第36話 正義の失墜、ダンジョンマスター

 ダンジョン一階、転送の間。

 シルバーウォードのメンバーが、入口を塞ぐように立っていた。白い外套が、朝の光を反射して眩しい。


「おい、なんだこれ?」


 冒険者たちが、困惑している。

 いつものように入口に向かおうとして、立ち止まる。前を塞ぐ人の壁に、戸惑いの表情を浮かべていた。


「これより——」

 エドガーの声が、石造りの空間に響いた。その声には、有無を言わさぬ威厳が込められている。


「ダンジョンへの転送は、我々シルバーウォードによる、許可制とする!」


 ざわめきが、広がる。冒険者たちは顔を見合わせ、小声で囁き合う。困惑と不満が、波紋のように広がっていった。


「無許可での転送は、認めない!」


「はぁ!? なんでだよ!」


 一人の冒険者が叫ぶ。だけどエドガーは、まるで聞こえていないかのように続ける。その表情は、石像のように硬い。


「秩序のためだ!」


 冒険者たちが、ざわつき始める。不満の声。困惑の声。それらが重なり合って、空間を満たしてゆく。誰もが納得していない。だけど、シルバーウォードの威圧感に、誰も前に出られない。


 その時——


 最後の転送陣が、光った。

 まばゆい光が、薄暗い転送の間を照らし出す。冒険者たちが、一斉にそちらを向いた。

 俺とシノンが、そこに現れた。


「……? なんですか、これ?」


 俺は首を傾げて、入口を塞ぐシルバーウォードを見つめた。


「君たちだ!」


 エドガーが、俺たちに向かって叫んだ。その声には、焦燥が滲んでいる。指を突きつけ、一歩前に踏み出す。


「君たちは、我々の許可なくダンジョンに入ることは許されない!」


「は?」


 俺は思わず聞き返した。意味が分からない。何を言っているんだ、こいつは。


「でも、ギルドは何も言ってませんよ?」


 シノンが首を傾げる。その仕草は、どこか無邪気で。周囲の冒険者たちも、同意するように頷いた。


「そうですね……私も聞いてないんですが……」


 ギルドの門番が、困惑した様子で答えた。その声は、小さく震えている。エドガーの視線が、門番に突き刺さる。


「黙れ! 我々シルバーウォードが、ここを管理する!」


 エドガーの声が、ひび割れた。顔が紅潮し、額に汗が浮かんでいる。


「めんどくさいな……」


 俺は溜息をついた。こんなことに付き合っている暇はない。やることは山積みなんだ。


 そして——シノンが、静かに言った。


「じゃあ、マスター権限でシルバーウォードの入場を禁止するね」


 その声は、あまりにも穏やかで。まるで、エアコンの温度を調整するかのような、軽い口調だった。


 その瞬間。

 騒いでいたシルバーウォードの面々が——消えた。

 いや、消えたのではない。ダンジョンの入口に、転送されたのだ。一瞬の光とともに、白い外套が、転送の間から消え去った。


「おい! なにを勝手な! ……そういう秩序を乱す行為が——」


 エドガーがシノンに詰め寄ろうとする。その顔は怒りで歪み、手を伸ばそうとした。

 だけど——

 見えない壁に、跳ね返された。

 バチン、という音とともに、エドガーの体が後ろに押し戻される。まるで透明なガラスにぶつかったように。


「おい! 何をした!」


 エドガーの声が、悲鳴に近くなる。何度も手を伸ばし、叩きつけるが、見えない壁はびくともしない。


「ダンジョンを攻略して、マスター権限を得たんだよ」


 シノンは、まるで天気の話をするように答えた。その表情には、何の感情も浮かんでいない。


「君たちは、入場禁止ね」


 沈黙。

