第54話 聖戦、神の介入

 地平線が、人で埋まっていた。

 俺は城壁の上から双眼鏡を覗き、そして——息を呑んだ。


 白と金の旗。槍の穂先が陽光を反射し、まるで地平線全体が波打っているように見える。鎧を着た兵士たち、騎馬の列、攻城兵器——それらが、視界の端から端まで、途切れることなく続いていた。


「おい、あれ何人いるんだ?」


 わずかに震える。


「十万じゃ効かなさそうだね」


 シノンは、落ち着いた声で答えた。彼の瞳には、無数のデータが流れている。敵の配置、兵種、装備——全てが、リアルタイムで解析されていく。


「でも——」


 シノンは、虚空に手を伸ばした。

 そこには、目に見えない操作パネルがある。


「もう、手加減する必要は無いからね」


 指が、何かに触れる。


 次の瞬間——


 街に設置された発射システムが、起動した。

 音はない。


 ただ、空気が震えた。

 青白い光の筋が、空へと昇っていく。

 電磁レールによって加速された砲弾。それは、火薬を使った兵器とは比較にならない速度で、大気を切り裂いていった。


 教皇国軍の誰も、それに気づかなかった。

 気づいたとしても、それが何を意味するのか——理解できなかっただろう。


 わずか数秒の、旅。


 そして、十万の軍勢の真上で——

 その小さな金属の塊が、花開いた。


 *


 まず、光があった。

 巨大な、純白の光。

 それは、太陽よりも眩く、世界の全てを塗りつぶした。


 最前線にいた兵士は、その光を見た。

 瞼を閉じても、防げない。

 鎧の隙間から、布の繊維の間から、あらゆる隙間を貫通して——光が、侵入してくる。


「ぐあああああああ!」


 悲鳴が、上がる。

 網膜が、焼ける。


 視界が、白く染まり——そして、闇に堕ちた。

 数万の兵士が、一瞬で視力を失った。


 そして、熱が来た。

 容赦ない、絶対的な熱。


 革の鎧が、一瞬で炭化する。

 皮膚が、水泡となって弾ける。


 魔法使いが身につけていた「耐熱の護符」は、ただの紙屑へと変わり、風に舞った。

 騎兵の馬が、痙攣する。


 恐怖と苦痛で暴れ回り、隊列を踏み荒らす。

 秩序が、崩壊していく。


 そして——


 音が、来た。


 ドォォォォォン!


