第47話 市街地戦、灰燼と凱歌
王国軍に侵入されてから、半日が過ぎた。
ガルダ=ラグナの市街地は、俺の指揮下で、巨大な狩場へと変わっていた。
「第七分隊、東の市場跡で敵の補給部隊を叩け!」
「第二分隊は鐘楼から魔法支援!」
「深追いはするな! 一撃離脱を徹底しろ!」
通信機を握る手に、微かな疲労が溜まり始めていた。冒険者たちは、地の利を活かしたゲリラ戦を展開している。路地裏に敵を誘い込んでは奇襲をかけ、屋根から屋根へと飛び移りながら翻弄する。彼らの戦い方は、統制の取れた王国軍にとって、最も相性の悪いものだった。
王国軍の兵士たちは、数の優位を活かせないまま、少しずつ消耗していく。
だが。
彼らの反撃もまた、確実に街を破壊していた。
戦闘の余波で建物が崩れ、火の手が上がる。よく知るパン屋が、商店が、冒険者たちが酒を酌み交わした酒場が、次々と黒い煙を上げていく。その光景を見るたびに、胸の奥に何かが詰まるのを感じた。
『健太、このペースだと、敵の殲滅より先に街が半壊する。シミュレーション上の損害予測、上方修正』
コアルームで戦況を分析するシノンから、冷静で、しかし残酷な事実が告げられる。
分かってる。
屋根の上を疾走しながら、俺は歯を噛み締めた。このままでは、たとえ勝ったとしても、守るべき「帰る場所」がなくなってしまう。
でも——
もし今、敵の大将を倒せば?
その考えが、頭の隅をよぎった瞬間、何かが決壊した。
この不毛な消耗戦を、終わらせる。
その唯一の方法は。
蛇の頭を、直接叩くことだ。
「シノン」
『何かな?』
「敵の大将——バルバロッサは、どこにいる?」
『……本気かい?』
シノンの声に、わずかな驚きの色が混じる。その驚きが、かえって俺に確信を与えた。
『彼の本陣は、ここから西へ5キロ。平原に置かれた中央野営地だ。周囲は、五万の軍勢と、彼直属の近衛騎士団が守っている。潜入は、自殺行為だよ』
自殺行為。
その言葉を聞いても、躊躇いはなかった。
「それでも、行く。このまま街が壊されていくのを見てるより、ずっとマシだ」
自分の言葉の重みに、初めて気づいた。
神を引きずり出す。帰還の道を開く。
本来、それが全てだったはずだ。
それなのに、今、俺は街を守るとか、仲間がとか、市民がとか——そんなことを言っている。
いつから、こうなった?
気づけば、俺は状況に流されていた。いや、正確には、状況に流されるのを選んでいたのかもしれない。
その矛盾を、俺は見つめることを避けた。
『……』
短い沈黙。
その沈黙の中に、シノンの戸惑いが満ちていた。
『……了解した。なら、僕も最高のナビゲートをしよう。ダンジョンの地下水路を使えば、敵の包囲網の外側に出られる。そこからの潜入ルートを、君の目に映す』
ゴーグルの視界に、一本の青い光の線が描かれた。
それは、地下深くから始まり、平原を抜け、巨大な野営地の一点——中央の、ひときわ大きな天幕へと続いていた。
その光の先にあるもの。
それは、終わりなのか、それとも、別の始まりなのか。
俺は、もう考えるのをやめた。
「リオ! あとは任せた!」
近くで部隊を率いていた猫人族の青年に後を託すと、俺は城壁を飛び越えた。
*
王国軍中央野営地。
そこは、五万の軍勢の中枢であり、鉄壁の要塞だった。
張り巡らされた見張り台。幾重にも設置された魔法的な警報結界。そして、野営地の中心に位置する総大将バルバロッサの天幕の周りには、王国最強と謳われる近衛騎士団が、蟻一匹這い出す隙間もなく守りを固めている。
だが、その夜。
俺という一人の死神が、その鉄壁の守りを、音もなくすり抜けていった。
「——次の角を左。三秒後、巡回兵が二人通過する」
シノンの声が、頭の中に直接響く。
俺は、天幕の影に息を潜め、二人の兵士が通り過ぎるのを待つ。
シノンのナビゲートは、完璧だった。敵の配置、巡回のパターン、結界の僅かな隙間。その全てを、彼はコアルームから正確に把握していた。
俺は、単なる刃先になるしかない。
その自覚が、妙に心地よかった。
やがて、俺は巨大な総大将の天幕の前に辿り着いた。
「ここからは、俺一人だ」
腰の単分子カッターを、静かに抜き放つ。
