第46話 攻城戦と未来の兵器
夜が明けると同時に、戦いは再開された。
カン、カン、カン
金属を打つ音が、街を包囲する王国軍の陣地から響いてくる。巨大な木材が組み上げられ、投石機や攻城櫓が、その威圧的な姿を次々と現していく。まるで、鋼の巨人たちが地から生まれてくるように。
その光景は、城壁の上から見下ろす冒険者たちの顔から、なけなしの希望すら奪い去るには十分だった。
「くそ……投石機が二十……いや、三十は超えてやがる……」
俺は、城壁の胸壁に手をつき、苦々しく呟いた。昨日の野戦で、多くの仲間を失った。誰もが疲弊している。対する敵は、五万。包囲は完全で、逃げ道はない。
絶望的な戦力差だった。
心の片隅で、故郷が呼んでいる。見慣れた教室。放課後の部室。母親の作る夕飯。——全て、遠い過去のことのように感じる。
神を引きずり出す。帰還の道を開く。それが、本来の目的のはずだった。
だが。
城壁の下で待機する冒険者たちの顔が、目に浮かぶ。昨日、俺の命令で戦い、生き延びた者たち。この二ヶ月、一緒に汗を流した仲間たち。そして、ダンジョンに避難した数十万の市民たち。
守らなきゃいけない。
この街を。この人たちの居場所を。
「シノン! 聞こえるか!」
俺は、耳に装着した小型の通信機に向かって叫んだ。シノンが昨夜のうちに渡してくれた、ダンジョンコアルーム直通の通信機だ。冷たい金属が、汗ばんだ耳に張り付いている。
『聞こえてるよ。昨夜のうちに準備は完了しる』
頭の中に、シノンの冷静な声が響く。いつものように、淡々と、そして——どこか自信に満ちた響きで。
『慣性中和フィールド発生機を仕込んであるよ。城壁全体をカバーしてる』
「マジか!?」
『うん。投石機の岩は全て無力化できる。破城槌も効かないよ。起動すれば城壁への物理攻撃は、もう通用しない』
「そうか……でも守ってるだけじゃジリ貧だ。何か攻撃手段はないのか?」
沈黙があった。
短い沈黙。
だが、その間に、俺はなぜか不穏なものを感じた。
『……健太。本気でやるなら、この戦争は今すぐ終わるよ。この星系ごと消し飛ばすこともできる。そうすれば、神も黙ってはいないはずだし』
その静かな言葉に、俺は息を呑んだ。
シノンの声には、冗談の響きが一切ない。彼は本気だ——本当に、この世界を消し去ることができる。
『僕は別の端末もあるから、ここで何が起きても困らない。記録さえ取れれば、それでいい』
「待て待て!それじゃ意味ねえだろ!」
俺は慌てて遮った。
だが、遮った瞬間、自分自身に気づかされた。
神を引きずり出す。帰還の道を開く。——本来、それが全てだったはずだ。
なのに、今、街を守るとか、仲間がとか、市民がとか——そんなことを言っている。
いつから、そうなった?
その問いが、ほんの一瞬だけ、心をかすめた。だが、すぐに打ち消した。考えれば考えるほど、身動きが取れなくなる。今は、目の前の現実だけを見つめるしかない。
「俺は帰りたいよ。でも、だからって、ここの連中を見捨てるわけにはいかねえんだ!」
『……そうだね』
シノンは、少しだけ間を置いて答えた。その声には、どこか——諦めたような、それでいて優しい響きがあった。ただ、俺にはそれが何に対する諦めなのか、理解できなかった。
『健太は、そういう人間だ。だから面白い』
「面白いって……」
『君がこの前の避難所の件で教えてくれた通り、圧倒的すぎる力は、恐怖と敵意を生む。もし僕がここで軌道爆撃でもすれば、王国軍は一瞬で蒸発するだろう。それは確かに、神の注意を引くかもしれない』
シノンの声は、まるで俺の目を直接見ているかのように、語りかけてくる。
『でも、そうなれば帝国と教会も脅威を放置できない。全世界と敵対することになる。結果、この世界は滅ぶ。でも、それは君が望む結末じゃない——僕が記録したい、君の物語じゃない』
俺は、小さく息を吐いた。
シノンは記憶師だ。この世界での体験を、記録として提供する。それが、彼の「仕事」であり、この世界に留まる理由の一つだと、俺は知っている。
だが——
こいつは、いつも何かを隠している
シノンが、この世界の行く末について、本当は何を知っているのか——俺には分からない。ただ、時々感じる。シノン の目に映る、この世界への——どこか諦めたような、冷たい視線を。
だが、今だけは——シノンが、自分のために力を抑えてくれている。それだけは、確かだった。