 まるで、世界が裂けるような轟音。

 衝撃波が、ドーム状に広がり、地表を這う。


 十万の密集した隊列は——


 見えない巨大なハンマーで、叩き潰された。


 甲冑が、潰れる。

 盾が、砕ける。


 人間が、地面に叩きつけられる。

 軍旗が、吹き飛ぶ。

 指揮官のテントが、千切れる。


 馬が、蹄を天に向けて——動かなくなる。


 そして——


 静寂。


 地平線を埋め尽くしていた軍勢の、前半分が——


 消えていた。


 *


「すごい威力だな……」


 俺は、呆然と呟いた。


「何使ったんだ?」


「小型戦術核だよ」


 シノンは、あっさりと答えた。


「核って……そんなの使って大丈夫なのかよ」


「純粋水爆だから、残留放射能は心配ないよ」


 シノンは、健太を見た。


「言ったでしょ。本気出すって」


 俺は、何も言えなかった。

 ただ、遠くの戦場を——見つめることしかできなかった。


 風が、吹く。

 それは、熱を帯びていた。


 *


【エデン、共有ラウンジ】


 大型ホログラムスクリーンには、地上の様子が映し出されていた。

 十万の軍勢が、地平線を埋め尽くしている映像。


『地平線まで人で埋まってるとかマジかよ……』

『教会本気すぎw』

『……これ大丈夫だよね? 勝てるよね?』


 不安と興奮が、入り混じったコメントが流れる。


『お前ら、シノン様の本気が見れるぞ』


 その言葉と同時に——

 画面に、青白い光の筋が映った。


『あ、なんか飛んでった』

『……一発だけ?』

『これで終わり?』


 次の瞬間——

 画面が、白く染まった。


『目がぁぁぁぁ!!』

『目がぁぁぁぁ!!』

『目がぁぁぁぁ!!』


 スクリーンの前にいた住民たちが、思わず目を覆う。

 カメラのセンサーが自動調整し、画面が戻る。


 そこには——

 もう一つの、太陽があった。


『えぐっ! 太陽もう一つ出来てるんだけど!』

『どうなった!?』

『教会軍……消えてね?』


 爆発の光が消え、煙が晴れると——

 そこには、何もなかった。


 地平線を埋め尽くしていた軍勢の、前半分が——


 ただ、消えていた。

 遅れて、爆発音がエデンにまで届く。


 ゴゴゴゴゴォォォォン——


 ダンジョンにいるにも関わらず、その振動は伝わってきた。


『あとから来た爆発音やべぇ。ここまで響いたぞ』

『教会軍の先鋒消滅してるけど、だいじょぶそ?』

『瞬殺』

『シノン様最強!』


 だが、全てのコメントが、肯定的なわけではなかった。


『……これはちょっと引くわ』

『人、死んでるんだよね……』

『自業自得だろ。攻めてきたの向こうだし』

『それでも……』


 画面の中では、生き残った兵士たちが——

 逃げ惑っていた。


 視力を失った者が、仲間にすがりつく。

 火傷を負った者が、地面を這う。


 それは——


 地獄だった。


『ざまぁ』

『シノン様最強!』

『シノン様最強!』


 だが、コメントは——止まらなかった。


 *


【教皇国軍、本陣】


「……報告を」


 マティアスの声が、震えていた。


 報告官が、青ざめた顔で答える。


「先程の一撃で……先鋒、五万が——」


 彼は、言葉を詰まらせた。


「消滅しました……」


「……」


 本陣に、重い沈黙が落ちる。


 五万。


 それは、数字ではない。

 五万人の、人間。


 それが、一瞬で——消えた。


「……悪魔の技術め」


 マティアスが、拳を握りしめる。


「マティアス卿」


 グレゴリウスが、静かな声で言った。


「このままでは、全軍が無駄死にします。撤退を——」


「撤退だと!?」


 マティアスが、グレゴリウスを睨みつけた。


「我らは、神の御名において戦っているのだぞ! 撤退など——」


「では、どうするのです」


 グレゴリウスは、淡々と言った。


「このまま兵を進めても、ただ死ぬだけです」


「ならば……ならば……!」


 マティアスは、天を仰いだ。


「神よ! 我らに、力を!」


 だが、空は——

 ただ、青いだけだった。


 雲一つない、青空。

 何も、変わらない。


「……撤退の準備を」


 グレゴリウスが、指揮官に命じた。


「待て!」


 マティアスが、叫ぶ。


「まだだ! まだ、我らには——」


 その時だった。


 ゴゴゴゴゴゴ——


 大地が、揺れた。

 いや、揺れたのは大地だけではない。


 空気が、震える。

 世界が、軋む。


 そして——

 空が、裂けた。


「……!」


 マティアスが、空を見上げる。

 ガルダ=ラグナの上空。

 そこに、巨大な亀裂が走っていた。

 まるで、世界という絵画を、誰かが引き裂いたかのように。

 亀裂は、ゆっくりと——広がっていく。


 そして、その向こうから——


 光が、溢れ出した。


「神が……」


 グレゴリウスが、呆然と呟いた。


「神が、応えられた……」


 亀裂から、無数の光の奔流が降り注ぐ。


 それは、流れ星のように——いや、もっと美しく、もっと恐ろしく。

 光が、形を成す。


 六枚の翼。

 白銀の鎧。


 そして、顔のない仮面。


 天使。


 その数——数万。


 いや、もっとか。


 数えきれないほどの、光の戦士たち。


「神の軍勢だ!」


 マティアスが、歓喜の声を上げた。


「神が! 我らに、援軍を!」


 教皇国軍の兵士たちが、跪く。


「神よ!」


「感謝します!」


 祈りの声が、戦場に響く。


 天使たちは、無言で——

 ガルダ=ラグナに向かって、降下を始めた。


 その光景は——

 まるで、天の裁きのようだった。


  *


 城壁の上で、俺たちは——その光景を、見ていた。


「……来たな」


 そう呟いた。


「うん」


 シノンは、頷いた。


「健太」


「ああ」


 剣を抜いた。


「やるしかないな」


 俺たちは、降りてくる天使の群れを見上げた。

 風が、止まった。


 世界が、息を潜めたような——静寂。

 そして——


 戦いが、始まった。




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