第41話 未来という名の避難所(前編)

 シノンと二人で、ダンジョンに戻る。


 石畳の道を歩きながら、俺は何度も後ろを振り返った。街の人々が、俺たちを見ている。その視線には——期待と、不安と、そして——わずかな恐怖が混じっていた。


 二ヶ月後、王国の軍が来る。


 その事実が、もう街中に知れ渡っている。人々は囁き合い、不安げに顔を見合わせている。だけど——まだ、パニックにはなっていない。それは、評議会が冷静に対応しているからだ。そして、何より——俺たちがいるから。


 その重さが、肩にのしかかる。


「そういえば、避難所はもうできたの?」


 歩きながら、俺は訊いた。


「うん。二階を丸ごと改装したよ」


 シノンは、嬉しそうに答えた。その声には、子供が自分の作品を見せびらかしたがるような、純粋な喜びが滲んでいる。


「見ていく?」


「ああ。見せてくれ」


 ダンジョンの入口をくぐると、いつもの転送の間だった。床に描かれた魔法陣が、淡く光っている。

 シノンが、二階への転送陣の前に立つ。


「じゃあ、行くよ」


 魔法陣が、強く光った。

 視界が、一瞬で変わった。


 そして——


「……え?」


 俺は、言葉を失った。

 目の前には、大通りが広がっていた。

 いや、大通りなんてものじゃない。これは——都市だ。


 石畳ではなく、滑らかに舗装された道路。街灯が等間隔に並び、歩道には植木が植えられている。中央には噴水のある広場。その向こうには、コンサートホールのような曲線的なデザインの建物。そして——空を突く、ガラスとスチールでできた高層ビル群。