 長い、長い沈黙。


「マスター権限……?」


 誰かが呟く。その声は、震えていた。


「そういえばさっき、最後の転送陣から出てきたぞ」

「……つまり、ダンジョン攻略って、マジか」

「うぉー! すげー! 二人はダンジョン攻略者ってことか!」


 冒険者たちが、騒ぎ出す。

 驚きの声。称賛の声。それらが波のように広がって、空間を満たしてゆく。

 誰もが興奮し、拳を突き上げ、隣の者と肩を叩き合っている。


 エドガーは——ただ、立ち尽くしていた。

 見えない壁の向こうで。

 手を当てて、押してみるけれど、びくともしない。その表情からは、すべての色が失われていた。

 その姿は——まるで、檻の中の獣のようだった。


「ダ、ダンジョンを攻略した!? ……それは、すぐにギルドで報告して下さい!」


 門番をしていたギルド職員が、興奮した様子で言う。その声は上ずり、手を握りしめて震えている。


「ああ、ギルドに向かうよ。通してくれ」


 俺たちは、集まっていた冒険者をかき分けて、ギルドに向かった。冒険者たちは道を開け、拍手や歓声を送ってくる。


 背後で——エドガーの声が、何かを叫んでいる。

 だけど、その声はもう届かない。

 見えない壁に阻まれて、空しく響くだけだ。まるで、水槽の中から叫んでいるかのように、くぐもって遠い。


 冒険者たちが、俺たちの後をついてくる。

 称賛の声。質問の声。それらが、俺たちを包む。まるで凱旋する英雄を迎えるかのように、人々が集まってきた。

 シノンは、相変わらず淡々と歩いている。まるで何も起きていないかのように。その横顔は、いつもと変わらない。


 エドガーの、あの声。

 あの、絶望に近い叫び。

 だけど——仕方ない。


 俺たちは、何も悪いことはしていない。

 ただ、ダンジョンを攻略しただけだ。


 それに、俺達は、これから神を引きずり出さなきゃならない。

 あんなのに、関わっている暇はないんだ。


 俺は、振り返らず、ギルドへと急いだ。


 *


「ダンジョンを攻略した」


 ギルドの受付で、端的に告げた。


「はい。何階を攻略したのでしょうか?」


 受付嬢の声は、いつも通り穏やかだ。

 彼女はまだ、俺の言葉の意味を理解していない。

 羽ペンを手に取って、記録用の帳簿を開く。その動作は、機械的で、日常的で。


「最上階だ。ダンジョンコアに到達した」


 羽ペンが、止まった。


「……最上……階、ですか?」


 彼女の声が、震える。言葉が、ゆっくりと彼女の頭に染み込んでゆく。理解が、表情に現れる。


「え!? 最上階!」


 その瞬間、彼女の表情が——変わった。驚愕。困惑。

 そして——恐怖に近い何か。


 石造りの広間には、いつもの喧騒があった。

 冒険者たちが依頼書を眺め、商人が素材の値段を交渉し、新人らしき少年が緊張した面持ちで順番を待っている。

 その全てが——その言葉で、止まった。


「ギルドマスターに報告します。少々お待ち下さい!」


 受付嬢は慌てて、奥へと駆けていった。

 俺とシノンは、待合のベンチに腰を下ろした。周囲の視線が、針のように刺さる。誰も声をかけてこない。ただ——見ている。


 *


 すぐに、ギルドマスターの執務室に通された。

 古びた書棚が、壁一面を埋め尽くしている。背表紙の擦り切れた帳簿、冒険者の名簿、依頼の記録——どれもが、この街の歴史そのもののようだった。

 中央には黒光りする大机が鎮座していて、その上には積み上げられた報告書と、まだ乾ききらぬ赤い封蝋の依頼状。机の脇には、磨かれたランタンがゆらゆらとオレンジの光を放っている。

