第51話 楽園の観客席


 その時、エデンの第三居住区、共有ラウンジでは――


 歓声が、空間を満たしていた。


「おおおおお!」

「健太様ァァァ!」


 大型ホログラムスクリーンの前に集まった住民たちが、まるでスポーツ観戦でもするかのように叫んでいる。

 画面には、地上の大聖堂が映し出されていた。健太が、教皇の前で何かを言っている。その言葉は、聖堂を震わせるほどの衝撃を持っていた。

 画面の隅には、リアルタイムでコメントが流れている。シノンの作り上げたエデン独自のシステムだ。青い文字が、滝のように流れていく。


『キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!』

『健太様マジ神(物理)』

『教会の顔wwwww』

『グレゴリウスさん、固まってるんだけどwww』

『これ歴史的瞬間では?』

『後世の教科書に載るやつだコレ』

『神に喧嘩売るスタイル好き』

『いや待て、売るどころか殴りに行ってるぞ』

『エデン最高!!! もう地上戻れねぇわ!!』

『↑戻る必要ないぞ』

『仕事? 何それ美味しいの?』

『三食昼寝付きの生活最高〜』


「ちょっと静かにしてよ! 聞こえないでしょ!」

 一人の女性が、コメントの流れに目を走らせながら、興奮気味に叫んだ。だが、その声は歓声に掻き消される。


 誰も、静かにする気はなかった。

 これは祭りだ。神に反逆する英雄を讃える、新しい祭り。


『あ、マティアスさん、顔真っ赤!』

『スクショ撮った!』

『誰か録画してる?』

『後でアーカイブされるでしょ〜』

『これ永久保存版だわ』

『子孫に見せるやつ』

『↑子孫作る予定あるの?』

『ないけどw』


 笑い声が、あちこちで響く。

 画面の中では、教会の高位聖職者たちが怒りに震えている。信者たちは困惑し、兵士たちは剣に手をかけている。


 だが、エデンの住民たちは――笑っていた。

 まるで、遠い国の出来事を見ているかのように。

 いや、実際に遠い出来事なのだ。


 地上とエデン。

 その距離は、物理的な距離以上に、心理的な距離として開いていた。


 *


 エデンのネットワークでは――

 無数の掲示板が、同時多発的に盛り上がっていた。


【教会】地上がやばい件【全面戦争か】


101:名無しの使徒:20XX/10/17(木) 12:00:00.00 ID:xxxxxxxx


これ、教会との全面対決フラグだよな


102:名無しの聖職者:20XX/10/17(木) 12:00:21.14 ID:yyyyyyyy


>>101

いや、もう対決してるようなもんだろ


103:名無しの隠者:20XX/10/17(木) 12:00:42.75 ID:zzzzzzzz


でも俺ら、エデンにいれば安全じゃね?


104:名無しの監視者:20XX/10/17(木) 12:01:03.93 ID:aaaaaaaa


そもそも地上に出る理由がない


105:名無しの兵士:20XX/10/17(木) 12:01:20.51 ID:bbbbbbbb


ダンジョン封鎖されたら?


106:名無しの農夫:20XX/10/17(木) 12:01:40.23 ID:cccccccc


>>105

それな。籠城できる?


107:名無しの調理師:20XX/10/17(木) 12:02:01.12 ID:dddddddd


食料も水も無限だし、余裕じゃね


108:名無しの技術者:20XX/10/17(木) 12:02:22.88 ID:eeeeeeee


電力も無限だしな


109:名無しの娯楽部:20XX/10/17(木) 12:02:40.17 ID:ffffffff


エンタメコンテンツも増え続けてるし


110:名無しの廃人:20XX/10/17(木) 12:03:00.10 ID:gggggggg


むしろ出たくないレベル


111:名無しの懐古厨:20XX/10/17(木) 12:03:20.91 ID:hhhhhhhh


外の空気とか、もう10年くらい吸ってない気がするわ…


112:名無しの哲学者:20XX/10/17(木) 12:05:45.01 ID:oooooooo


まぁでもさ、地上が滅んでもエデンが残れば人類はセーフってことよ


113:名無しの実況民:20XX/10/17(木) 12:07:15.12 ID:ssssssss


てか今夜のアーカイブライブ見た? シスターVが歌ってたやつ


114:名無しの推し活民:20XX/10/17(木) 12:07:40.00 ID:tttttttt


>>113

最高だった…エデン来てから推しができるとは思わんかったわ


115:名無しの元兵士:20XX/10/17(木) 12:08:02.10 ID:uuuuuuuu


俺、外にいたころは毎日死にかけてたのに、今じゃ配信三昧ですわ


116:名無しの野良犬:20XX/10/17(木) 12:08:25.10 ID:vvvvvvvv


でもさ、もしエデンが本当に最後の人類の砦だったら…それって勝ちか? 負けか?


117:名無しの自爆ボタン:20XX/10/17(木) 12:08:50.22 ID:wwwwwwww


>>116

哲学っぽいこと言ってるけど、ただの中二だぞお前w


 画面の向こうで、誰かが問いを投げかける。

 だが、それに答える者はいない。


 もう、誰も真剣に考えていなかった。


 *


 さらに別の区画では、元冒険者たちが集まっていた。

 かつて地上で命を賭けて戦っていた者たち。今は、エデンで安穏と暮らしている。


『健太の言う通りだ! 俺たちは自分の手で勝ち取ったんだ!』

『神じゃねぇ、俺たちの力だ!』

『教会がなんぼのもんじゃい!』

『でも神様怒らせて大丈夫なん?』

『↑もう怒ってるだろ、今更だよ』

『っていうかシノン様が何とかしてくれるでしょ』

『シノン様万能説』

『健太様とシノン様のコンビ最強』

『二人がいれば無敵』

『エデンは永遠に不滅』


 彼らは、かつて神に祈っていた。

 今は、健太とシノンに祈っている。


 対象が変わっただけで、構造は同じだった。


 *


 そして、娯楽区画のカフェでは――


「あー、健太様かっこいい〜」

「私、絶対健太様の子供産みたい」

「は? 私の方が先に言ったんだけど?」

「順番とか関係ある?」


 甲高い声が響く。カフェのテーブルには、色とりどりの飲み物が並んでいる。誰も、それに金を払っていない。

 全てが、無料だった。


『健太様ファンクラブ、本日の入会者300名突破』

『は、早い』

『もう公式コミュニティ立ってるのかよ』

『エデン、平和すぎん?』

『平和っていうか、天国だよね』

『天国に神はいないけどw』

『健太様が神だから問題ないwww』


 スクリーンには、賛否両論の怒号で満たされた、地上の広場の光景が映し出されている。


 教会の信者が叫んでいる。民衆が逃げ惑っている。誰かが倒れている。


 だが、エデンは――あまりにも、平和だった。

 誰も、画面の中の混乱を自分のこととは思っていない。

 それは、映画のワンシーンのようだった。

 フィクションのように、遠い世界の出来事。


 窓の外には、人工の太陽が輝いている。

 青い空が広がり、白い雲が流れている。

 全てが、完璧にコントロールされた世界。

 飢えも、渇きも、寒さも、暑さも、苦しみも――何もない世界。


 ここは、楽園だった。

 そして、楽園の住人たちは――地上の苦しみを、ただ眺めていた。



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