第48話 崩壊から始まる理想郷
王国軍が完全に撤退してから、一週間が過ぎた。
俺は半壊した市庁舎の屋上に立ち、眼下に広がる光景を見下ろしていた。破壊された家屋、焼け落ちた市場、黒く煤けた壁。冒険者たちが懸命に復旧作業にあたっているが、瓦礫の山はいっこうに減る気配がなかった。
「……ひでえな」
思わず呟いた言葉は、風に攫われて消えていく。勝利を祝う喧騒はとうに消え失せ、街に響くのは槌音と、荷車の軋む音だけだ。
俺たちは勝った。だが、代償はあまりにも大きかった。
この街の人たちと一緒に戦った。守った。笑って、泣いて、怒鳴り合って——知らないうちに、愛着が湧いていた。最初は「帰るまでの拠点」でしかなかったこの街が、今では——
いや、でも。俺の一番の目的は、やっぱり帰ることだ。それは変わらない。
神を引きずり出す。それが、俺が元の世界に帰るための、唯一の道だから。
『健太、評議会から緊急の召集だ。今後の復興計画について、だってさ』
通信機から、コアルームにいるシノンの声が聞こえてくる。その声は、いつものように飄々として、どこか楽しげですらあった。
こいつは相変わらずだな。まあ、それがシノンだ。
俺は、深く息を吸い込んだ。そして、半壊した階段を降りて、評議会へと向かった。
評議会の議事堂は、重苦しい沈黙に包まれていた。
円卓を囲む評議員たちの顔には、深い疲労と絶望の色が浮かんでいる。彼らは俺とシノンの姿を認めると、力なく頭を下げた。
ああ、この人たち……もう限界なんだな。
「……ご覧の通りです、ダンジョンマスター殿」
議長が、震える声で口を開いた。
「街の主要区画の七割以上が、戦闘によって焼失、あるいは半壊しました。これを元通りにするには……数十年、いや、百年単位の歳月と、莫大な資金が必要です」
百年。そんなに待てるわけがない。俺は、それまでにここにいるつもりはないんだ。
「それに、また王国が攻めてきたら……今度こそ、我々は……」
別の評議員が、震える声で続けた。その言葉は、途中で途切れた。
俺は、黙って話を聞いていた。この街の人たちを見捨てるつもりはない。だが、何ができる? 俺は魔法は使えるけど、街を一から作り直すなんて無理だ。
その時、俺の隣に座っていたシノンが、退屈そうに口を開いた。
「そもそも、復興させる必要、あるかな?」
その一言に、評議員たちが一斉に顔を上げる。
シノンは、何でもないことのように続けた。
「地上は、非効率的で、危険だ。より合理的で、安全な解決策があるよ」
空中に、青白い光の設計図が浮かび上がる。ダンジョンの全体図だ。評議員たちは、その光景に呆然と見入っている。
「結論から言うと、都市の機能を二重化する。地上は、この街の『玄関』であり『城壁』とする。冒険者ギルド、公的な評議会議事堂、対外的な商業施設は地上に残し、外部との交流と防衛の拠点とする」
「では、市民と……都市の真の中枢は?」
議長が、息を呑んで問う。
「全て、ダンジョンの中に」
シノンは、こともなげに言った。
俺の心臓が、一瞬、跳ねた。そうか、その手があったのか。
ダンジョンの中なら、俺たちがマスターである以上、絶対に守れる。王国が何度攻めてきても、市民には指一本触れさせない。
それに——ダンジョンに大量の人間が住み着けば、システムに負荷がかかる。神が「何事だ」と顔を出すかもしれない。
一石二鳥、いや、一石三鳥か。
「一階層から十階層までを、完全な市民居住区画……『エデン』とする。市民の生活基盤と、我々を含めた最高意思決定機関は、外部から完全に隔離されたこの聖域に移します」
評議員たちは、言葉を失っていた。彼らの目には、驚き、困惑、そして——どこか、安堵の色が混じっている。
ああ、そうだ。この人たちは、もう決断する力が残っていないんだ。
なら、俺が決めてやればいい。この街を守ると決めたのは俺だ。その責任は、最後まで取る。
「俺も、シノンの意見に賛成です」