 道の端には、見たことのある形の——いや、見たことがあるはずなのに、どこか違う——車が並んでいる。流線型のボディ。窓がない。タイヤが、わずかに地面から浮いている。


「え!? これ、避難所? 想像とだいぶ違うんだけど!」


 俺は、思わず叫んだ。


「言ったでしょ。人を堕落させるダンジョンにするって」


 シノンは、誇らしげに答えた。


「避難所はついでだよ」


「それにしたって——」


 俺は、周囲を見回した。高層ビルの窓が、陽光を反射してきらめいている。空は青く、雲が流れている。まるで——本物の街みたいだ。


「これ、現代日本から見ても、未来だぜ」


「そうかな?」


 シノンは、首を傾げた。


「あんまり勝手が違うと困ると思って、文明レベルはだいぶ下げたんだけど」


「下げた……?」


 俺は、もう一度周囲を見回した。これで、下げたのか。じゃあ、シノンの時代って——

 想像したくない。


「……まあ、いいか」


 俺は、諦めた。もう、突っ込むのも疲れた。


「とりあえず避難開始する前に、評議会の議員たちに視察してもらうか……」


「うん。じゃあ、呼んでくる?」


「ああ、頼む」


 *


 一時間後。


 評議会議長と数名の議員たちが、二階の転送陣の前に立っていた。

 彼らは、緊張した面持ちで俺たちを見ている。避難所がどんなものか——彼らも想像がついていないのだろう。


「では、行きましょう」


 シノンが、魔法陣に手をかざす。

 光が、彼らを包む。


 そして——


「これは……」


 議長の声が、震えた。

 彼らは、大通りの真ん中に立っていた。周囲を見回す。口を開けたまま、固まっている。

 一人の議員が、よろめいた。別の議員が、彼を支える。だけど、支えている本人も——同じように呆然としている。


「ここが……避難所……?」


 議長が、か細い声で訊いた。


「うん」


 シノンは、あっさりと答えた。


「まあ、町並みはこれくらいにして、設備も見てってよ」


 シノンはそう言って、歩き始めた。議員たちは、まだ呆然としながらも——その後を追う。

 俺も、ついていく。だけど、議員たちの反応が気になって、何度も振り返ってしまう。

 彼らの顔には——驚愕と、困惑と、そして——わずかな恐怖が浮かんでいた。


 シノンが向かったのは、高層ビルの一つだった。

 ガラスとスチールでできた、流線型の建物。エントランスは広々としていて、床は磨かれた大理石。天井は高く、シャンデリアが光を反射している。


「ここが、住居に使われるマンションだよ」


 シノンは、説明した。


「マン……ション?」


 議員の一人が、聞き慣れない言葉を繰り返す。


「集合住宅だね。一つの建物に、たくさんの部屋がある」


 広々とした玄関ホールの先には、八機のエレベーターが並んでいた。金属製の扉が、鏡のように磨かれている。


「これは……箱?」


 別の議員が、エレベーターを見て呟く。


「エレベーターだよ。上の階に行くための装置」


 シノンは、壁にあるボタンを指差した。


「このボタンを押すと箱が来るから、扉が開くまで待ってね」


 シノンがボタンを押す。


 数秒後——


 チン。


 柔らかな音とともに、扉が開いた。

 議員たちが、一斉に後ずさりした。


「大丈夫だよ。乗って」


 シノンは、エレベーターの中に入る。俺も、続く。

 議員たちは、恐る恐る——まるで猛獣の檻に入るかのように——エレベーターに乗り込んだ。


「で、乗ったら行き先の階を選んでボタンを押す」


 シノンが、最上階のボタンを押す。

 扉が、静かに閉まった。


「!」


 議員たちが、一斉に身を固くする。


 だけど——

 エレベーターは、ほとんど振動もなく上昇し始めた。議員たちは、互いに顔を見合わせる。


「……動いて、いるのか?」


 議長が、不安げに訊く。


「うん。もうすぐ着くよ」


 数秒後——


 スッ。


 扉が開いた。

 そこには、ドアが並んだ廊下があった。柔らかな間接照明が、廊下を照らしている。床には絨毯が敷かれていて、足音が吸い込まれる。


 シノンは、そのドアの一つに歩み寄った。

 手をかざす。

 音もなく、ドアがスライドした。


「!」


 議員たちが、また驚く。


「これは、登録した人だけ開けられるようにできるから」


 シノンは、説明した。


「そこで靴を脱いで、着いてきて」


 玄関を抜けると——

 広々としたリビングとキッチンが広がっていた。

 大きな窓からは、外の景色が見える。高層ビル群と、その向こうに広がる街。まるで——本物の都市の、高層階から見下ろしているような光景。

 議員たちは、もう言葉も出ないようだった。ただ、呆然と周囲を見回している。


「おい、シノン……」


 俺は、小声で訊いた。


「これ、本当に避難所として機能するのか? 彼ら、完全に混乱してるぞ」


「大丈夫だよ。慣れれば便利だから」


 シノンは、気にした様子もない。


「キッチンは、そこのレバーで水が出せる」


 シノンは、シンクを指差した。


「横のコンロは、作りたいものを言えば勝手に火加減調整してくれるよ」


「……言えば?」


 議長が、震える声で訊く。


「うん。音声認識だよ」


 議長は、コンロを見つめた。その目には——もう、理解を超えた何かが宿っている。


「こっちの部屋は、トイレとお風呂ね」


 シノンは、別の部屋を開けた。


「これはふつーのだから、特に説明いらないかな?」


 だけど——議員たちにとっては、「ふつー」じゃない。

 この世界の一般家庭に、風呂なんてない。金持ちだけが、専用の浴室を持っている。


「各部屋に……風呂が……?」


 一人の議員が、呟いた。その声は、信じられないという響きを含んでいる。


「それから、こっちは娯楽用ね」


 シノンは、リビングに戻って、机の上のパネルを操作した。


 すると——

 空中に、映像が浮かび上がった。


「!!」


 議員たちが、一斉に後ずさりする。

 映像には、見知らぬ街の光景が映っている。人々が歩き、車が走り、建物が並んでいる。


「有名な映画を翻訳したから、好きなの選んで見てよ」


「え、映画って……これ、魔法か何かか?」


 俺も、思わず訊いた。


「ホログラムだよ。立体映像」


 シノンは、さらりと答えた。


「あとは、これかな」


 シノンは、壁際の机にある端末を操作した。


「これは、インターネットね。他の人達とやり取りできるから便利だよ」


「イン……ター……ネット?」


 議員たちは、もう完全についてこれていない。


「詳しくは、そっちのアシスタントに聞いて」


 シノンが指差した先には——

 小さな、人型のロボットがあった。

 可愛らしいデザイン。丸い目が、光っている。


「こんにちは」


 ロボットが、喋った。


「!!!」


 議員たちが、悲鳴に近い声を上げた。

 一人が、よろめいて壁に背中をつける。別の一人は、完全に腰を抜かしている。


「おい、シノン……」


 俺は、頭を抱えた。


「流石に、やりすぎじゃないか? 彼ら、もう限界だぞ」


「そうかな? でも、これくらいないと不便だよ」


 シノンは、首を傾げた。

 議長は——もう、何も言えないようだった。ただ、座り込んで、膝を抱えている。その姿は——まるで、世界が終わったのを目撃した人のようだった。


「じゃあ、次はどこが見たい?」


 シノンは、明るく訊いた。

 だけど——誰も、答えられない。

 長い、長い沈黙の後——

 議長が、なんとか声を絞り出した。


「……訓練場施設など、あれば……見せていただきたい……」


 その声は、震えていた。だけど——職務を全うしようとする、強い意志が込められていた。


「OK。じゃあ、転移するね」


 シノンの言葉とともに——

 視界が、また変わった。

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