天幕を切り裂き、内部に侵入する。
中にいたのは、数人の側近と、地図を睨みつけていた総大将バルバロッサ。そして、彼を守る十数名の近衛騎士団。
「な、何者だ!」
騎士の一人が叫ぶ。
だが、その言葉は最後まで続かなかった。
俺の剣が、彼の喉を正確に切り裂いていたからだ。
「——お前の首を、取りに来た」
俺は、静かに告げた。
近衛騎士たちが、一斉に剣を抜く。
彼らは、王国最強の精鋭だ。一人一人が、Aランク冒険者にも匹敵する実力を持つ。
だが——
彼らは、俺の敵ではなかった。
俺の身体が、霞む。騎士の一人が、何が起きたか分からぬまま、崩れ落ちた。二人目、三人目。
死神の舞踏。
俺の剣が閃くたびに、王国最強の騎士たちが、赤子のように切り伏せられていく。
そして、部屋に残ったのは。
玉座から立ち上がり、自ら剣を抜いたバルバロッサと、俺だけだった。
「……化け物が」
バルバロッサは、そう言って、剣を構えた。
その体躯は老いてなお、歴戦の戦士の気迫に満ちている。
「来るがいい、英雄。このバルバロッサが、直々に地獄へ送ってやろう」
バルバロッサが剣を振るった。
重い、一撃。
だが、俺がそれを受けようとした瞬間——
俺の単分子カッターが、バルバロッサの剣を接触と同時に両断した。
カラン。
乾いた音を立てて、王国の将軍の剣が、床に落ちた。
刃は、何の抵抗もなく通り抜けた。
「な……」
バルバロッサは、自分の手に残された剣の柄を、呆然と見つめた。
俺は、何も言わなかった。
言葉など、もう不要だった。
俺の剣が、彼の喉元に、ぴたりと突きつけられた。
「……終わりだ」
バルバロッサは、全てを悟ったように、静かに目を閉じた。
俺は、静かに剣を振り下ろした。
*
総大将、討ち取られる——
その報は、俺が天幕から脱出した直後、混乱と悲鳴となって、王国軍全体へと伝わった。
指揮系統は、完全に崩壊した。
兵士たちは、何を信じ、誰に従えばいいのか分からず、ただ混乱し、恐怖に駆られた。
やがて、誰からともなく、撤退の動きが始まる。
一人、また一人と武器を捨てて逃げ出すと、それはもう、止まらない雪崩となった。
『——総大将、討ち取られる!』
天幕の外から、近衛騎士の絶叫が聞こえた。
その声は、恐慌の狼煙だった。
指揮系統の頂点を失った王国軍は、もはや軍ではなかった。
頭を失った巨大な蛇が、のたうち回っているだけだ。
俺は、血振るいもせずに剣を鞘に納め、バルバロッサの執務机に広げられていた地図に目を落とした。
そこには、王国軍の各部隊の配置と、撤退経路を示す矢印が、幾重にも書き込まれている。
——逃がすかよ。
このまま、彼らを整然と撤退させてはならない。
五万の軍勢が、指揮官を代えて再びこの街に牙を剥く。
その未来だけは、絶対に避けなければならない。
『健太、聞こえる? よくやったね。街の掃討はリオたちが進めてくれている。君はすぐにダンジョンに戻って——』
通信機から聞こえるシノンの声を、俺は遮った。
「いや、まだだ。まだ、終わってない」
『……どういうことだい?』
「こいつらを、完全に叩き潰す。二度と、この街に刃向かえないように」
『無茶だよ! 君の魔力も体力も、もう限界に近いはずだ。それに、僕の力はダンジョンの外には及ばない。援護はできない』
シノンの声に、初めて焦りの色が浮かんでいた。
その焦りが、妙に心地よかった。
「分かってる。だから、俺一人で行くんだ」
俺は、天幕を蹴破って外に出た。
すでに、野営地は混乱の極みにあった。
我先にと逃げ出そうとする兵士たち。彼らを引き留めようとする将校たち。その全てが、無秩序な怒号と悲鳴の渦となっていた。
俺は、近くにあった軍馬に飛び乗ると、撤退していく軍勢の、その後を追った。
たった一人で。
五万の軍勢を相手に。
——まるで、ラノベの主人公みたいだな
そう思った瞬間、俺は思わず笑ってしまった。
*
それは、もはや追撃ではなかった。
狩りだった。
俺は、軍勢の最後尾に追いつくと、聖剣技の光刃を——しかし、兵士たち自身ではなく——彼らが乗る荷馬車や、武器を運ぶ台車、そして部隊の旗だけを、的確に狙って破壊していった。
ズバァァァンッ!
