第40話 二ヶ月という猶予

 コアルームに戻ると、シノンはさっそく宙に魔法陣を展開し始めていた。

 淡い光の粒子が指先から舞い散って、空中に幾何学模様を描いてゆく。複雑な線が絡み合い、層を成し、立体的な構造を形成する。それは、まるで見えない設計図を描いているかのようだった。


「じゃあ、僕はダンジョン改装するね」


 その口調は、まるで部屋の模様替えでもするかのように軽い。


「とりあえず、三階のモンスターは弱体化させて、入口から直通で繋いでおくかな。その間に一階と二階を避難所にしよう。案内標識も設置して……ああ、照明も明るくしないと」


 シノンの指先が、魔法陣の上で踊る。そのたびに、ダンジョンの構造図が書き換わっていく。壁が消え、通路が繋がり、部屋が生まれる。まるで、建築士が設計図を修正しているかのように。いや——それ以上に、自在に。


 俺はその様子を眺めながら、単分子カッターを抜いた。

 刃が、室内の淡い光を反射する。鏡のように磨かれた表面に、シノンの魔法陣が映り込んでいる。


「なあ、シノン」


「ん?」


「剣も良いけど、もっと大規模戦闘向けの武器って無いのか?」


 だって、考えてみろよ。

 相手は王国の軍隊だ。何百人、下手したら何千人って規模で攻めてくるかもしれない。いくら聖剣技があるとはいえ、剣一本で軍隊と戦うのは——正直、キツい。

 一対一なら、誰が相手でも勝てる自信はある。だけど、一対千、一対万となったら——話は別だ。

 シノンは、魔法陣から顔を上げた。その目が、わずかに輝く。


「あるよ」


 あっさりと答えた。


「A、B、C、D。どれがいい?」


「……なんだそれ?」


 なんだよ、その選択肢。まるでクイズ番組じゃないか。

 シノンは、嬉しそうに——本当に、嬉しそうに説明し始めた。その表情には、子供が新しいおもちゃを見せびらかすような純粋さがある。


Atomic核兵器Biological生物兵器Chemical化学兵器Dimensional次元兵器だよ」


 一瞬、俺の思考が停止した。

 空白。

 脳が、情報を処理できない。


「……は?」


「だから、A、B、C、D。どれがいい?」


 シノンは、まるで「カレーとラーメン、どっちがいい?」と聞くような、そんな気軽さで繰り返した。その目は、本気だった。冗談じゃない。本気で、俺に選ばせようとしている。