自分の声が、やけに大きく響いた。
評議員たちが、一斉に俺を見る。その視線には、期待と、藁にもすがる思いが混じっている。
まあ、悪くない。俺たちなら、この街を守れる。地下に移せば、戦争の心配もない。市民は安心して暮らせる。
そして、その先に——神への道がある。
「俺は、もう誰も死なせたくない」
それは、本心だった。
王国軍との戦いで、たくさんの冒険者が死んだ。街の人も、巻き込まれて死んだ。もう、あんな思いはしたくない。
「この街の人が、戦争の恐怖に怯えるのは、もうごめんだ。市民は、絶対に安全な場所にいるべきだ。戦うのは、戦う覚悟のある俺たちだけでいい」
戦う覚悟——それは、元の世界に帰るための覚悟でもある。でも、同時に、この街を守るための覚悟でもある。
両方だ。どっちも、嘘じゃない。
評議員たちは、俺の言葉を、まるで救いの言葉のように聞いていた。
議長は、しばらく天を仰いでいた。その目は、遠く、遠く、何かを見ているようだった。
やがて、彼は深く、深く頷いた。
「……分かりました。全て、ダンジョンマスター殿の、ご意向のままに」
その言葉は、全てを委ねる宣言だった。
これで、この街は新しく生まれ変わる。俺たちの手で。
*
その決定は、ダンジョン二階層「エデン」で避難生活を送る市民たちに、すぐに伝えられた。
俺は、シノンと一緒に、巨大ホログラムスクリーンの前に立っていた。そこには、議長の姿が映し出されている。
『——市民の諸君に告ぐ。我々は、地上世界の放棄を決定した。今より、このダンジョン居住区が、諸君らの新たな故郷となる!』
一瞬の、静寂。
人々は、互いに顔を見合わせている。その表情は、困惑、戸惑い、そして——
やがて、誰からともなく、歓声が上がった。
「やったあ! もう、あの壊れた家に戻らなくていいんだ!」
「毎日、美味しいご飯が食べられて、お風呂にも入れる!」
「ずっと、ここで暮らせるの!?」
歓声は、波のように広がっていった。子供たちは飛び跳ね、女たちは涙を流し、男たちは肩を抱き合う。そのどれもが、純粋な喜びに満ちていた。
ああ、良かった。みんな、喜んでくれてる。
シノンが作った未来都市は、この世界の人間にとっては夢みたいな場所だからな。選択肢があるなら、こっちを選ぶのは当然だ。
視線の端で、何人かの年老いた職人たちが、寂しそうに故郷の名を呟いているのが見えた。
ああ……あの人たちには、地上に思い出があるんだろう。生まれ育った街を、失うんだ。
胸が、少し痛んだ。
だが、その声は、新しい時代の幕開けを喜ぶ大歓声の中に、あっけなくかき消されていった。
人々は、選んだのだ。過去よりも、未来を。苦難よりも、快適を。
それを、責めることはできない。俺だって、同じ立場なら、きっと同じ選択をする。
でも——少しだけ、寂しさも感じた。
まあ、仕方ない。前に進むしかないんだ。
*
こうして、ガルダ=ラグナの新しい秩序が生まれた。
地上は、外交と防衛、そして冒険者たちのための「表の顔」を持つ城塞都市として。そして地下は、市民たちが暮らし、真の中枢機能が置かれた、誰にも侵されない「聖域」として。
一つの街は、二つの顔を持つ、世界で唯一無二の都市国家へと変貌を遂げた。
そして、俺たちは、その頂点に立つことになった。
正直、こんな立場になるとは思ってなかった。だが、やるしかない。この街を守ると決めたんだから。
そして——神を引きずり出すためにも、この街は必要だ。
それから数週間後、評議会の議事堂は、また別の問題に直面していた。
「——というわけです、ダンジョンマスター殿」
議長は、頭を抱えていた。彼の前には、東の街道から送られてきた報告書の山が、うず高く積まれている。
「現在、東門の前には、推定三万を超える難民が……殺到しております。その数は、今も増え続けている、と」
「三万……!?」
俺は、思わず声を上げた。この街の総人口に匹敵する数が、城門の前にいるというのか。
