第37話 交渉という名の降伏

 ガルダ=ラグナ評議会、議事堂。


 円形の広間に、冒険者ギルドマスターと評議員たちが集められていた。

 高い天井には、街の紋章が描かれたステンドグラスが嵌め込まれている。午後の光が差し込んで、床に色とりどりの影を落としている。

 重厚な円卓を囲んで、彼らは座っている。だが、その顔には一様に——緊張が浮かんでいた。誰も彼も、背筋を伸ばして、手を組んで。だけどその指は、落ち着きなく動いている。


 ギルドマスターが立ち上がった。

 彼は、ゆっくりと視線を巡らせる。一人一人の顔を見て、それから——口を開いた。


 「ダンジョンが、攻略された」


 その言葉が、静寂を破った。


「最上階まで到達し、ダンジョンコアに接触。そして——マスター権限を獲得した」


 ざわめきが、広がる。


「誰が?」

「どうやって?」

「本当なのか?」


 評議員たちの声が、重なり合う。ギルドマスターは、手を上げて制した。


「ケンタとシノン。二人の若い冒険者だ」

「彼らは、ダンジョンの全てを支配できる。モンスターの配置、罠の設定、階層構造——全てだ」


 評議員たちの顔が、青ざめてゆく。

 一人の評議員が、机を叩いた。その音が、広間に響く。


「ダンジョンはこの都市の心臓部だぞ! それを二人の若造に握られたということか!」


 他の評議員たちも、口々に叫び始める。


「あの二人を、どうする?」

「制御権を取り上れるべきでは?」

「拘束すべきだ!」


 ギルドマスターは、静かに首を振った。その動作は、ゆっくりと、だけど確固として。


「無理だ」


 その一言が、評議員たちを黙らせた。


「制御権は、ダンジョンコアから直接得たもの。物理的に奪えない。ダンジョンそのものが、彼らを主人と認めている」


 沈黙。

 誰も、何も言えない。ただ、顔を見合わせるだけ。

 一人の評議員が——小さく、だけどはっきりと言った。


「では、暗殺を……」


 その言葉に、ギルドマスターの目が鋭くなる。


「正気か!?」


 その声は、議事堂に響いた。評議員たちが、一斉に身を竦める。

 ギルドマスターは、その評議員を睨みつけた。


「あの二人を敵に回したら、この街は終わる!」


 彼は、拳で机を叩いた。鈍い音が響く。


「ダンジョンを制覇した実力者だぞ。しかもダンジョンを支配している。彼らが本気を出せば——この街を、一晩で廃墟にできる」


 評議員たちは、黙り込んだ。その顔には、恐怖が浮かんでいる。

 ギルドマスターは、ゆっくりと視線を巡らせた。一人一人の目を見て——そして、言った。


「では……どうすれば……」


 一人の評議員が、か細い声で問う。

 ギルドマスターは、深く息を吐いた。


「協力関係を結ぶしかない」


 沈黙が、重く垂れ込める。

 誰も、何も言わない。ただ——その言葉の意味を噛み締めている。

 それは——降伏に等しい決断だった。


 評議会議長が、ゆっくりと立ち上がった。老齢の男性。この街を長年統治してきた、権力の中枢。


「……わかった」


 その声は、枯れていた。


「彼らを、招こう」


 *


 ギルドマスターとの会談のあと、俺達は評議会に招かれた。


 評議会議長が、俺たちの前に立った。

 彼は、背筋を伸ばして、両手を組んでいる。

 その姿勢は、威厳を保とうとしている。だけど——その目には、諦念が滲んでいた。


「ケンタ殿、シノン殿。提案があります」


 その声は、丁寧だった。だけど——その丁寧さの裏に、何かが潜んでいる。必死さ。懇願。


「あなた方に、『ダンジョンマスター』の称号を授けます」


 評議員たちが、じっと俺たちを見ている。その視線は——畏怖と、期待と、そして——わずかな恐怖が混じっていた。


「そして、このダンジョン都市の名誉評議員に」


 評議会議長は、一呼吸置いた。次の言葉を、慎重に選んでいる。


「……面倒くさいな」


 俺は、思わず呟いた。

 評議員たちが、一斉に息をのむ。顔が強張る。誰かが、小さく声を漏らした。

 評議会議長の表情が、一瞬——歪んだ。だけどすぐに、平静を取り戻す。


 シノンが、淡々と問う。


「条件は?」


 その声には、感情がない。まるで、天気予報を聞いているかのように。


「ダンジョンに関する重要事項について、相談させていただきたい」


 評議会議長は、慎重に言葉を選んでいる。一語一語、吟味しながら。


「そして、危機的状況では、協力を」


 彼は、俺たちの反応を窺っている。その目には——祈るような光が宿っている。


「つまり、何かあったら手伝えってこと?」


 シノンの言葉に、評議会議長は少し躊躇してから——小さく、頷いた。


「……はい」


 その声は、か細かった。


「めんどくせぇ……」


 俺は、頭を抱えた。正直、こういうのは本当に苦手だ。政治とか、交渉とか。

 ただダンジョンに潜って、帰る方法を探したいだけなのに。


 だけど——


「でも」


 シノンが、俺を見る。その目は、いつも通り無表情だ。


「ダンジョンコアの調査には時間がかかる。この街に留まる必要がある」


「……ああ」


 シノンの言う通りだ。神を引きずり出すには、まだやることがある。

 ダンジョンを調整して、神の反応を待つ。それには、時間がかかる。

 シノンは、評議会議長に向き直った。


「わかりました。ただし、僕たちの調査を最優先させてください」

「面倒な依頼は、極力減らしてください」


 評議会議長は、深々と頭を下げた。その背中は、丸く、小さく見えた。


「承知しました」


 その姿を見て、俺は——ふと思った。

 これは、交渉じゃない。

 降伏だ。

 彼らは、俺たちに降伏したんだ。

 称号も、名誉評議員も——全ては、俺たちを縛るための鎖。

 だけど同時に、彼らが俺たちを「認めた」証でもある。認めざるを得なかった、と言うべきか。


 力を持つ者は、望まずとも権力を持つ。

 その重さが、じわりと肩にのしかかってくる。

 評議員たちの視線が、俺たちに注がれている。

 その視線は——もう、対等なものじゃない。下から、上を見る視線。畏れと、期待と、そして——わずかな恐怖。

 俺たちは、もう普通の冒険者じゃない。


 ダンジョンマスター。


 この街の、新しい権力者。

 それが——俺たちの新しい肩書きだった。


 評議会を出ると、窓の外では夕陽が街を染めていた。

 オレンジ色の光が、石畳を照らして——長い影を落としている。

 街を行き交う人々の影。建物の影。そして——俺たちの影も、そこに混じっている。

 ただ——その影は、妙に長く、重く見えた。

 まるで、何か見えない重荷を背負っているかのように。


 シノンは、相変わらず淡々と歩いている。その横顔は、何も変わっていない。

 だけど俺は——少しだけ、肩が重い。

 力を持つことの、重さ。

 権力を持つことの、責任。

 それが、今——じわじわと、実感として押し寄せてきていた。



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