「待て待て待て」


 俺は、慌てて手を上げた。


「それ、全部ダメなヤツ! てか、最後のなんだよ!」


「次元兵器?」


 シノンは、首を傾げた。まるで「なんで知らないの?」と言いたげに。


「空間そのものに干渉して、対象を消滅させる兵器だよ。星系規模の目標に使うのが一般的かな」


 星系規模。

 星系。

 規模。

 その言葉が、俺の頭の中でぐるぐると回る。


「じゃあ、この惑星全体が消えるってことか?」


「うん。この惑星だけじゃなくて、恒星も、他の惑星も、全部消えるよ」


 シノンは、まるで日常の一コマかのように答えた。


「全部消えてどうすんだよ!」


 俺は、思わず叫んだ。声が、コアルームに響く。


「そう? でも、大規模なのはこれくらいしか思いつかないな」


 シノンは、真面目な顔で言った。その表情には、一片の迷いもない。

 本気で言っている。

 こいつ、本気で言っている。

 俺は、深く、深く息を吐いた。頭が痛い。


「……俺が悪かった」


 肩を落として、俺は言った。


「こっちは何とかするから、避難所頑張ってくれ。とりあえずギルドに行ってみる」


「うん。じゃあ、頑張ってね」


 シノンは、もう魔法陣に集中している。俺の言葉など、もう聞こえていないようだった。

 俺は——逃げるように、コアルームを出た。


 *


 ギルドに着くと、いつもより賑やかだった。

 いや、賑やかというより——騒がしい。

 石造りの広間に、無数の声が反響している。いつもなら、もっと落ち着いた空気なのに。今日は違う。何かが、変わっている。


「おい、聞いたか? 王国の使節団が来たらしいぞ」

「マジかよ。ケンタとシノンに何か要求してるって話だ」

「まさか、引き渡せとか言ってんのか?」

「ふざけんな。あの二人のおかげで、俺たちどんだけ楽になったと思ってんだ」


 冒険者たちが、あちこちで議論している。テーブルを囲んで、立ち話で、カウンターで。その全てが、同じ話題だ。

 俺は、人混みをかき分けて受付に向かった。視線が、刺さる。誰もが、俺を見ている。

 受付に着くと、受付嬢が俺に気づいて、ぱっと顔を明るくした。


「ケンタさん!」


 その声に、ギルド内の視線が一斉に俺に集まった。

 会話が、止まる。

 静寂。

 全員が、俺を見ている。


「あ、ああ……」


 俺は、思わず一歩後ずさりした。この視線、重い。まるで、何か大きな期待を背負わされているような。


「話、聞いたぜ。王国の使節団が来たんだってな」


 一人の冒険者が、人混みを掻き分けて話しかけてきた。筋骨隆々とした、傭兵風の男だ。顔には、無数の傷跡。戦場を生き抜いてきた、そんな顔だ。


「まだ詳しいことは分からないけど——もし、あんたに何かあるなら」


 彼の後ろから、次々と冒険者たちが集まってくる。輪が、できる。俺を中心に、同心円状に。


「俺たち、黙ってないからな」


「……え?」


 俺は、思わず聞き返した。


「だから、戦うんだよ。あんたのために」


 別の冒険者が、声を上げた。若い、まだ二十代前半くらいの男だ。だけどその目は、真剣だった。


「赤牙連にいた時は、毎日ドルガの機嫌を伺ってた」

「黄金の環には、素材を買い叩かれてた」

「シルバーウォードには、無茶な依頼を押し付けられてた」


 口々に、冒険者たちが言う。その声は、重なり合って、一つの合唱になる。


「でも、あんたらのおかげで、俺たちは自由になれた」

「自分のペースで依頼を選べるようになった」

「正当な報酬をもらえるようになった」

「だから——」


 元赤牙連のメンバーが、一歩前に出た。背中には、もう赤い牙の紋章はない。だけど、その体には——戦士としての気迫が宿っている。


「もし、王国があんたらを狙ってるってんなら」

「俺たち、戦う準備がある」


 その言葉に、ギルド内の冒険者たちが、一斉に頷いた。

 武器を持つ者。拳を握る者。ただ黙って頷く者。

 だけど——全員が、同じ決意を宿している。


「……お前ら」


 俺は、何を言えばいいのか分からなかった。

 喉が、詰まる。

 まだ、何も決まっていない。使節団が来たというだけで、戦争になるかどうかも分からない。

 でも——

 この冒険者たちは、もう覚悟を決めている。

 俺のために、戦うと。

 その重さが、胸に沈む。


「……ありがとう」


 俺は、それだけ言った。声が、震える。


「まだ、何も決まってない。でも——」


 俺は、冒険者たちを見回した。一人一人の顔を、目に焼き付けるように。


「もし、本当に何かあったら——その時は、頼む」


「おう!」


 冒険者たちが、拳を掲げた。

 その光景に、俺は——少しだけ、胸が熱くなった。

 こんな風に、誰かに支えられるなんて。

 こんな風に、誰かが自分のために立ち上がってくれるなんて。

 元の世界では、考えられなかった。

 だけど——今、ここにいる。


 *


 コアルームに戻ると、シノンが待っていた。

 魔法陣は、もう完成しているようだった。ダンジョンの構造図が、宙に浮かんでいる。一階と二階が、大きく変更されている。


「どうだった?」


「……みんな、協力してくれるって」


「そっか」