議長は、疲れ切った顔で続けた。
「彼らは、王国軍の残党が野盗と化し、街道を襲っているため、我々の街を目指してきたのです。噂では、ここが『楽園』だと……」
楽園、か。まあ、間違っちゃいないけど。
でも、三万人って……受け入れたら、街が破綻する。食料も、住む場所も、仕事も足りない。
「街に入れるわけにはいきません! 彼らが食料や住処を求めれば、この街は一瞬で破綻しますぞ!」
「だが、見捨てることもできん! 彼らは、我らが原因で生まれた難民だ……」
評議員たちの間で、激しい議論が交わされる。
俺は、黙ってその議論を聞いていた。
正直、難しい問題だ。受け入れれば街が潰れる。見捨てれば、人として……いや、でも、この街の人たちを守るのが先だろ。
俺は、少し迷った。
その時、耳に通信機からシノンの声が入った。
『健太。面白いことになってるね。僕のシミュレーションを超えた、イレギュラーな事態だ』
面白い、か。まあ、シノンらしいな。
『——全員、受け入れよう』
「は?」
思わず声に出してしまった。評議員たちが、不思議そうに俺を見る。
『だから、難民は全員、ダンジョンに受け入れる。そう提案して』
「おい、待て。三万だぞ? それに、これからも増えるかもしれないんだぞ。本当に大丈夫なのか?」
俺は、小声で確認した。この街の人たちを守ると決めたんだ。無茶な賭けはできない。
『問題ないよ。ダンジョンの階層は、まだ四十以上も余ってる。それに、食料も、水も、エネルギーも、ダンジョンコアがある限り、無限に生成できる。住居も、一日あれば数万人分は用意できるかな』
「無限って……でも、コアのリソースは本当に大丈夫なんだよな? もし枯渇したら、今の市民も巻き込むことになる。それだけは避けたい」
俺の心配に、シノンの声は楽しげだった。
『それこそが、狙いだよ』
「狙い?」
『リソースが枯渇して本当に困るのは、このダンジョンを創った神だ。ダンジョンの負荷が異常に上がったら、何事かと見に来るだろう?これは、神を炙り出すための、最高の撒き餌なんだよ』
ああ、そういうことか。
俺は、一瞬考えた。
神を引きずり出す——それは、俺が帰るための、絶対に必要なステップだ。でも、そのために街を危険に晒すのは——
『安心して。僕の計算では、この程度の人口増加でコアのエネルギーが枯渇する確率は0.01%未満だ。市民へのリスクは、ほぼゼロだよ。でも、この異常なエネルギー消費は、管理者への明確な『警告』になる。僕たちは、リスクなく神の注意を引けるんだ』
0.01%。
それなら、許容範囲か。
それに——三万人を救えるなら、それはそれで、悪くない。
俺は、この街を守ると決めた。それは、今いる市民だけじゃない。これから来る人たちも、同じだ。
それに、神を引きずり出せるなら——俺は、帰れる。
両方、叶えられるなら、それが一番いい。
「……分かった。やろう」
そして、俺は評議員たちに向かって、静かに、しかし力強く言った。
「——難民は、全員、俺たちが引き受けます」
その一言に、議事堂は水を打ったように静まり返った。
「全員……ですと……?」
議長が、信じられないという顔で問い返す。
「ええ。ダンジョン居住区『エデン』を拡張し、彼らの住居、食料、安全、その全てを、俺たちダンジョンマスターが保証します」
評議員たちは、何も言えなかった。ただ、俺を見つめているだけだった。
その視線には、畏敬と、感謝と、そして安堵が混じっている。
まあ、いい。この街は、俺が守る。それは、帰るための手段でもあるけど——同時に、俺がしたいことでもある。
両方だ。どっちも本当だ。
*
その日の午後、ガルダ=ラグナの東門が、ゆっくりと開かれた。
俺は、シノンと一緒に、門の内側に立っていた。武装した冒険者たちが、俺たちの背後に控えている。
門の前に広がっていたのは、人の海だった。
痩せこけた顔。泥にまみれた服。絶望に濁った目。子供たちの泣き声。老人のうめき声。