 壁際の棚には、戦利品と思しき魔物の角や古代の短剣が飾られている。


 ギルドマスターは窓際に立っていた。背を向けたまま、外を見つめている。

 その背中は、どこか疲れているように見えた。


「座ってくれ」


 振り返らずに、彼は言った。

 俺たちはソファーに腰を下ろす。

 革張りの、使い込まれたソファー。座面が少しへこんでいて、無数の来客を受け入れてきたことがわかる。


 ギルドマスターがゆっくりと振り返り、俺たちの向かいに座った。

 その顔には、深い皺が刻まれている。長年、この街を見守ってきた男の顔だ。

 彼は、一呼吸置いてから——口を開いた。


「まずは、ダンジョン制覇おめでとう」


 その声は、重い。祝福の言葉なのに、重い。


「追ってSランクに認定されるだろう」


 彼は机の上の書類に目を落とした。だけど、文字を読んでいるわけじゃない。ただ——視線を逸らしている。


「それで」


 ギルドマスターは顔を上げて、俺たちを見つめた。その目は、鋭い。


「ボスの情報や、資源など聞きたいことは山ほどあるが——まず、マスター権限を得たというのは本当か?」


「はい。ダンジョンコアに到達し、シノンがマスター権限を得ました」


 俺は、ハッキングしたことは、わざわざ言わずに答えた。

 言う必要もない。彼らにとって重要なのは、「どうやって」ではなく「何ができるか」だ。

 ギルドマスターは、指を組んで、じっと俺たちを見つめた。その視線は、値踏みするようで。


「その、マスター権限で何ができる?」


「ダンジョンに関することなら、およそ何でも。モンスターの配置から、罠や階層の変更まで」


 ギルドマスターの顔が、わずかに強張る。指が、ぎゅっと握られる。その手は——震えていた。


「……!」


 彼は息を吸い込んだ。深く、深く。それから、ゆっくりと吐き出す。


「つまり、ダンジョンをどうするかは、お前たちのさじ加減ひとつということか」


 沈黙。

 ランタンの炎が、揺れる。影が、壁を這う。


 ギルドマスターは、再び窓の外を見た。そこには、ダンジョンの入口が見える。

 無数の冒険者たちが、今日も潜っている。彼らは知らない——そのダンジョンが、もう別の誰かのものになったことを。


 ギルドマスターは、俺たちに向き直った。


「お前たちは、どうしたい? 評議会に掛け合えば、富も名声も思いのままだが……」


 その言葉の裏に、問いが潜んでいる。本当の問いが。

 ——お前たちは、敵か? 味方か?


「俺たちは、帰還方法を探しています」


 俺は、ギルドマスターに打ち明けた。別に秘密にしていたわけじゃない。ただ、誰も聞かなかっただけだ。


「帰還方法?」


 ギルドマスターの眉が、わずかに上がる。


「ええ。俺たちは、王国で召喚されたんです。元の世界に帰る手がかりを探して、ダンジョンに潜りました」


「召喚……」


 ギルドマスターは、小さく息を吐いた。その息には、安堵が混じっていた。


「つまり、勇者だったということか。その強さにも納得がいった」


 彼は、机に肘をついて、額に手を当てた。その姿勢は——疲労を隠しきれていない。


「それで、帰還方法は見つかったのか?」


「いいえ。ただ、ダンジョンと神のつながりがあることはわかりました」


 シノンが、淡々と答える。その声に、感情はない。


「なので、今はダンジョンを足がかりに神と交渉しようかと」


「神と交渉……」


 ギルドマスターは、眉をひそめた。その表情には、困惑と——わずかな恐怖が浮かんでいる。


「教会に聞かれたら、えらいことになるな」


 彼は、小さく笑った。だけど、その笑いには苦みがある。

 それから、彼は深く頷いた。まるで、何かを決心したかのように。


「だが、分かった。そういうことなら我々もできる限り協力する」


 ギルドマスターは、立ち上がった。窓の外を見つめたまま、続ける。


「だから、ダンジョンを弄るにしても——あまり無茶をしないでもらえると有り難い」


「俺たちにとって、ダンジョンは神に対する人質みたいなものなので、それなりに丁重に扱いますよ」


「……人質か」


 ギルドマスターは、苦笑した。その笑みには、諦念が滲んでいる。


「とんでもない若者たちだ」


 彼は、再び俺たちを見た。その目には、複雑な感情が渦巻いている。


「これは完全なお願いになってしまうが、できればダンジョンに変更を加える前に情報を共有してもらえると有り難い」


「ええ、善処しますよ」


 ギルドマスターは、深く息を吐いた。それは——降伏の息だった。



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