 シノンは、少しだけ驚いたような顔をした。その表情は——珍しい。シノンが驚くなんて、滅多にない。


「健太、人望あるんだね」


「人望っていうか……まあ、運が良かっただけだよ」


 俺は、苦笑した。人望なんて、そんな大層なもんじゃない。ただ——たまたま、俺たちの行動が、彼らの利益になっただけだ。


「じゃあ、評議会に状況を確認しに行こう」


「うん」


 二人で、評議会の建物に向かった。

 外は、もう夕暮れだった。オレンジ色の光が、街を染めている。人々が行き交い、店が閉まり始め、一日が終わろうとしている。

 だけど——その日常は、もうすぐ終わるかもしれない。


 *


 会議室に入ると、議長以外にも、評議員たちが全員集まっていた。

 円卓を囲んで、十数人の評議員が座っている。だけど、いつもの威厳は——そこにはなかった。

 重苦しい沈黙。

 誰も、何も言わない。ただ、俺たちを見ている。


「お待ちしておりました」


 議長が、疲れ切った顔で立ち上がった。その顔には、無数の皺。一晩で、十歳は老けたように見える。


「状況を、ご報告します」


 彼は、一枚の羊皮紙を手に取った。その手が、わずかに震えている。


「王国の使節団から、正式な通告がありました」


 議長の声が、震える。


「我々の回答——つまり、お二人の引き渡し拒否を受け、王国は——」


 彼は、一度深呼吸をした。大きく息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出す。


「宣戦布告を行いました」


 会議室に、重い沈黙が落ちた。

 誰も、何も言わない。

 ただ——その言葉の重さだけが、空間を満たしている。

 宣戦布告。

 戦争。

 それは、もう決まったことだ。


「……いつ?」


 俺は、静かに聞いた。


「先ほどです」


 議長の声は、か細かった。


「それで」


 俺は、評議員たちを見回した。その顔は、一様に青ざめている。


「王国軍は、いつ来る?」


「これは、我々の情報網から得た情報ですが——」


 一人の評議員が、地図を広げた。

 羊皮紙に描かれた、この大陸の地図。王国の位置。この都市の位置。そして——その間を結ぶ、赤い線。


「王国は、すでに大軍を編成しています」


 評議員の指が、地図の上を滑る。


「規模は——五万から、最大で十万と推定されます」


 五万から十万。

 その数字が、頭の中で反響する。


「……それ、この都市に来るのか?」


「はい」


 評議員は、頷いた。その動作は、重く、ゆっくりとしている。


「ただし、王国はこの都市と国境を接していません」


「つまり、他国の領土を通過する必要があります」


 評議員の指が、地図上の二つの国を指差した。


「通過する国は?」


「主に、カルヴァ公国とエルドラ自由都市同盟です」


 二つの国の名前。俺は、どちらも聞いたことがなかった。だけど——それが重要だということは、わかる。


「両国とも——おそらく、通過を許可するでしょう」


「なぜ?」


「ダンジョンの利権です」


 評議員は、冷たい声で言った。その声には、諦念が滲んでいる。


「もし王国がこの都市を占領すれば、ダンジョンの支配権も王国に移ります」


「しかし、王国は遠方にあるため、実際の管理は困難です」


「その隙に、周辺国が利権を獲得できる——そう考えているのでしょう」


 評議員の言葉が、一つ一つ積み重なる。


「つまり……」


 俺は、地図を見つめた。赤い線が、複数の国を通過している。


「周辺国も、王国に協力するってことか」


「その可能性が高いです」


 議長が、重々しく言った。


「カルヴァ公国は、すでに王国との同盟を検討しているという情報があります」


「エルドラ自由都市同盟も、中立を装いながら、密かに便宜を図るでしょう」


「……最悪だな」


「ええ」


 議長は、深く溜息をついた。その息には、全ての希望が吐き出されたかのようだった。

 そして——議長が、最後の情報を告げた。


「到着は——」


 一呼吸。


「最短で、二ヶ月後です」


 二ヶ月。


 その言葉が、空間に沈む。


「……意外と時間があるな」


 俺は、思わず呟いた。


「ええ」


 議長は、頷いた。その目に、わずかに——希望の光が灯る。


「その間に、我々は——準備をします」


「市民の避難、冒険者の訓練、防衛設備の強化——」


 議長の声が、少しずつ力を取り戻してゆく。


「全てを、この二ヶ月で整えます」


 評議員たちも、顔を上げ始める。絶望から、決意へ。


「我々は——」


 議長が、俺たちを見た。


「あなた方と共に、戦います」


 その言葉に、評議員たちが頷く。

 会議室の空気が、変わった。

 重苦しい沈黙から——静かな決意へ。

 二ヶ月。

 それは、猶予であり、同時に——カウントダウンだった。

 窓の外では、夕陽が沈みつつある。

 オレンジ色の光が、徐々に赤く染まり——やがて、闇に呑まれてゆく。

 二ヶ月後。

 その時、この街に——何が起こるのだろう。

 俺たちは、まだ知らない。

 ただ——戦いが来ることだけは、確かだった。



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