ああ、ひどい有様だ。
これも、王国との戦いの結果だ。俺たちが勝ったから、残党が暴れて、こうなった。
だから——俺たちが、責任を取る。
俺は、拡声の魔法を使い、高らかに宣言した。
「ようこそ、ガルダ=ラグナへ! 我々は、君たち全員を歓迎する!」
人々は、すぐにはその言葉を信じられなかった。だが、俺たちの後ろに立つ冒険者たちが、温かいスープとパンを配り始めると——
その疑念は、嗚咽と感謝へと変わった。
子供たちが、パンにかじりつく。女たちが、スープを飲んで涙を流す。男たちが、膝を折って頭を下げる。
その光景を見て、俺は思った。
ああ、これでいい。
俺は、この人たちを救える。この街を守れる。そして——その先に、帰る道がある。
全部、叶えられる。なら、やるしかない。
難民たちは、冒険者たちの案内に従い、ダンジョンの入口へと導かれていく。転送陣の光が、彼らを包み込んでいく。
そして、彼らが転送陣の光の先に見たものは——
天まで届くかのような、ガラスと鋼の摩天楼。自動で動く車。空中に浮かぶ巨大なスクリーン。
楽園。
シノンが作った、未来都市だ。
人々の顔が、絶望から驚愕へ、そして歓喜へと変わっていく。
その光景を見て、俺は少し笑った。
ああ、良かった。みんな、幸せそうだ。
それでいい。
その日から、ガルダ=ラグナは変貌を遂げた。
噂は、さらなる噂を呼んだ。大陸中から、戦争や貧困に苦しむ人々が、この街を目指した。五万、十万、二十万——人口は、爆発的に増え続けた。
シノンは、そのたびにダンジョンの階層を解放し、居住区を拡張していった。二十階層までが、完全に市民の住む未来都市へと作り変えられた。
地上の城塞区画には、大陸中から、腕利きの冒険者や、一攫千金を狙う商人たちが集まり、空前の活況を呈している。
そして、地下の「エデン」では、数十万の市民が、労働も、飢えも、病も、死の恐怖すらも忘れて、ただ穏やかな毎日を享受している。
ガルダ=ラグナは、もはやただの都市ではなかった。
それは、旧世界の価値観から完全に切り離された、新しい時代の、新しい国家の萌芽だった。
俺とシノンという、二人によって統治される、異質な理想郷。
俺は、ダンジョンコアルームの窓から、地下に広がる光の海を見下ろしていた。
数十万の人々が、幸せそうに笑っている。
子供たちが走り回り、老人たちが安らかに眠り、若者たちが夢を語っている。
ああ、この光景——嫌いじゃない。
いや、正直に言えば、少し誇らしいとすら思う。
この街を守ると決めた。そして、守れている。それは、悪いことじゃない。
でも——
「健太、どう? うまくいってるよね」
背後から、シノンの声がした。
俺は、振り返らずに答えた。
「ああ。このペースなら、神も無視できなくなるだろう」
「そうだね。ダンジョンコアの負荷は、すでに通常の三倍を超えてる。異常事態として認識されるのも、時間の問題だよ」
シノンの声は、いつものように楽しげだった。
俺は、少し笑った。
「まあ、どうなるか分からないけど——やれるだけのことは、やったな」
「うん。後は、神様の反応待ちだね」
俺は、再び光の海を見下ろした。
この街の人たちは、俺たちを英雄のように崇めている。
それは、ちょっと気恥ずかしいけど——まんざらでもない。
でも、俺の目的は、やっぱり帰ることだ。
それは、変わらない。
ただ——帰る時、この街がどうなるかは、少し気になる。
まあ、その時考えればいいか。今は、できることをやるだけだ。
だが、その噂は、帝国、そして教会の決して無視できない脅威として、確実に届いていた。
俺たちの戦いは、まだ始まったばかりだ。
神を引きずり出し、交渉する。そして——元の世界に帰る。
でも、その前に——この街を、ちゃんと守らないとな。
両方だ。どっちも、諦めない。
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