『ああ。それと、健太』
シノンは、通信を切る前に、一言だけ付け加えた。
『君の物語——最後まで、ちゃんと記録したいから。だから、死なないでね』
その言葉には、いつもの冷静さとは違う、わずかな温度があった。
俺は、通信を切ると、仲間たちに指示を出した。
「全員、各自の配置に就け。シノンが言うには、城壁の防御は完全だ。だが——」
彼は、兵士たちの顔を見回った。
「俺たちは信じるしかねえ。目に見えない『力場』を。シノンを。そして——」
俺は、自分の剣に目を落とした。
「俺たちの——この街への想い」
兵士たちが、静かに頷く。理解できていない者も、理解している者と一緒に立っている。それで十分だ。
*
やがて、王国軍の陣地から、進軍を告げる角笛が鳴り響く。
低く、重く、そして——死を告げる音。
ゴォン
空気を震わせる鈍い音と共に、巨大な岩が放物線を描いて飛来する。青空を背景に、黒い影が迫ってくる。
「うわああああっ!」
冒険者たちが、悲鳴を上げて身を伏せた。
だが——
次の瞬間、岩の軌道の前方に、蜂蜜のような色の六角形のパターンが浮かび上がった。幾何学的に完璧な、美しい光の網。
岩が、その力場に触れた瞬間——音もなく、運動エネルギーを吸収された。
ぽとり
まるで、子供が小石を落としたかのように。
巨大な岩は、城壁の真下に静かに転がった。破壊的な衝撃は、どこにも残っていない。
「「「おおおおお……!?」」」
城壁の上の冒険者たちが、信じられないものを見る目で、歓声を上げる。
「すげえ! 岩が、止まった!」
「魔法だ! すげえ魔法だ!」
「これなら、やれる!」
士気が、一気に高まった。絶望が、希望へと反転する。
第二波、第三波の投石が飛来する。だが、その全てが——ぽとり、ぽとり、ぽとりと、力なく地面に転がり落ちていく。
冒険者たちの歓声が、城壁を揺らした。
*
「なるほど。魔法か魔道具か」
白い髭を蓄えた老将の目は、鷹のように鋭い。その表情には、動じた様子がない。むしろ——確認作業を終えたかのような、静かな決意だけが宿っていた。
「元より、城壁を力で破るつもりはない。あの『英雄』どもが持つ力が、どれほどのものか——それを確かめられただけで十分だ」
「しかし将軍、このままでは——」
「破城槌を出せ。どうせ通用しないだろうが、それも確認のためだ」
命令通り、巨大な破城槌がゴロゴロと地響きを立てながら城門へと迫る。
城壁から、無数の矢と魔法が降り注ぐ。だが、分厚い装甲に阻まれ、致命的なダメージは与えられない。
破城槌が、城門に迫る。
門に激突する瞬間、六角形のパターンが浮かび上がった。
破城槌は、まるで最初からそこに置いてあったかのように、微動だにせず停止していた。
「っしゃあああああ!」
城壁の上で、冒険者たちの歓声が轟く。
だが、バルバロッサは静かに微笑んだだけだった。
「投石も破城槌も、全て無力化される。城壁への正攻法は通用しない——それが確認できた」
彼は、副官に向き直った。
「第四工兵隊に伝令。『夜明けの穴』作戦、決行せよ」
「はっ!」
伝令が馬を駆って去っていく。
バルバロッサは、再び水晶越しに城壁を見つめた。そこでは、勝利に酔いしれる冒険者たちが、互いの健闘を称え合っている。
その光景を、しかし彼は冷たく眺めていた。
「英雄よ。お前たちのは、確かに城壁を守った」
彼は、静かに呟いた。
「だが——城壁の下は、どうだろうな?」
*
それから数時間。
王国軍は、何度も城壁に攻撃を仕掛けては、その度に撃退された。投石は全て無力化され、攻城櫓は魔法で焼かれ、兵士たちは弓矢に倒れた。
冒険者たちの士気は、最高潮に達していた。
「見たか! 王国軍なんて、大したことねえ!」
「このまま守り切るぞ!」
「シオンの旦那の魔道具は無敵だ!」
俺は、その声を聞きながら、城壁の上を巡回していた。疲労は残っているが、心は軽い。
守れる。この街を、守れる
その確信が、胸を満たしていた。
『健太、少し休んだら? もう半日以上、戦いっぱなしだよ』
シノンの声が、通信機から聞こえてくる。
「大丈夫だ。敵もそろそろ諦めるだろ。こんだけ攻めて落ちないんだから——」
その時だった。
ゴゴゴゴゴ……
地面が、揺れた。
「……地震か?」
俺が足元を見た、その瞬間——
遠く、街の中心部——市場の広場から、土煙が上がった。
そして、悲鳴が聞こえた。
