんて思う。そして僕は

呼吸を止めた。



 人は誰しもが地獄に落ちると僕は考えている。どんなに優しい人でも、その優しさが必ずどこかの誰かの首を絞めたり、生まれたこと自体が罪と言われる人もいる。まあそもそも、死後の世界があるかすらもわからないんだけどさ。

でももし、死後の世界というものがあるとすれば、天国に行くことのできる人間はいないだろう。友達も、親も、そして自分も。

 なんて、考えても仕方がないことを考える。そんなくだらないことを考える時間を割いて、勉強でもしたらいいと頭ではわかっているが、なかなか行動に起こせない。だが、僕がこんな何も生まないことを考えているのには理由がある。昨日学校でクラスの女子、佐藤さんと菅野さんがこんな会話をしていたからだ。


「ねえねえ、一歌(いちか)、昨日のニュース見た!?」

「え?あー…カップルの彼氏が事故に遭って死んじゃったってやつ?」

「そー!うちも彼氏いるから、もしそうなっちゃったらって考えたらちょー怖くて…!」

「でも、そのカップルの彼氏さ、彼女さんにDVしてたらしいよ?」

「えっ!?そーなの!?」

「うん、彼女さんのSNSアカウントで話題になってたよ」

「えうっそー!ちょーぜつショックなんだけど!」

「じゃーその彼氏は今頃地獄行きだね」

「地獄って…」

「まあ?私の彼氏はちょー優しいから、天国超えて神様になっちゃうかも!」

「なにその変な惚気…」

そんな会話を聞いてしまった。確かに佐藤さんの彼氏の河野くんは、学校でも他校の生徒からも人気者で、こんな僕にも優しく接してくれる。けど僕は知っている。見てしまった。佐藤さん達がそんな会話をするたった数時間前に、彼が少し内気な男子に暴力を振ったり、金をよこせと怒鳴る姿を。それを見た瞬間、被害者の子と目が合った。その目は、助けてと叫んでいるように見えた。幸い、河野くんには僕の姿は見られてないし、バレていない。

こっちを見ないでくれ、そう心から思った。もし、僕に勇気があったら、あの人を助けられたのかな…

でも僕は逃げ出したんだ。だって、助けたら次のターゲットは僕なんだろ?そんなのいやだよ。僕も明るい性格ではないし、もしかしたら最初からあの人じゃなくて、僕が狙われていたかもしれない。本当に、本当に僕じゃなくてよかった。

我ながら最低だと思ったけれど、きっとこういうのが賢い生き方というものなのだろう。そう思うことにした。自分を、正当化したかったんだ。

 その次の日から僕は、死後の世界について考えるようになった。河野くんはもちろん、あの人も地獄に落ちるのだろうか。いや、きっと落ちる。そして僕も。ネガティブな気持ちになりながら暇なので音楽を聴こうとする。その時、一階から母さんが、

「今暇ー?暇ならお使い頼んでいいー?」

正直言って面倒くさかったけれど、どうせ家にいても暇なだけだし、母さんの頼みを素直に聞くことにした。 

「うん、いいよ。何買っていけばいい?」

「あら、今日は珍しく素直ね。」

くすくすと笑いながらメモ用紙を渡してくる。

「じゃあ、お願いね」

聞こえたからわからない声量で返事をした。

僕の家からスーパーまでは少し遠い。徒歩で20分もかかる。

「重くなるのは嫌だな…」

メモ用紙に目を向けると、そこに書かれていたものは、偶然コンビニで揃うものだった。ラッキーと思いながら、近くのコンビニに向かった。

 コンビニに着くと、店内には僕を含めて3人しか客がいなかった。そのうちの1人は僕と同い年くらいの髪の長い女性で、思わず見入ってしまうような顔立ちの人だった。綺麗な人…と思わず声に出しそうになるほどには。

早く買い物を済まそうとして、メモに書かれた物をカゴの中に入れる。飲み物を買おうとしたら偶然さっきの綺麗な女性が隣に来て、飲み物を選ぼうとしていた。綺麗な女性は、カゴを持っていなくて両手が塞がっていた。どうやって飲み物を取るんだろうと思い、バレない程度にのぞいた。その人は眉間に皺を寄せて、悩んだ表情をしていた。おそらく、僕が思った通り飲み物を取れないんだろう。ここで何もしないというのもスッキリしないので、声をかけることにした。

「あのー、手。塞がっているなら持ちましょうか?」

突然声をかけたせいか女性は少し驚いた表情を見せた。

「えっ、あ、いいんですか?」

申し訳なさそうに女性は言う。

「はい。もちろん、僕から声をかけたので」

そう言うと女性は、ぱあっと笑顔を見せて、ありがとうございます。と笑いながら僕に答えた。

 女性とレジへ向かい、女性が先に会計を済ませた。その後に続いて僕が会計をする時、ふとレジ前に売っているコロッケが目に入った。最近食べてないし、久しぶりに食べたいなと思い、店員さんにコロッケひとつくださいと言った。店員さんが返事をする前に、すぐ横からぐぅーと、お腹のなる音が聞こえた。音の聞こえた方を見てみると、女性が顔を真っ赤にしながら、すみません…と小さな声で謝っていた。

「すみません、やっぱりコロッケ2つで。」

親からもらったお金だし別にいいかと思い、女性の分も頼んだ。

会計を済ました後、女性にコロッケを渡した。女性は、まさか自分にくれると思っていなかったようで、戸惑った表情を見せた後、

「いいんですか…!?」

「はい。お腹の空いている女性の前で食べるほど、食い意地張っていないので」

と少し笑いながら言うと、女性はまた顔を真っ赤にして恥ずかしがっていた。すると女性は誤魔化すようにして、

「に、二度も助けていただきありがとうございました!」

「あ、いえ、僕がしたかったことなので。」

そう言うと、少し間を開けて、

「…わっ私!綾崎陽葵(あやさきひまり)っていいます!家がケーキ屋なので、ご馳走させてください!!」

あまりの勢いに唖然としていると、

「こっちです!行きましょう!あ、お時間大丈夫でしたか…!?」

笑顔になったり困った顔をしたりころころ表情が変わる人だな…けど今の僕にはそれがすごく沁みてしまう。先程までずっとあんなことを考えていた僕には。

「時間なら大丈夫です。ありがとうございます」

と、ふっとわらって返事をした。すると綾崎さんは、すごく嬉しそうな顔をした。

「あ、そういえばお名前聞いてませんでした!」

「今思えばそうですね。」

「僕は、"椿陽翔(つばきはると)といいます。」

名前を教えると、綾崎さんはまた笑顔になって、

「行きましょう!陽翔くん!」




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やさしいひと 柑子色 @kuz_iro

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