第42話 未来という名の避難所(後編)

 視界が変わった瞬間——


 議員たちは、また呆然とした。

 だけど、今度は——驚きではなかった。


 疲弊。


 彼らの顔には、明らかな疲労が浮かんでいる。もう、驚く気力すら残っていないようだった。

 目の前には、広々とした草原が広がっていた。

 青々とした草。遠くには森。そして——見覚えのある城壁。


「あれは……」


 議長が、呟いた。


「ガルダ=ラグナの……城壁……?」


「うん」


 シノンは、頷いた。


「ここは一階に作った訓練場。実際の街と同じようにしてあるから」


 議員たちは、城壁を見つめた。

 確かに、あれは——彼らの街の城壁だ。石の積み方、門の位置、見張り台の形——全てが、一致している。


「なぜ……街を……?」


 一人の議員が、か細い声で訊いた。


「実戦に近い環境で訓練できるようにだよ」


 シノンは、あっさりと答えた。


「そんで、VRの敵と安全に訓練することも、ダンジョンのモンスターを呼び出して戦うこともできるよ」


「ブイ……アール……?」


 議員たちは、また聞き慣れない言葉を繰り返す。


「仮想現実だよ。本物じゃないけど、本物みたいに見える映像」


 シノンは、空中に手をかざした。


 すると——


 何もない空間に、人型の影が現れた。


「!」


 議員たちが、後ずさりする。

 影は、徐々に形を成してゆく。鎧を着た兵士。剣を持ち、盾を構えている。


「これが、VRの敵。触れないけど、視覚的には本物と同じだから、戦術訓練に使えるよ」


 兵士の姿が、透けている。半透明で、向こう側が見える。


「それから——」


 シノンが、また手をかざす。


 すると——


 地面に、魔法陣が浮かび上がった。

 魔法陣が光り、その中から——何かが這い出てきた。

 緑色の、粘液質の塊。


 スライムだ。


「これは、本物のモンスター。ダンジョンから呼び出してる」


 スライムが、ぷるぷると震えている。

 議員たちは、完全に硬直していた。


「ほら、触ってみて。本物だから」


 シノンは、無邪気に言った。

 だけど——誰も、動かない。


「……おい、シノン」


 俺は、小声で言った。


「流石に、これは——」


「大丈夫だよ。スライムは弱いから」


 シノンは、スライムに近づいた。そして——


 ぐしゃ。


 踏み潰した。

 スライムが、潰れて消える。


「ほら、こんな感じで」


 議員たちの顔が、青ざめる。

 一人が、口を押さえた。吐き気を堪えているようだ。


「それで、怪我くらいなら、ポーションでいくらでも直せるし」


 シノンは、続けた。


「なんなら、バックアップも取れるから」


「……バック、アップ?」


 議長が、震える声で訊いた。


「うん。魂の情報を記録しておくんだ。万が一死んでも、復活できるよ」


 沈黙。

 長い、長い沈黙。

 議員たちは——もう、何も言えなかった。


 ただ、呆然と立ち尽くしている。


「……死んでも、復活……?」


 議長が、呟いた。その声は、もう震えてすらいない。ただ——虚ろだった。


「うん。便利でしょ?」


 シノンは、本気でそう思っているようだった。

 俺は——頭を抱えた。

 シノン、お前は——

 分かってないんだな。


 この世界の人々にとって、「死」がどれほど重いものか。

 「魂」がどれほど神聖なものか。

 それを「バックアップ」だなんて——


「あの、シノン殿……」


 議長が、なんとか声を絞り出した。


「我々は……もう、十分です……」


 その声には、懇願が込められていた。

 もう、見せないでくれ、と。


 もう、これ以上、理解できないものを見せないでくれ、と。


「そっか。じゃあ、戻る?」


 シノンは、首を傾げた。


「はい……お願いします……」


 議長は、深々と頭を下げた。

 その姿は——まるで、神に祈るかのようだった。


 *


 二階の住居に戻ると、議員たちはソファーに座り込んだ。

 誰も、何も言わない。

 ただ、虚ろな目で——空中を見つめている。


 俺は、シノンを廊下に連れ出した。


「なあ、シノン」


「ん?」


「お前、分かってるか?」


「何が?」


 シノンは、本気で分かっていないようだった。


「お前の作ったこの避難所——確かに、すごい」


 俺は、言葉を選びながら続けた。


「でも、この世界の人々にとっては——理解できないんだ」


「そうかな? 便利だと思うけど」


「便利かどうかじゃない」


 俺は、頭を掻いた。


「彼らにとって、これは——恐怖なんだよ」


「恐怖?」


「ああ。理解できないものは、怖い。エレベーターも、ホログラムも、ロボットも——全部、彼らの常識を超えてる」


 シノンは、少し考え込んだ。


「でも、使えば便利だよ?」


「……お前は、本当に——」


 俺は、溜息をついた。


「まあ、いい。とりあえず、彼らには時間が必要だ。少しずつ、慣れてもらうしかない」


「うん。分かった」


 シノンは、素直に頷いた。

 だけど——本当に分かってるのか、怪しいものだった。

 俺たちがリビングに戻ると、議員たちは少しだけ回復していた。


 議長が、立ち上がる。


「健太殿、シノン殿」


 その声は、まだ震えていた。だけど——職務を全うしようとする、強い意志が宿っている。


「この……避難所は……」


 議長は、言葉を探している。


「……我々の理解を、遥かに超えています」


「ですが」


 議長は、深く息を吸った。


「市民を守るためには、これを使わせていただくしか——ありません」


 その言葉には、諦念が滲んでいた。

 理解はできない。だけど、使うしかない。


「ありがとうございます」


 シノンは、嬉しそうに答えた。


「じゃあ、使い方のマニュアル作っておくね」


「……マニュアル……」


 議長は、その言葉を繰り返した。まるで、呪文のように。


「あ、それから」


 シノンが、思い出したように言った。


「アシスタントロボットに聞けば、大抵のことは教えてくれるから。困ったら、話しかけてね」


「……ロボット、に……話しかける……」


 議員の一人が、呟いた。その声は、もう諦めきっている。


「じゃあ、案内はこれで終わりだけど——何か質問ある?」


 シノンが訊くと——


 沈黙。

 誰も、何も訊けなかった。

 何を訊けばいいのか、もう分からない。


「じゃあ、また何かあったら呼んでね」


 シノンは、手を振った。

 議員たちは——力なく、手を振り返した。


 *


 評議会の建物に戻る道すがら、俺はシノンに訊いた。


「なあ、シノン」


「ん?」


「お前、本気で——あれが、この世界の人々にとって『普通』になると思ってるのか?」


 シノンは、少し考えた。


「うーん……なると思うよ。そう時間もかからずに。便利なものは、結局受け入れられるよ」


 シノンは、確信を持って言った。


「最初は怖くても、使ってみれば——みんな、手放せなくなる」


 その言葉に、俺は——何も言えなかった。

 シノンの言う通りかもしれない。

 便利さは、恐怖を超える。


 だけど——


 その過程で、この世界の人々は——何を失うんだろう。

 彼らの「常識」。彼らの「世界観」。彼らの「生き方」。

 全てが、シノンの「善意」によって——塗り替えられてゆく。

 それは、本当に——正しいことなのか?

 俺には、分からなかった。


 ただ——時間だけが、確実に流れていた。

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