「敵だああああ! 敵が出たあああ!」
俺は、走った。
城壁から階段を駆け下り、街路を全速力で駆け抜ける。
市場に着いた時、彼が見たものは——
石畳が、崩れ落ちていた。
まるで、地面に巨大な穴が開いたかのように。そして、その穴から——次々と、王国軍の兵士たちが這い出してきていた。
「地下トンネル……!」
俺は、愕然とした。
城壁の外から、地下を掘り進めて、街の内部に直接侵入してきたのだ。
「第二、第三地点でも敵が!」
「議事堂が!」
「港の倉庫街にも!」
次々と、報告が飛び込んでくる。街の複数の地点で、同時に、地下から兵士たちが湧き出している。
「くそ! 城壁なんて、最初から関係なかったのか!」
俺は、剣を抜いた。
地下から出現した兵士たちは、既に街の要所に散開し始めている。建物に火を放ち、通りを制圧していく。
黒い煙が、あちこちから立ち上った。
——守れると、思ったのに。
俺の心に、苦い後悔が広がった。
「全軍! 城壁を捨てろ! 市街地に集結! 街を守るぞ!」
俺の叫びが、通信機を通じて全ての冒険者に届く。
城壁での防衛に成功し、勝利を確信していた冒険者たちは、困惑しながらも命令に従った。彼らは城壁を降り、街へと走る。
だが——既に敵は、街の中に深く入り込んでいた。
市場、路地、広場、屋敷——街のあらゆる場所が、今、戦場になろうとしていた。
*
その頃、ダンジョン二階層「エデン」の中央広場では、巨大なホログラムスクリーンに、市街戦の様子がリアルタイムで中継されていた。
「わあ、煙がいっぱい!」
「ケンタ様、走ってる!」
「すごい! 映画みたい!」
子供たちが、まるで祭りの見世物でも見るかのように、指をさして笑っている。
大人たちも、食料配給機から受け取った温かい食事を片手に、その光景をどこか他人事のように眺めていた。
爆発音と悲鳴が、娯楽として消費されていく。
血と死が、安全な場所から鑑賞される。
誰も、スクリーンの向こう側で——自分たちが住んでいた街が、燃えていることを、実感していなかった。
シノンだけが、その光景を淡々と記録していた。
*
丘の上で、バルバロッサは遠見の水晶を通して、炎上する街を眺めていた。
「工兵隊、よくやった。一週間かけて掘ったトンネルだ——価値はあった」
副官が、興奮した声で報告する。
「将軍! 市街地の制圧、順調です! このまま押し切れます!」
「いや」
バルバロッサは、静かに首を横に振った。
「ここからが、本当の戦いだ。あの『英雄』は、城壁という檻から解放された。市街地——建物が入り組み、路地が複雑に絡み合う場所でこそ、彼らの真価が発揮される」
彼は、水晶の中で剣を振るう黒髪の少年を見つめた。
「数で押し切れると思うな。彼らは——個として、最強なのだから」
バルバロッサの目には、獲物を追い詰めた狩人の、それでいてどこか警戒を怠らない光が宿っていた。
*
俺は、燃え上がる街の中を走った。
周囲では、冒険者たちと王国軍の兵士たちが、入り乱れて戦っている。剣と剣がぶつかり合い、魔法が飛び交い、悲鳴が響く。
——これが、市街戦か
城壁での戦いとは、全く違う。
敵がどこから来るか分からない。建物の陰から、路地の向こうから、屋根の上から——あらゆる方向が、脅威になる。
だが——
『健太! 右!』
シノンの声が響いた瞬間、俺は反射的に剣を振るった。建物の陰から飛び出してきた兵士が、光刃に飲まれて消える。
『センサーで敵の位置を把握してる。君に情報を送る。ARゴーグルを使って』
「分かった!」
俺は、シノンが以前渡してくれたゴーグルを装着した。視界に、敵の位置が赤い点で表示される。
——これなら、戦える。
俺は、剣を構え直した。
城壁は突破された。
だが、戦いは終わっていない。
この街を——仲間たちの居場所を、守るために。
「全員、聞け! 敵は街の中に入り込んだ! だが、俺たちはこの街を知り尽くしている! 地の利は、こちらにある!」
俺の声が、通信機を通じて全ての冒険者に届く。
「三人一組で行動しろ! 建物を盾に、路地を使え! 一人で戦うな!」
冒険者たちが、俺の指示に従って動き始める。訓練の成果が、今、発揮される時だ。
市街戦という新たな戦場で——物語は、さらなる混沌へと突入していく。
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