食料を積んだ荷馬車が、中身ごと吹き飛ぶ。
兵士たちは、生きるための糧を失った。
シュオオオォォッ!
部隊の象徴である旗が、旗竿ごと両断される。
兵士たちは、自らの所属と、戦うべき理由を失った。
俺は、殺さない。
だが、確実に、彼らが「軍」であるための要素を、一つ、また一つと破壊していく。
「ひ、ひいっ!」
「悪魔だ! あの黒髪の悪魔が追ってくるぞ!」
「もう嫌だ! 故郷に帰る!」
やがて、兵士たちは、恐怖に駆られて隊列を離れ、散り散りになって逃げ始めた。
街道を外れ、森へ、丘へ、蜘蛛の子を散らすように。
もはや、彼らを繋ぎとめるものは、何もなかった。
俺は、夜通し馬を駆った。
疲労で意識が朦朧としながらも、ただ、敵を追い散らすことだけに集中した。
——これが、戦争か。
でも——悪くない。
むしろ、この高揚感は何だ?
夜が明け、朝日が平原を照らし始めた頃。
俺の目の前には、もう「軍」の姿はなかった。
ただ、武器を捨て、鎧を脱ぎ捨て、生きるためだけに逃げ惑う、哀れな「人」の群れがいるだけだった。
——これで、終わりだ。
俺は、馬を止め、その場で崩れ落ちるように地面に倒れ込んだ。
魔力も、体力も、気力も、全てが空っぽだった。
ただ、一つだけ、確かに存在していたのは——
充実感だった。
やり遂げた、という実感。
守り抜いた、という誇り。
——帰ることだけが目的だったはずなのに
気がつけば、この街を、この仲間たちを、本気で守ろうとしている自分がいた。
*
数時間後。
俺は、誰かに抱きかかえられている感覚で、目を覚ました。
「……リオ?」
「健太さん! よかった、ご無事で……!」
猫人族の青年が、涙と鼻水でぐしゃぐしゃの顔で、俺を見下ろしていた。
その表情が、俺には、激しく違和感を持って映った。
彼の後ろには、数十人の冒険者たちの姿があった。
シノンからの連絡で、捜索隊を組んで探しに来てくれたらしい。
「街は……?」
「ああ、もう大丈夫だ。残党の掃討も、昨日のうちに終わった。……街は、めちゃくちゃになっちまったけどな」
リオは、そう言って、少しだけ寂しそうに笑った。
めちゃくちゃになった街。
俺は、その言葉を、どう受け止めればいいのか分からなかった。
ガルダ=ラグナに戻ると、俺は英雄として迎えられた。
生き残った冒険者たちが、俺を担ぎ上げ、歓声を上げる。
「英雄万歳!」
「ケンタ! ケンタ! ケンタ!」
その声が、俺の心臓を、激しく打った。
英雄、か。
俺は、担がれながら変わり果てた街並みを見つめた。
黒い煙が立ち上る家々。崩れ落ちた壁。血の染みが残る石畳。
だが、その全てが、生きている証だった。
帰ることだけを考えていたはずなのに。
いつの間にか、こんなにも熱くなっていた。
でも──悪くない、な。
俺は空を見上げた。青い空が、どこまでも広がっている。
元の世界の空とは、少しだけ色が違う気がした。
けれど、それもまた悪くない。
英雄として称えられ、仲間たちに囲まれ、命をかけて何かを守る。
そんな生き方も──案外、悪くないのかもしれない。
俺は、小さく笑った。
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